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2020/03/30

花の命は(詩としゃしんのはなし)

みなさま、お元気でいらっしゃるでしょうか。
ほんとうに、ほんとうにお元気でしょうか。

とおくにいる友人知人、わりと近くにいるつもりの友人たち、
そうでない人たちであっても、この災禍のなかで
生き抜いてもらいたいと、おしゃまは思っています。



きょうから、詩作ノートをあたらしいものに切り替えました。

2年ほど使って、あと数ページを残すところとなっていたものに
書きつけていた言葉が、次の行へとすすんでいかなくなって
それらの推敲は今後も続けますが、ただでさえ気のふさぐこのご時勢、
思い切ってぱしっと次の一冊へと移行させました。

いつも、あたらしいノートの最初のページには
扉詩のような言葉を書いているのです。
友人の白井さんにならって、そうするようになったのですが
そこから『百葉』に掲載した詩もあったりしました。
今後も、発表する詩のどこかに含まれたりすることでしょう。

ちなみに、おしゃまはA5かB6判のリングノートを
横にして縦罫にして、縦書きしています。

**

こんな昏い世のなかですが、いずれ(近いか遠いかは知らないけど)
死ぬのであれば、いまのうちにやりたいことを、
できればたのしいことをしておきたいと思って、
きょう、また中古カメラを一台買いました。

といっても、レンズに曇りがあるということで
数千円しかしない(ちゃんとしたものなら万券要るはず)、
レシートにも「掘り出し物」としか品名がないものでした。


昭和30年ごろのコニカⅡ型です。
いくつかバリエーションがあるようですが、おしゃまのところに来たのは
ヘキサノン50㎜f2.8の付いているものです。


距離計連動式、レンジファインダーのカメラですね。
お店で手にとらせてもらい説明をきいたのですが
おしゃまの知っている(あまり知らないけどね)どんなカメラとも違う
独特の操作系で…とくに鏡筒まわり。
まるでお作法を学んでいるような気分でした。

スローシャッターも調子が良くないとききましたが、
帰宅して裏蓋をあけ、シャッター速度を変えてテストしましたが
スローガバナーがまったく効いてないとかじゃなく、
この値段ならおしゃま的には充分いける気がしました。

ひとまず期限切れでないフィルムを詰めて試し撮りしてみます。
(2月に20本くらいも!ある方から期限切れを寄付していただきましたが
 それをこのカメラで使うのはまたいずれ…)
      それにしてもいまカメラ2台に撮りかけのフィルムが入っとります。
      だいぶカメラの断捨離をしたとはいえ、これでだいじょうぶかな?


ところでこのカメラ、アイレットというものがない。
ストラップの取付部、タブのような突起がない。
そのためカメラケーズが必須なのですが
この個体にはちゃんと附属しておりました。
ご丁寧に、革のストラップにはレンズフードのケーズも通してありましたが
縦位置撮影のとき、おしゃまの帽子に当たってじゃまなので外しました。


広角~広角寄りの焦点距離のカメラを多く使ってきたために、
ひさびさの50㎜レンズの画角に慣れるまで、ちと時間がかかるかもです。
だいたい両目からまっすぐ線を伸ばしていった先がフレームなのかなと思います。
人間の眼でみた印象に近いという「標準」レンズです。
ファインダーをのぞきながらあるいてかえってきて、そこは納得できました。





仙台では史上最速で桜が開花したものの、
文字通り花を見るだけで宴席なんかとんでもない状況ですが
それが本来の桜をめでる態度なんじゃないかなあとも思うのです…桜を見るかいなんてトンデモナイ


「花の命はみじかくて 苦しきことのみ多かりき」とは
林芙美子の放浪記の扉詩だったように記憶していますが
いつこの苦しい時期を乗り切れるのでしょうか…





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