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2020/08/18

「ぼく」は気恥ずかしい。わたしが「わたし」という理由

みなさま、お変わりありませんでしょうか。
まいにち暑いですね。ほんと東京2020がつ・ぶ・れ・て・良かった…
新型ウィルスにはあいかわらず困惑させられていますが。


きょうは小ネタだと思ってください。

じっさいに多くを語れるほど能弁じゃないですから。


おしゃまは、おしゃまを名乗っているにもかかわらず男子なのですが
もうずっと前から 一人称は「わたし」「わたくし」「あたし」等で
通してきました。

詩のなかでも、一人称の「ぼく」「僕」はもう使わない、使えなくなって久しいです。


とくに「ぼくたち」などはもう恥ずかしくってだめです。
「ぼくたち」のあとには、どういうわけか
「広告ダメダメ三匹!」がくっついてきて、思わずコーヒー噴きそうになります。


という理由よりかは、じぶんの詩のなかで「ぼく」と書くと
一種のヒロイズム、男性性の強調、女性を従属的な立場に置く、というマイナスイメージがついてまわります。

最近の若い人の詩ではどうか、不明ではありますが、いわゆる現代詩が熱く盛んでもっともよまれていたという時代の空気として、男性中心主義というのが主体だったせいもあると思います。

もっとも、「ぼく」と書く詩人さんすべてそうであるとは思っていません。

もっとフラットな「ぼく」の書き方もあるとは思います。
具体的な例を思いつかないのがもどかしいですけれど。

過去作においては、まだそこまで意識的でなかったせいで
使ってしまった例もあります。

ただ、個人的におしゃまにはもう使えない言葉ではあるのです。




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