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2024/02/28

ひとりじゃない、という言葉。

安っぽくていまさら取り上げるのもあほくさい気がするけれど、
だいぶ前に、あの歌はいやだ、と書いた「小さな手」と同じく
集団主義、徒党を組む、衆をたのむ(どうして変換できない?)という
イメージがどうしてもつきまとう。

弱者に向けられる言葉だとすれば、
ずいぶん上からものを言うんだなあと思わざるを得ない。

そんなにひとりでいるのが怖いのかな。

先日この言葉とともに浮かんだ画像…脳裏に浮かんだのですが
はしゃいでいる人たちの傍らでひとり黙っているわたし。

常に取り残される一名としての。

あとで具体的な状況をじぶんでよみ返したら
フラッシュバックして気持ちわるいと思うので、書かないでおくけど
上に書いたようなことを考えてしまうほど、わたしはぐったりしている。

今月はただでさえいやなユメを立て続けにみた。
アパート全焼、下り坂で転倒、生き埋め…

それに加えて
じぶんが死ぬ場面がくりかえし脳内再生される。

そういうわけで、やる気はまったくない。

いろいろ不義理をしている理由がこんなことというのもなさけないですが

2024/01/26

百葉、20号に

まもなく2月になりますが、2024年最初の投稿ですね。

おそくなりました。ことしもよろしくお願いします。


新年早々

詩誌「百葉」の20号目を発行しました。


発送は今月下旬を予定していましたが、
もたもたしているうちに「おしゃま画報」16号をリリースしたため
一緒にお送りしたいので、も少しお待ちいただけましたら。

市内では順次配布してもらっています。

昨年の「画報」への反響が、個人的には
びっくりするほどでしたが
そちらでおしゃまを知った方からも、百葉について
感想をいただいたりしておりました。
有難いことです。

5年前のじぶんがみたらきっと驚いてるでしょうね。

15年で20号目の節目なのですが
それ自体には、あまり感慨のようなものはなくて
むしろ、画報もことし中には20号まで行きそうなので
そのタイミングでなにかやろうと思っています。

しずかに計画は進行しています。

いずれ発表できる段階になったら、ここでもお知らせします。



2023/12/31

大晦日

ご無沙汰しております。

いつのまにやら、大晦日の夜になっていました。
ことしも、仙台に移転する前から通い詰めてきた
純喫茶星港夜での年越しに行こかと思うのですが
外はあと2時間あまりにわたって雨の予報。

歳の暮れに、こんな時間(18時)に部屋でだらだら「待機」しているなんて
めずらしい。なん年ぶりなんだろう。

そう、来年2024年の春で、仙台に引っ越してから10年になります。
そのまえにも9年、近隣の市で一人暮らしをしていたのですが
TVなし生活はそれ以来つづいているので、まもなく19年目!

思えば、仙台のヨドバシに家電を買いにきた日に
駅西口にあった十字屋の催事場で、仙台で最後となった
中古カメラフェアがひらかれていて
おしゃまはTVを買わずにそちらへ向かい
オリンパスOMズイコー(おーえむでじたるなんちゃらのやつではない)
50mm f3.5マクロを買い、
トークショーのゲスト、飯田鉄さんに著書に署名をもらったのです。
2005年3月ですよ。

そういやことしそのOM-4tiとレンズ一式
またもや売却することとなってしまいました。
結局小型軽量を売りとするオリンパスのフィルムカメラでも
フルサイズ一眼レフはなんか合わなかったのですね。

機材をたくさん持っていても、収納にも困り
出番がないカメラはどんどん隅に追いやられる現状ですので。
しかも夏にはオリンパス光学ペンFTを再びお迎えして
そちらに一眼レフの主軸が移ったというね。


またカメラの話しばかりになった。

どうやら雨雲レーダーみても、午前の予報よりかは早く小雨が止みそうです。
なのでそろそろでかけますね。

急ぎ足であれですが、良いお年をお迎えくださいませ。


2023/10/03

現代詩は誰もいない昏い道、深みにはまり沈んでいく覚悟…なんだけど

きょうは、あるところで句会がありまして、会がおわったあとの空間で夜コーヒーをのんできたのでしたが。

わたし自身が落ち込んでいたこともあると思うのですが、そもそもさそわれた時にも気が乗らなかったので遠慮したのでありました。

それでアフタートークだけきいていて、なんとなくその理由がわかったのです。

まあ、ざっくり言うと、俳句、良くも悪くも言葉遊びだということ、それ以上でも以下でもないんだなということに気づいてしまったのかも知れません。

皆が言うほど、いいものじゃないぞ。
そもそも大勢の人がいいということには決まって疑ってかかる、あまのじゃくのわたくしですから。

それって、切実な表現ではないんだな。
言い回しの妙ばかりが問題にされて、心理および作者がどう思ったかは問題にされない。

わたしには合わない世界だなと、帰宅して思うのですが
どうせ理解なんかされないからと、いま編集画面をにらみつけているところでありまして。

対して…べつに二項対立でどうこうするつもりはないんだけど…
現代詩は正反対の位相にある文芸です。

よくもわるくも、というよりは
ネガの側面ばかりが喧伝されている。

詩を書いています、と言ったら
ポエム呼ばわりして潰しにかかるような輩がいた。
30年前の学生連中に理解せよというのがむだなことだが
そういうことはめっきり減ったけど、無理解以前に無関心という現実は
依然として横たわっている。

別にいいんだよ。
地上波TVのネタにされて嗤いものにされたらおしまいだから。

そういえば現代詩手帖2023年8月号に書いている人がいたけど、
むかしむかし、某国営放送にナイトジャーナルって番組があった。

曜日ごと日替わりで登場する専門家…いまwikipediaみるとなかなか錚々たる面々のなかにあって、ひとり浮いているのが火曜日の「詩人」実は当時の放送協会職員だった男でね。
わたしが記憶していた回は「なぜ女性詩人は元気なのか」というテーマ
今思うとなんで?と失笑せざるを得ない。
別に男性詩人が全員だめだとかいうわけないだろ。だから皮相的な見方だとわかる人にはわかるのだけれど、この職員詩人、司会者に話を振られると得意になって話すのだが、どうも言葉が浮ついて聞こえる。地に足がついてなくて、借り物の知識だけひけらかしてる様子が、当時のばかで未熟な文学部の学生だったわたしにもみてとれた。

インタビューした伊藤比呂美にやりこめられてタジタジとしてた情けない感じも思い出した。

深夜帯に、筑紫さんの番組に太刀打ちなんか当然できなくて1年でおわったらしい。
さもありなんという気分ですね。


そもそも自身の個人詩誌で詩を発表していて、感想をきかせてくださる方はほんの数人。まあゼロよりははるかに良いですけど、打率だなんて雑駁なたとえを許してもらえるなら、惨敗しかしたことがない。三振の山。なんだけど。

うーむ これ以上負け惜しみを書き綴るのもかなしい。涙がにじんでくる。

もう寝ることにします。

2023/09/25

ことしも アンポンタンズ2023 グループ展に参加します。近況少し

 しばらくご無沙汰しておりました。

27日水曜日から、仙台アーティストランプレイス(SARP)space-Bにて開催されます

「アンポンタンズ2023 それって、意味あるんですか。展」

こちらに絵を出展させていただきます。


https://sarp-sendai.com/exhibition/2023-9-27%ef%bd%9e10-8%e3%80%80%e3%82%a2%e3%83%b3%e3%83%9d%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%b3%e3%82%ba/



わたくしのお盆前後の鬱状態のため、DM作成段階では制作できるかどうか微妙でした。

その後落ち込みも改善し、なんとか作品も仕上げましたので、半分幽霊部員的に参加させていただけることに(幽霊云々は自称です、念のため)。

関係者のみなさまには感謝しております。

お近くの方はご来場いただけますとうれしいです。

先週末から急に涼しくなりました。

那須までまたもや電撃日帰りツーリングに行ったのですが

気温20度ってこんな寒かったっけ…と思いましたね。


那須町に移住されて工房をいとなむ、コトリコーヒーのご夫妻を訪ねて行って

コーヒー豆とカンパーニュを買ってきたのでした。

時間的に那須高原へ走りに向かう余裕がまったくなく

滞在なんとまたしても1時間。。。

工房のある那須まちづくり広場には、ゲストハウスもあると知りましたので

次回はせめて1泊してのんびりしたいです。

ともかくも、旅先に会いたい人がいると、うれしいものですね。



2023/08/05

すこし足踏み、のろのろですが

お暑うございます。
だいぶ体が慣れてきましたが、それにしても熱中症の危険度が高い毎日。
みなさま如何おすごしでしょうか。

第九がキテるとか来てないとか…いや来てないことはないので
ひきつづき気をつけて生活いたしましょう。

さて、先月の予定では
いまごろ百葉の20号目を編集している予定でしたが
大人でもなんでもない事情により、まったくの手つかずです。

そうこうしているうちに、気もちがめまぐるしく変わり
一時は19号を最後に発行を停止あるいは終了にしようかと
おーのーしておりました。

一週おいて、状況というか気分が良いほうにまわり
そこまで思いつめることはなくなりました。

ただ当初掲載しようと思っていた作品は
もっと推敲するか、引っ込めるか、あるいはぜんぶ乗せにするか(?)
今一度考えなおそうと思いますので
20号は、もしかすると来年になるかも知れません。

もともと書き上げていた作品を見返すと
なんとも生彩を欠くというか、貧しいものに思えるのです。
衰えなのか年齢相応なのか? そうは思いたくない。
まあなんらかの後退であることは確かでしょう。

もうすこし生きている実感、みたいなものを表現したい。
そう思ってもう一篇書いてみる気になってきました。

そのためまだ時間がかかりそうです。
お待ちいただいている方がどれほどいらっしゃるか不明ですが
気長に待っていただけますと幸いです。




2023/07/02

50歳で還暦は、10年早い(笑) 近況

みなさま、如何おすごしでしょう。

マスクしてると暑いですね。


毎週きいているJ-WAVEの日曜20時の番組
radikoできいてますので、HPの文章もそのまま表示されてるのですが

50歳になった野村さんに、還暦とはなんぞや?
失礼じゃないの? 

この方と同じ年の生まれのあたくし、今月たんじょうびです。

10年早いですよ、スタッフが書いたんだろうけど。

先週 〇タムラのジャンクコーナーで
マミヤ35メトラというのがあって
ヘリコイドが重いだけで動作はふつうなので買いました。

1本期限切れで撮りましたが
露出計ともども、そんなに誤差があるようにも思えず
(精度はむろん知りません)
いい買い物をしたと満足でした。

なにしろ2,200えんです(笑)




してその熱もさめやらぬきょう日曜日

ふと思い立ち、使わなくなったカメラなどを持って
いつものカメラ屋さん(〇タムラではない)に下取りをおねがいしたら
思いのほかいい額になりまして

オリンパスペンFTとトレードと相成りました。


一週間のうちに中古とはいえ カメラ2台
かなりあたくしもいかれてますね

もっともFTは 過去にも使ってたことがあります。

また出物があったんで 欲しくなってしもた…
ほとんどいつもできごころだけです。すみません。

あまぞで買った安い防湿庫が 電子レンジくらいの容量しかなく
一度にたくさん所有できないので こういうことを繰り返しています。
今回のレンズ、多く流通している38mm f1.8ではなく
40mm f1.4でした。
ライカ判で56mm相当ぐらいらしい。

交換レンズが容易に入手できない
球数がすくないのがこのカメラの泣きどころ
以前高騰して以来 みんな手放さないんじゃないかな

使わないなら売りに出せばいいではないか(笑)
どんどん欲しい人に回してほしいな
20mmとか20mmとか20mmとか…
以前売ってしまった25mm f2.8
明るいレンズだったけど大きくてね。

このFT 露出計不動 ファインダーアイピースにガタあり
ボディにアタリありということで安かったのだと思います。
いずれも気にしてません。

すこし早いじぶん用のプレゼントだと思っています。
いつもそういう口実でものを買う。
じぶんに甘すぎ。物欲に忠実すぎ。

食欲も衰えないのでエンゲル係数えげつない。

たぶん晩年までこんなことを続けていくのでしょう。


2023/05/24

2年つかった詩作ノートに一区切り。まっさらな次の一行へ。

こんにちは。こんばんは。つつがなくおすごしでしたか。

こんな辺鄙なblogをみにきてくださるみなさまには、ご無沙汰にもほどがあると申し訳ない気持ちですが、正直なところ、noteやinstagramとのつかいわけでいささか悩んでいたことは確かです。

noteはほぼほぼ写真アカ、instagramはおしゃま画報はじめ絵とか写真とかカメラとかなんでもありで、いまいちばん頻繁に更新しています。

じゃあここはどうすんの…ということですが、
ひとまずいちばん陽の当たらない「詩」のことを中心に書けばいいかなと。

といっても、わたしはそんなに深く熱く詩について語る言葉があふれるほどでもない。

詩作のうえでの備忘録的なことで許してください。

さて、5月23日、さいきんほとんどわたしのホーム的な喫茶店となっている
喫茶frame/星空カフェにて、あたらしい詩作ノートの一ページ目に文字を記しました。

先にnoteに上げてしまったのですが…あちらにはその画像とテクストくらいしか詩のことは書かなくなっています。
どのみちどちらも検索には引っかからなくなるでしょうから…

前のノートは、数年前にダイソでまとめ買いしておいたリングノート、B6判。
もう2冊くらい使いきったことになりますかな。
2021年6月2日から約2年使いました。

なんつうか、のろい歩みの2年だったわね…詩作にかんしては。

その最初の一頁目に書いた詩は、のちに百葉に推敲を重ねて収録したものの一部です。
そのころは「まだ」すきな人のことをイメージして書いていたのよね。

バックナンバ通読してもらえたらはっきりどこからかわかるかも知れません。
誰とは言えませんけどね、web上ではもちろん。リアルに会って会話ができる方限定(笑)

もうわたいも夏には半世紀経過するもの。
れんあいとかもうええからみんな友だちでいておくれよ。

はい!脱線しました。転覆までする前に本題。



こんどのノートの序詞、いままでになくあそんでみました。

って言葉遊びね。当然ですが。

画像だけのっけておきます。ではまた。





2023/01/02

2023年

また新年を迎えました。

わたし的には、正月らしいことはなにもせず、
昼ぐらいまでぐずぐずねていて、ぼんやり過ごしております。

一応波乱はあって
正月早々アパートの玄関前に野良猫がそそうをしていったので
後片づけに追われた1月2日でありました。

大晦日は、12月25日に閉店した純喫茶・星港夜のサプライズ営業で
もうないと思っていた喫茶店での年越しコーヒー。
正月未明に、幸い雪は積もってなかったのでAPE100(原付二種)で帰宅しました。

元日午後には、仙台の南の隣の隣、岩沼市内で展示をされている方(インスタつながり)の絵をバイクでみにいきました。ガラスごしなのが少々残念でしたが。

もとより神社仏閣めぐりに冷ややかなおしゃまは
近くまで行った竹駒神社にも近づきませんでした。

神も仏も、もはやなにも信じるつもりがない。
うるさく聞こえると思うので説明はしないけど
初詣なんか行くよりは、じぶんのすきなことしてたほうが良いと思うのです。
経済的に絶対行けないけど、海外旅行行くのもさっぱりしてていいですね。
平時であればね。

さて
年末にいつもの写真屋さんでカラーフィルム現像できないかなと思いでんわしたら
どうも現像機の調子がわるいらしく、さりとて更新するのもこのご時勢では難しい。
なのでカラーは富士に外注に出して、自家現像はモノクロ一本になるようなことを言われました。

わたしとしても、冬場とか雨天時に電車代かけて行くよりかは
仙台市内の「いつものカメラ屋さん」に頼むほうがいいかなと。
同プリだとCDスキャン代サービスになるし。

ただそこだとモノクロは「東京送り」になり時間も費用もかかる。
つきあいもあるし写真屋さんにはレンタル暗室もあるので
(あまり借りたことはないけど)
今年は半分はモノクロフィルムで撮ってみようかなと思ったのでした。

**

いまの世のなか、趣味も娯楽も細分化されて
大勢の人が大晦日に「紅白」みたいな旧態依然とした茶番を見なくてもよくなったのは
いいと思うのですけどね。

やめろと言ってるのにあるきながらスマホ横にしてなんかみてる人たち、
知りたくなんかないけど多分ネトフリとかアマプラとかみてるでしょう。

あいかわらず他人が作ったお仕着せのコンテンツに時間を取られているのは
変わりないんじゃないでしょうか。

あたしもYouTubeぐらいは見ますけれど
(地上波TVを部屋から追放してまもなく18年)
ずっとみてるとやはり疲れるし飽きますね。

もともと「つくる人」の周辺にいるのがすきなので
ギャラリの周辺に顔をだすのは変わらないと思います。
(昨年いろいろあったけど)

ことしも詩と絵の制作とフィルム写真、
『百葉』と『おしゃま画報』の発行はひきつづき行なってまいります。

比重としては画報を次々に出すので目立つのではないかなと思いますが。

目新しいことはなにもないので期待しないでくださいね。

ことしもどうぞよろしくお願いします。










2022/12/14

マイノリティであり続けるということ

12月ももう半ば、折り返しですね。

わたくし冬の電車通勤期間に移行しました。

ターミナル駅から郊外へ向かう電車に乗り換えるとき、いつも思うことがあります。

たぶんこれには絶対慣れないな、慣れてはいけないなと思うのですが、電車から大勢で降りてくる人の群れって、こわい。

どうしてぽちぽち乗ってくる人のことを考えないのかな。

会社へ向かうので急いでる?
理由になりません。

乗り遅れては困る?
それも理由になりません。ならば少し早く家を出てきてください。

とにかく多勢に無勢、といった風情が漂うのはほんとうに困ったものです。

勝ち馬に乗る、という言葉も浮かびます。

とかく人の集まるところって、導線を考えてないものですが、いったん地下鉄を降りてじえいあーるに乗り換えるような場合は特にそうです。

通路の角で内角側から曲がっていくと、人が向かってくるのは当然なのに意外というか、いやそうな顔をされる。

人の群れに逆らって…なにもそんな気はないのに、自然とそうなりませんか。

だから数の暴力って言いたくなるのよ。

数の力を、衆を恃んで勝ち馬に乗りたがる安定多数というのをきらうおしゃまですが、わたくしが端っこにいる詩の世界も、美術といいますかギャラリーの周辺にいる人たちにしても、社会のなかでは少数派に属するのかな。

だからかどうか、どちらの世界にも反骨の人が多い気がします…気がするっていうだけかも知れませんけど。

おらほの県のごり押しゼネコン大好き知事の県美術館移転の方針を撤回させたのは、ほかならぬその少数者とみられがちな美術界の人たち、市民の力です。
たとい集まったところで人数的には、役人からすれば意に介さない程度にすぎないと思いますが、それでも世論を動かすムーブメントになり得たのは幸いでした。

それでもまだ懲りない知事は、こんどは仙台圏の病院再編をぶちあげて、また上げた手を下ろすには至っていないです。
あんな人でもかわりの人材が出てこないのはまったくの不幸。独裁ですね。

まあ驕れる者はと申しますが、人生100年とかほざいているお大尽がまだ大手を振っている日本国です。
もうそんな時代ではない。
退職金も貰えず老後だけでなく、流行病に罹患したあとですら不安がつきまとう人が大多数になりつつある。

そういった潮目をよめない人が世のなかをおかしくしていく。権力者、老人の宿命ですな。

あっ話しがずれたか。ずれてないか。

そう、反骨精神の持ち主が生きいきと、みずからの表現の可能性だけを伸長すべく切磋琢磨する領域が、わたくしにとっても生きやすいと思えるのです。
あなたはどう思いますか?





2022/11/10

おりんと命名しました(笑)

またもやご無沙汰をしております。

先日コンビニから帰るとき、すぐ傍でペチンという音がして、みると電柱の下に熟れた柿が落ちてました。

カラスの仕業でした。

秋も深まってきたね、と受けとるか、危なかった、爆撃を受けたととるかは自由ですけれども、後者だとウクライナや紛争地域で命からがら生きているみなさまに申し訳なくなります。

わたしは爆撃ととりましたが(おい)

さいきんコーヒーで生きているのではと思うほど、頻繁に喫茶でコーヒーのんでおります。

行きつけの純喫茶・星港夜 シンガポールナイトの閉店予告の日が来月末に迫っていますし。

ほかにSARP併設の喫茶frame、同じ場所でframeのあとの時間帯に営業する星空カフェにもしばしば足を運んでいます。

いずれも、おしゃまにとってかけがえない場所です。

それだけにまた行きつけの喫茶店が閉店するのは、なんとも言えず…
マスターの言動に含みがのこっているのに望みをつなぐか。



さて

この写真をご覧になってください。

向かって左は、もう10年以上わたしの手許にあるオリンパス光学XA。

右は…?

先日ブッコフの訳あり品コーナーから救出してきた、オリンパス光学35EDです。

シャッター切れません、ということで1,980えんだったのです。

そりゃ電子シャッターだもの電池なきゃ切れんよね、と思いつつ、店頭では電池室開けられず、つまりチェックできなかったので一抹の不安をかかえて帰宅後開けてみたら…腐食もなくきれいでした。

水銀電池抜かれていたのが幸いしたのだろうと思います。

軽く整備…遮光用のモルトプレーン貼り替えただけですよ…して電池つめてみたのですけれども、どうも絞りとシャッター速度が怪しい気がする。

手持ちの本によれば。

1/125秒までは開放、それ以上、1/800まではプログラム式AEなのだとか。

夜間外に出て空シャッター切ったとき、街灯が明るいせいもあってかスローシャッター4秒を確認できなくてね。

試し撮りしているいまも、なんか信用ならない気がいたしますが。

ひとまずこのカメラ、単純ですがおりんと命名しました。

XAはオリンパです。単純にすぎる?

コンタックスTは、ときにコンタと呼んだりします。

……それはともかく

いずれも連動距離計を備えたコンパクトカメラですが
おなじオリンパス光学製でも、発売年が5年ちがうだけで、こんなに違うのです。

金属機械カメラとプラカメの転換期を象徴するような二台ですね。
内部機構的には基本的に同じ、電子シャッターですが
XAは小型化と独創的な機構のためか、直すのは面倒らしいです。
おしゃまの部屋はカメラの分解修理なんかにはまるで適さないので一切やりませんが。

その他の近況!

先月プリンタ2台粗大ごみに出しました。
10年ほど使ったキヤノンの複合機がPCと通信しなくなり、以前実家でいらないか言われていた、これもキヤノンの単機能プリンタをもらったのですが、半月も経たないうちに突然死しました。

プリンタないと百葉や画報の制作に支障を来すので
早いうちに、手ごろな価格の複合機を調達します。

なにしろ4ページの画報をフルカラー印刷すると、コンビニでは1部100えん。
10部で1,000えん、100部で10,000えん。それだけでプリンタ買えますわ。

次の画報の表紙絵まだ書いてないにもかかわらず。

なんでも、いまどき紙媒体で「画報」のような発信をしてるのが
仙台でもめずらしいそうで。

面白がってくださる方からお声がけをいただくことがときどきあり
まだまだつづけなくちゃと思う次第なのであります。

個人事業主ではないのでなんにもなりませんが、プリンタ代インク代は
おしゃまにとっては必要経費です(きっぱり)。

百葉は次の号で20号め、おしゃま画報も10号めの節目ですし。
百葉は来年になります。目下一篇ちまちま推敲している最中です。

気長にお待ちいただければ。




2022/10/16

グループ展に参加して また絵が描きたくなったはなし

10月9日、仙台アーティストランプレイスSpace-Bにて開かれておりました
美術展「アンポンタンズ村 平和の祭典」ぶじ終了しました。

このグループ展に、おしゃまははじめて参加させていただきました。

初日にとるものもとりあえず行ったところ、
とてもたのしくなる空間になっていました。


写真に写っている、なにが描いてあるのかわからない白い額が、おしゃまの作品です。

むろん色がうすいだけで、なにも描いていないわけではありません。

今回も水彩色鉛筆です。デッサンはボールペン。

制作過程はさきほどnoteにアップしましたので、こちらではそれに付帯しておしゃまが思ったことを。



おしゃまが絵に手を染めたのは、30代の後半だったかな。

詩だけは18歳のときから書いているのですが、最近スローペースなうえに低調。

表現としての写真は完全に停滞。

そんないま、また描くことがたのしくなってきました。


前にも書いた気がしますが、詩とは正反対の作風です。

暗くて円滑なコミュニケーションをとるのがにがてで、
実生活では精彩を欠いてぼんやり生きているおしゃまにとっては
唯一じぶんの宿命から解放される、のびのびできる表現手段なのです。

もっとも、わたくしは美術の基礎はほとんど学んだことがありません。
覚えているのは、中学での「美術史」の授業くらい。
それも学年主任の顔と(いまはもうおじいちゃん?)、退屈な気分だけです。

高校では音楽を選択したのですが、失敗でした。
もっとも美術をえらんでいたとしても、暗黒時代だったので
すきになったかは、微妙。

しかしわたし以外の参加者のみなさま、どの作品も力作であり佳作でした。

ささっと描きおえてよしとしてしまったおしゃまは、少したじろいだのですが
それでもみなさまには概ねあたたかく受け止めていただいたようでした。

直接感想を伝えてくだすった方々には、とても感謝しております。

詩だとほとんどそういうことってないのですよ、
無視無関心無反応があたりまえ。
もっとも最近のわたしの詩は、私小説みたいな内向きな傾向がさらに強いので
そのへんは諦めていました。
ただ、そこから脱却しようと考えながら、書いてはいます。

詩も自由に思ったことを書ける手段ではありますが、
あまりにもおばかなことは、おしゃまの場合書けません。

絵だと思ったように、思いつきで描いたものたちが動き出す。
とくに平日うつうつとしているわたしのような、精彩を欠くうらなりの人物が
解放感を得ることができる。

うーーーーーーーーーん
伝わりにくいかしら…

そのへんインスタでご覧いただけましたら
たぶんどういうことかおわかりになるかなと思うので
登録されている方はどうぞ。






2022/09/20

おしゃま、写真に悩む、迷う

ご無沙汰しております。
いろいろ現実は忙しく、あっという間に数か月空けてしまいました。

そのあいだに、もともと中古で安く友人から売ってもらったBPOパソコン、
Windows10が2度目のクラッシュで再インストール。
たしか一回目は昨年秋。
その後電源強化して(もちじぶんで交換したのよ)再インストールして
いろいろソフトとかフリーフォントとかだいぶ復旧させた頃になってドン。

まあ、今回は24時間以内にふっかつさせましたが
あーあ、またいちゅーんずも飛んでしまった…
めんどうなのでまたCDリッピングする気になれず
部屋ではほんとにひっさびさに、CDプレーヤで音楽きくことにしました。

よって今回からダウンロードフォルダを
写真保存メインの内蔵型HDDに移動しました。
あとはひまをみてフリーフォント再ダウンロードですな。
それをやらないとまた印刷物制作できません。

CS2は前回から同じように移動させていたので問題ないはず。


仙台写真月間というのが毎年9月に開催なのですが
ことしの最初の週に観にいきましたら、ひとりの作者が在廊していたので
できれば話をききながらみたかったのです、けどね。
その人は知り合いだか取り巻きだか知らないが人とずっとしゃべっていて
おしゃまなんかはガン無視。
おまけに立ち話している場所が、展示室の入口で入るに入れず
じきにわたしはみる気をなくしていまい、さっさと帰りましたよ。

帰る途中、運転していてふと
なんか以前にも同じことがあったなあ……たぶんその時も同じ人だったかも!
思い出して無性に口惜しくなりました。然るのちかなしくなりましたね。

それで2週にわたり展示を見ずに距離を置いていたのですが、一応面識のある気さくなお兄さんの週になって、ちょっと見たくなって行きました。
毎週末アーティストトークがあるのでそれも見るつもりで行ったのですが
なんか聞きに来る人たちもみんな知り合いみたいなのね。

もともと山形にある芸工大の学閥色がつよいイヴェントなのですが
それゆえか知ってる人たちで固まっていて、おしゃまのような一匹狼が行っても
アウェイ感強烈でしてね。
結局始まる前に外にでていてまたそのまま帰りましたん。

なんだろう? 写真表現と団体主義ってなんの関係もないですよね。
本来創作は孤独な営為だとわたしなんかは思うわけですが
耐えられないんでしょうか。
そして徒党を組むんだからなあ。


そんなどうでもいい人たちの話はもうやめましょう。

わたくしおしゃま自身は、
いま思い描いているようには撮れず書けずで、なやんでいます。

ことしの南東北は結局、夏がないようなものでした。
ずっと梅雨がつづいていたと言ってもいい。

その間隙をぬうように、北は盛岡、南は松川浦と飛びまわっていましたが
すこし前に載せた盛岡での数枚を除いては、たんなる旅の写真でしかない。

いやそれはある程度企図していたもので、旅のあいまの写真から
わたしの写真のテーマが浮かび上がるかな、と期待していましたが
そんな虫のいい話しはないようでした。

18日、3連休の中日には栗原市へ行ってきて
7月に詰めたフィルム、やっと撮りおわりました。
都合でまだ未現像ですが、そのなかに一部ですが、
おしゃまが10代のころから無意識的に撮り続けてきたものが写っています。

べつに目新しいテーマではまったくないのですが、
その奥深くに、ねむっている心のキイがあればと願うばかりです。

そうそうこの半年くらい、カラーネガフィルム品薄ですよね。
きょう台風が行ってしまったばかりで電車通勤でしたので
「いつものカメラ屋さん」コセキで買いたかったのですが定休日。
東口のヨドバシの「お隣」キタムラ買取センターにもなく
最後にキタムラの「お隣」に行ったら、ありましたロモグラフィー100。
3本セット売りなのでちと金額は大きいのですが、1本あたりだと約1200えん。
次いつ買えるか不透明なので押さえました。

フィルム入っていないカメラを持ち歩くのは、なんだかむなしく感じるのです。
カメラという形から入って、十数年してやっと写真のほうまできたのですから。

以前仙台にあった写真専門のギャラリ、カロスギャラリーのアーカイブサイトに
わたしが2回グループ展に参加した時の写真もおさめられています。
ほかの方の写真もとてもいいです。一見の価値があります。

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芸術としての写真を目指すのであれば、
仲間うちでなれあいでやっていてはだめで
切迫感というか、真剣勝負というか
そうでありたいと願う…妄想かも知れないけど。












2022/07/12

個人の価値は無限大。国家なんてちっぽけです。

さいきんのニュースにはもう正直辟易しているのですけれども、まあ率直に言えば国家権力をカサにさんざん悪事の限りを尽くした人物が、どれだけ小さな言論…批判も悪口も民主主義には必要ですからね…を圧殺しようとしてきたか、報じるところは少ないようですし公職にある人がその矛盾に触れることすら応援団といわれるネトウヨたちの言葉の暴力を恐れてできないのかと情けなくなります。

あんまり自身の手の届かない範囲まで話しを広げたくないので、きょうわたしが言いたいことをなるべく簡潔に。

国に認められるということには種類があると思います。

どうしても必要な許認可行政については、なにか矛盾があろうと従わざるを得ない。身近なところを挙げると、運転免許ですかね。わたしはもう乗ることがない50cc以下の原付など、最高時速も時代に合わないし二段階右折も謎ルールですが、教習なしでそれ以上の車輌を運転させるわけにはいかないのだろうと理解できます。昨今の二輪車の運転マナーの悪化のメインストリームが原付免許だともわたしは考えているのですが、個人の意見でどうこうできるものではない。

しかし、みなさん誰もがしたがる結婚てどうですかね?

本来は両性の同意においてのみ成立するものと憲法にも書かれていますが、この「のみ」を削ろうというのが現政権の悪だくみであります。

法的な議論はわたしには手に負えないものの、どうせまた国家権力の介入する領域が拡大するんだろうと冷ややかに見ています。

こんな国に、親からも独立した人格を有する個人が「認められ」てなにか価値なんてありますか? 本来なら国に「認めさせる」くらいのことでいいはずですよ。どうせ子どもの頭数しか考えられない人たちです。事象に表れている内実を読み解こうともしないで、数の大小だけで判断しようとするのが、戦後民主主義ならぬ多数決主義の悪弊です。数の力で押し切ろうという野蛮なことを考えてるからだめなのです。

本来一組のカップルが同意のもとで暮らすのなら、国のお墨付きなんていらないじゃないですか。既に籍を入れられているみなさまに対する失礼を申し訳無く思いつつも、そういうみなさまを擁護するために言いますが(わたしはあいかわらずシングルなので)、ふたりの関係性について国はなんらの保証をしてくれるわけではない。至って無責任と思うかどうかは人次第ですが。夫婦別姓も認められないばかりか、離婚となるといろいろ女性の側に不利な取り決めになっているのはご承知のとおりかと。
冗談ではない。男だって一度離婚したら一定期間再婚禁止にすべき。
それが法の下の平等、ではないのかな?

ともかくも法による縛りが関係性のほころびをどうのって、本質とはなんの関係もない。
国に一生縛られて不自由な生きかたをしたいなら、憲法改正にYESと言うがいい。

国家権力が肥大化しているのは、民主主義を標榜するのと矛盾します。
公務員も国会議員も、わたしたちの使用人にすぎない。
かれらがなにを勘違いしたのか。わたしたちはなぜそれを正せないまま来てしまったのか。

国家なんてちっぽけな砂の楼閣でいいんだよ。
わたしたち個人が最大限に人間らしく生きられなければ、この社会の繁栄は嘘っぱちだ。むだだ。

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そんなことであたまが一杯だった日の夕方、
寓居の近くのコンビニで、「おしゃまさん」と声をかけてくださった方がいました。

この土地に越してきて8年経ちましたが、いままですみかの近くに誰も友人知人がいませんでした。
あるご夫婦がそう遠くないあたりにお住まいらしいと伺っていましたが、ついに目撃されたわけですね(笑)

さびしかったよおおおお……

なんとなくですが、うれしい日になりました。




2022/05/25

久々になつかしい小説に接する

このところだいぶ辛口な内容が多かった気がいたします。

すこし落ち着いてみようと思います、おしゃまです。

先週くらいから、就寝前横になってから、ほんとひさびさに小説をよんでいます。

1990年発行、矢作俊彦『スズキさんの休息と遍歴 または かくも誇らかなるドーシーボーの騎行』という長いタイトルですが、この初版本には連載当時(少年だったおしゃまがたまに買っていた、もう消えてしまった毛色の変わった自動車の雑誌でした)とほぼ遜色なく、カラーだったのがモノクロになっただけですが、本文のあいまあいまに著者自身による個性のつよいイラストや手書きの描き文字(明朝体ではない)などが散りばめられています。かつて学生運動に身を投じた経験がいまも色濃くにじみ出ている主人公スズキさんをはじめ、東京からシトロエン2CV(ドゥシーボー)に一人息子のケンタを乗せて北へ向かう道中に現れる怪人物たちもまたアクがつよくて声が大きくて、章ごとのストーリーとかれらの科白どれもユーモアというかカリカチュアに富んだもの。それだけに→寄りのガチガチの人たちからは総スカンかも知れないですが、おしゃまはときどき笑いながらよんでおります。

ちなみに文庫版ではイラスト等ほぼオミットされてしまっていて、どうにも面白みに欠けます。

同じ雑誌に続いて連載された、これも同じく矢作俊彦による『あ・じゃ・ぱん』も名作でしたね。若い頃図書館でよんだきりですが、またよんでみたいです。


この本のあとにも、何冊も衝動買いして順番待ちをしている古書があります。
一時期のようにかけ持ちでななめよみするほどの時間もエネルギーも無鉄砲さもない現在ですが、それゆえにみえてくるものもあると思います。




2022/05/24

「急いでるのですみません」という圧力【他人に言ってはいけないことば】

じぶんの住む近所まで帰ってくると気分が落ちてきます。
そういう実感があるのは私だけでしょうか、おしゃまです。

土曜日の午後に接種を受けて
当日中はなんともなく、翌日曜の昼ごろから熱が上がりはじめてだるくなり
ようやくサラドとウインナーだけ食べて解熱剤をのみ、
アイスノン持って布団の上へ。

もうほぼ終日ねてましたね。

熱は翌朝下がりましたが
勤務中にまたぶり返してビビリのわたしはペースダウン。
帰宅したらけろっとしてもうなんともなかったです、けれども。

そんな日のあとです。

所用があり休みをもらって一日出掛けていました。

午後にアーケード街から横に入っていくビルのなかへ
コーヒー豆を買いに入っていくとき
後ろから「すみません急いでるので」と言われ思わず横にそれると
後期ではないくらいの高齢の女性が奥の方へ歩いていきました。

先には立体駐車場があります。
時間が迫っていたのでしょうけれど、都心のそんな場所に車で来て
買い物して帰るくらいの人にしては、余裕がない
ですね。

そう思うと、なかば煽られたかのような違和感、言い換えると

「急いでるんだからたらたら歩いてんじゃないよ」

と言われたような気がして、なんとも釈然としない。
急いでるなら黙って追い越せばいいだけのこと。

こういう圧力、言葉の暴力もあるのですね。

だいぶ前、ころな以前の話ですが、電車内で普通に詰めて座っていたら、
3人ほどの団体?の50代くらいの女性陣に「すみません詰めていただけませんか」
と言われたことを思い出します。
これも受け取り方を変えると「どけ」と言われたのとさして変わらない。

あの人たちと遭遇したのも10年は経っているかと。
そう思うといまは初老ですかね。

決して他人には言ってはいけないことを口にする人が
経済的には(精神的には知らん)恵まれているというのが
現代日本の不幸であると、なんでわたしが身をもってつらい思いして
こんな過疎blogにあえて書かなきゃいかんのか。

ああいう老人にだけはなりたくないけど
わたしなんかが逆立ちしてもなれないとは思えど
この格差社会でちっとはええ暮らししてれば、あの手の下品な立ち居振る舞いは
あっさり身につきます。

たとえばあなたも、**セに行って丸を三分割したマークの車を買えば
きっと性格は豹変するし、心ある人からは白眼視されること請け合いです。

以前わたしの乗っていた原付一種に当て逃げ…立派な追突事故だったが…していったドイツ車がけいさつの捜査によっても見つからなかったのは、クルマのある生活を壊されたくないオーナー(ただの成金)と、クルマのある生活を(しかしなんでカタカナでクルマなんだろ。あほな習慣)売り物にしている金持ち相手の商売人の利害が一致したからに違いない。

書いていて疲れました。
不愉快な人たちにされたことは、とりあえず当座は忘れましょう。

しかし心の傷は深層では決して消えません。




2022/05/21

3回目はあっという間。

 しばらくご無沙汰してます。

3週間ぶりにプリンタ動かして百葉印刷しました。

前々から気になっていた、インクのかすれ。
以前あえて見過ごしたこともありましたが、今回はどうしてもきたなく感じられ、厳しくチェックしてかなり無駄が出ました。

それでも点状のノイズ的なものは付いているものもあると思います。
しかし、とぎれとぎれでも線状になっているものは看過できない。

そういえば紙送りローラーのクリーニングって機能があったっけ…

さらにプリンタのメンテナンス機能をみたら、インク拭き取りというのがある。
二つ折りにした紙を流すとあーら余計なインクがくっきり付いてきた。
長いこと悩まされたかすれ…汚れともおさらばか!
知らなかったよ…そんなのあるなんて。

そしてきょうは16時から大規模接種センターで3回目受けました。
1回目2回目がおそかったから、3回目もやっとなのですが
予約そのものは、なんときのうの午前中にあっさりとれました。

注射そのものは、5秒もかからなかった。
あっ刺したなと思ったらおわり。
痛いと感じるいとまもなし。

副反応、むしろこれから、今夜からあしたなんでしょうかねえ?
いまのところなんともない。

前回病院でもらった解熱剤、一応のんだようだけれど記憶にないです。
たしか朝までに熱下がったんじゃなかったか? わからん。

あすなんともなかったらまた印刷しようと思います。あと宛名書き。

きょうは15部しかできなかった。
倍は反古になった。
手許にある用紙も減ってきました。

2022/05/06

恐縮ですが わたしはあなたたちの奴隷ではないので

じつは 先週末からもやもやしています。

いらいらしていると言ってもいいほどです。

美術関係の集まりが某所であったのですが、その席で一部の人間に
おしゃまが持参した、できたばかりの画報8号
ケチをつけられた…

曰く「写真なんか使うな」という内容です。

お前の絵を載せたらいいのに。という意味だったと思いますが

余計なお世話とはこのことを言うのだなと。

むろん、わたしが作った(しかも夜中の数時間で)ものなので
内容も体裁も薄い。うすっぺらです。

でも明白にわたくしおしゃまの創作物には違いありません。
わたくし妻子もなにもいませんのであれですが、
じぶんであたまをなやませて書いて、つくったものは我が子同然です。

これだけ書けば、もう付け加えることは基本的にないのですが
前の週にはおなじ場で、百葉についても同じことを言われた。
(ひとりは同一人物)

もうぜんぶやめてしまおうとも思いました。

詩は書きたくなったらなにがしか書くとは思います。

でもねへたな絵なんか書かなくても生きてはいける。

そんなことより毎朝起きて働くことのほうが大事だよ。


みなさんだったら、おなじ目に遭ったらどう対応されるでしょうか。

2022/04/30

百葉19号と「おしゃま画報Vol.8」同時に発行と相成りました

10連休に入りましたが、早速時間を持て余しています。おしゃまです。

昨晩、夕食後に、しばらく進んでいなかった「百葉」19の印刷製本をしました。
新たに買ってきた富士ゼロックス改め富士フイルム製品のカラーモノクロ兼用紙、
前より紙質が良くなったのか平滑度が上がり、先週刷ったときはノントラブルだったのですけど、ゆうべは雨だったせいかどうか?紙送りがやはり引っかかることが数回あり、10枚くらい反古にしてしまいました。
やはり監視とまでは言わないまでも、プリンタ作動中は見ていた方が良いようです。
そして片面ずつ刷っているので、もう片面(表)を印刷する前にチェックが必須と感じました。

そして…夜更かしついでに「画報」8号も、4ページだけの体裁ながら執筆と編集をしてしまいました。
朝になったら印刷します。

2冊同時に出すのは初めてですね。

過疎blogだからこっそり書いときますが
19号の表紙写真、撮影場所は18号とほぼ同じです…



2022/04/18

百葉19号 5月発行です




みなさま、如何おすごしでしょうか。
つつがなく春を迎えられましたでしょうか。

この4月は物入りで新品のフィルムが買えず、
上の3枚は、ペンタックスQで撮影しました。
この日の雨を境に、ことしの仙台の桜は散りはじめました。

さて きょうは速報です。
帰宅後に、数日来ちまちま推敲していた詩ができましたので、
ずっと止まっていた個人詩誌「百葉」19号の編集を再開し、
本文および後記などのテクストは概ねととのったのですが
やはり2ページ空いてしまったよ…ここに表紙とは別の写真をと思い
あす以降探してみるつもりです。

銀塩写真じたいは、フォルダごとあいほんに入れてますから
出先でもみて検討できますが
このところ忙しいというか気ぜわしいというか。
そしてもっとねていたい! 膝痛い!(グルコサミンのお世話になる話しではないのよ)

でっ 19号の発行日は5月1日の予定。
今週末ぐらいには印刷して、すこしずつ手渡しをしたいなと。
いつも発送させていただいているみなさまには、大人の事情で?
いつものようにおまたせをしてしまうと思います。

きょうプリンタインク買ってきて、在庫みたら用紙が足りない。
うわーまた買わないと。

そして以前公言していた、朗読音源はどうしよう…

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