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2022/07/12

個人の価値は無限大。国家なんてちっぽけです。

さいきんのニュースにはもう正直辟易しているのですけれども、まあ率直に言えば国家権力をカサにさんざん悪事の限りを尽くした人物が、どれだけ小さな言論…批判も悪口も民主主義には必要ですからね…を圧殺しようとしてきたか、報じるところは少ないようですし公職にある人がその矛盾に触れることすら応援団といわれるネトウヨたちの言葉の暴力を恐れてできないのかと情けなくなります。

あんまり自身の手の届かない範囲まで話しを広げたくないので、きょうわたしが言いたいことをなるべく簡潔に。

国に認められるということには種類があると思います。

どうしても必要な許認可行政については、なにか矛盾があろうと従わざるを得ない。身近なところを挙げると、運転免許ですかね。わたしはもう乗ることがない50cc以下の原付など、最高時速も時代に合わないし二段階右折も謎ルールですが、教習なしでそれ以上の車輌を運転させるわけにはいかないのだろうと理解できます。昨今の二輪車の運転マナーの悪化のメインストリームが原付免許だともわたしは考えているのですが、個人の意見でどうこうできるものではない。

しかし、みなさん誰もがしたがる結婚てどうですかね?

本来は両性の同意においてのみ成立するものと憲法にも書かれていますが、この「のみ」を削ろうというのが現政権の悪だくみであります。

法的な議論はわたしには手に負えないものの、どうせまた国家権力の介入する領域が拡大するんだろうと冷ややかに見ています。

こんな国に、親からも独立した人格を有する個人が「認められ」てなにか価値なんてありますか? 本来なら国に「認めさせる」くらいのことでいいはずですよ。どうせ子どもの頭数しか考えられない人たちです。事象に表れている内実を読み解こうともしないで、数の大小だけで判断しようとするのが、戦後民主主義ならぬ多数決主義の悪弊です。数の力で押し切ろうという野蛮なことを考えてるからだめなのです。

本来一組のカップルが同意のもとで暮らすのなら、国のお墨付きなんていらないじゃないですか。既に籍を入れられているみなさまに対する失礼を申し訳無く思いつつも、そういうみなさまを擁護するために言いますが(わたしはあいかわらずシングルなので)、ふたりの関係性について国はなんらの保証をしてくれるわけではない。至って無責任と思うかどうかは人次第ですが。夫婦別姓も認められないばかりか、離婚となるといろいろ女性の側に不利な取り決めになっているのはご承知のとおりかと。
冗談ではない。男だって一度離婚したら一定期間再婚禁止にすべき。
それが法の下の平等、ではないのかな?

ともかくも法による縛りが関係性のほころびをどうのって、本質とはなんの関係もない。
国に一生縛られて不自由な生きかたをしたいなら、憲法改正にYESと言うがいい。

国家権力が肥大化しているのは、民主主義を標榜するのと矛盾します。
公務員も国会議員も、わたしたちの使用人にすぎない。
かれらがなにを勘違いしたのか。わたしたちはなぜそれを正せないまま来てしまったのか。

国家なんてちっぽけな砂の楼閣でいいんだよ。
わたしたち個人が最大限に人間らしく生きられなければ、この社会の繁栄は嘘っぱちだ。むだだ。

***

そんなことであたまが一杯だった日の夕方、
寓居の近くのコンビニで、「おしゃまさん」と声をかけてくださった方がいました。

この土地に越してきて8年経ちましたが、いままですみかの近くに誰も友人知人がいませんでした。
あるご夫婦がそう遠くないあたりにお住まいらしいと伺っていましたが、ついに目撃されたわけですね(笑)

さびしかったよおおおお……

なんとなくですが、うれしい日になりました。




2022/07/04

盛岡で多重露光してきたり

6月はなんにも書かなかったですね。ご無沙汰してます。おしゃまです。

6月中旬の日曜日、盛岡へ行ってまいりました。
そうです、原付二種で…

「20代の子がやるような」と友人に言われたりしましたが、深夜2時に仙台出発。
盛岡着9時半。
ことの顛末はnoteに書いたし、道すがらインスタにも写真上げてたのでここでは繰り返しませんが、行けども行けども着かない感がして。
いや岩手県だって広いわけですが、宮城県との県境越えるまででもすごく時間かかった。


それで、目的は「文フリ岩手」を見に行くことでした。
仙台の詩人さんおふたり出店されてましたし、以前寄稿してくださった岩手の方も別ジャンルの創作物をひっさげて参加されていました。

そして、数年ぶりの岩手旅行、盛岡訪問で、多重露光で撮りたいという思いがありました。
できればCONTAX Tも連れて行きたかったけど、連動距離計がずれて無限遠がでなくなっていたので(現在調整してもらっています、札幌で)、今回はオリンパスXAを久々に持っていったのでした。

現像したものをみると、こちらもやや無限遠があまいかな? と思ったけど
多重露光は、ずれまくりながらも1枚は見れるものが撮れた…自画自賛みたいだけどほんの1,2枚ですからね。



縦位置と横位置がクロスしてますが、おしゃまの多重露光にはつきものです(汗)

この手の写真をもっと撮りたいと思ったし、多重露光の写真だけ展示してみたいなとも思ったのでした。



そう「百葉」18・19号とも表紙写真は多重露光でしたね。
またぽつぽつ、あたらしく詩のノートに書きつけはじめていますが、例によって一朝一夕には書けそうにありません。

10号くらいまでは推敲と言ってもあっさりしたものでしたが、ここ数年はむしろ推敲に時間をかけるようになりました。
詩の言葉を練っているとね、それも時間と手間をかけていると、いろいろ思いもかけない思いつきやたくらみ、さらには「降って」くるものがあって、苦しいときもあるもののそこを抜ければ書き上げたときの嬉しさが数倍にもなるのです。

若い頃にはわからなかった。
長く書き続けてきてようやくわかってきた。
詩は青春の文学だなんて、夭折した詩人の伝説を鵜呑みにして甘ったれたことを言ってはいけない。
だからほんとうにいい素質をもっている若い詩人さんには、ずっと書いて書いてほしいと思う。さっさとやめてしまうようでは、若気の至りと斬って捨てられるぞ。



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