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2022/12/14

マイノリティであり続けるということ

12月ももう半ば、折り返しですね。

わたくし冬の電車通勤期間に移行しました。

ターミナル駅から郊外へ向かう電車に乗り換えるとき、いつも思うことがあります。

たぶんこれには絶対慣れないな、慣れてはいけないなと思うのですが、電車から大勢で降りてくる人の群れって、こわい。

どうしてぽちぽち乗ってくる人のことを考えないのかな。

会社へ向かうので急いでる?
理由になりません。

乗り遅れては困る?
それも理由になりません。ならば少し早く家を出てきてください。

とにかく多勢に無勢、といった風情が漂うのはほんとうに困ったものです。

勝ち馬に乗る、という言葉も浮かびます。

とかく人の集まるところって、導線を考えてないものですが、いったん地下鉄を降りてじえいあーるに乗り換えるような場合は特にそうです。

通路の角で内角側から曲がっていくと、人が向かってくるのは当然なのに意外というか、いやそうな顔をされる。

人の群れに逆らって…なにもそんな気はないのに、自然とそうなりませんか。

だから数の暴力って言いたくなるのよ。

数の力を、衆を恃んで勝ち馬に乗りたがる安定多数というのをきらうおしゃまですが、わたくしが端っこにいる詩の世界も、美術といいますかギャラリーの周辺にいる人たちにしても、社会のなかでは少数派に属するのかな。

だからかどうか、どちらの世界にも反骨の人が多い気がします…気がするっていうだけかも知れませんけど。

おらほの県のごり押しゼネコン大好き知事の県美術館移転の方針を撤回させたのは、ほかならぬその少数者とみられがちな美術界の人たち、市民の力です。
たとい集まったところで人数的には、役人からすれば意に介さない程度にすぎないと思いますが、それでも世論を動かすムーブメントになり得たのは幸いでした。

それでもまだ懲りない知事は、こんどは仙台圏の病院再編をぶちあげて、また上げた手を下ろすには至っていないです。
あんな人でもかわりの人材が出てこないのはまったくの不幸。独裁ですね。

まあ驕れる者はと申しますが、人生100年とかほざいているお大尽がまだ大手を振っている日本国です。
もうそんな時代ではない。
退職金も貰えず老後だけでなく、流行病に罹患したあとですら不安がつきまとう人が大多数になりつつある。

そういった潮目をよめない人が世のなかをおかしくしていく。権力者、老人の宿命ですな。

あっ話しがずれたか。ずれてないか。

そう、反骨精神の持ち主が生きいきと、みずからの表現の可能性だけを伸長すべく切磋琢磨する領域が、わたくしにとっても生きやすいと思えるのです。
あなたはどう思いますか?





2022/11/10

おりんと命名しました(笑)

またもやご無沙汰をしております。

先日コンビニから帰るとき、すぐ傍でペチンという音がして、みると電柱の下に熟れた柿が落ちてました。

カラスの仕業でした。

秋も深まってきたね、と受けとるか、危なかった、爆撃を受けたととるかは自由ですけれども、後者だとウクライナや紛争地域で命からがら生きているみなさまに申し訳なくなります。

わたしは爆撃ととりましたが(おい)

さいきんコーヒーで生きているのではと思うほど、頻繁に喫茶でコーヒーのんでおります。

行きつけの純喫茶・星港夜 シンガポールナイトの閉店予告の日が来月末に迫っていますし。

ほかにSARP併設の喫茶frame、同じ場所でframeのあとの時間帯に営業する星空カフェにもしばしば足を運んでいます。

いずれも、おしゃまにとってかけがえない場所です。

それだけにまた行きつけの喫茶店が閉店するのは、なんとも言えず…
マスターの言動に含みがのこっているのに望みをつなぐか。



さて

この写真をご覧になってください。

向かって左は、もう10年以上わたしの手許にあるオリンパス光学XA。

右は…?

先日ブッコフの訳あり品コーナーから救出してきた、オリンパス光学35EDです。

シャッター切れません、ということで1,980えんだったのです。

そりゃ電子シャッターだもの電池なきゃ切れんよね、と思いつつ、店頭では電池室開けられず、つまりチェックできなかったので一抹の不安をかかえて帰宅後開けてみたら…腐食もなくきれいでした。

水銀電池抜かれていたのが幸いしたのだろうと思います。

軽く整備…遮光用のモルトプレーン貼り替えただけですよ…して電池つめてみたのですけれども、どうも絞りとシャッター速度が怪しい気がする。

手持ちの本によれば。

1/125秒までは開放、それ以上、1/800まではプログラム式AEなのだとか。

夜間外に出て空シャッター切ったとき、街灯が明るいせいもあってかスローシャッター4秒を確認できなくてね。

試し撮りしているいまも、なんか信用ならない気がいたしますが。

ひとまずこのカメラ、単純ですがおりんと命名しました。

XAはオリンパです。単純にすぎる?

コンタックスTは、ときにコンタと呼んだりします。

……それはともかく

いずれも連動距離計を備えたコンパクトカメラですが
おなじオリンパス光学製でも、発売年が5年ちがうだけで、こんなに違うのです。

金属機械カメラとプラカメの転換期を象徴するような二台ですね。
内部機構的には基本的に同じ、電子シャッターですが
XAは小型化と独創的な機構のためか、直すのは面倒らしいです。
おしゃまの部屋はカメラの分解修理なんかにはまるで適さないので一切やりませんが。

その他の近況!

先月プリンタ2台粗大ごみに出しました。
10年ほど使ったキヤノンの複合機がPCと通信しなくなり、以前実家でいらないか言われていた、これもキヤノンの単機能プリンタをもらったのですが、半月も経たないうちに突然死しました。

プリンタないと百葉や画報の制作に支障を来すので
早いうちに、手ごろな価格の複合機を調達します。

なにしろ4ページの画報をフルカラー印刷すると、コンビニでは1部100えん。
10部で1,000えん、100部で10,000えん。それだけでプリンタ買えますわ。

次の画報の表紙絵まだ書いてないにもかかわらず。

なんでも、いまどき紙媒体で「画報」のような発信をしてるのが
仙台でもめずらしいそうで。

面白がってくださる方からお声がけをいただくことがときどきあり
まだまだつづけなくちゃと思う次第なのであります。

個人事業主ではないのでなんにもなりませんが、プリンタ代インク代は
おしゃまにとっては必要経費です(きっぱり)。

百葉は次の号で20号め、おしゃま画報も10号めの節目ですし。
百葉は来年になります。目下一篇ちまちま推敲している最中です。

気長にお待ちいただければ。




2022/10/16

グループ展に参加して また絵が描きたくなったはなし

10月9日、仙台アーティストランプレイスSpace-Bにて開かれておりました
美術展「アンポンタンズ村 平和の祭典」ぶじ終了しました。

このグループ展に、おしゃまははじめて参加させていただきました。

初日にとるものもとりあえず行ったところ、
とてもたのしくなる空間になっていました。


写真に写っている、なにが描いてあるのかわからない白い額が、おしゃまの作品です。

むろん色がうすいだけで、なにも描いていないわけではありません。

今回も水彩色鉛筆です。デッサンはボールペン。

制作過程はさきほどnoteにアップしましたので、こちらではそれに付帯しておしゃまが思ったことを。



おしゃまが絵に手を染めたのは、30代の後半だったかな。

詩だけは18歳のときから書いているのですが、最近スローペースなうえに低調。

表現としての写真は完全に停滞。

そんないま、また描くことがたのしくなってきました。


前にも書いた気がしますが、詩とは正反対の作風です。

暗くて円滑なコミュニケーションをとるのがにがてで、
実生活では精彩を欠いてぼんやり生きているおしゃまにとっては
唯一じぶんの宿命から解放される、のびのびできる表現手段なのです。

もっとも、わたくしは美術の基礎はほとんど学んだことがありません。
覚えているのは、中学での「美術史」の授業くらい。
それも学年主任の顔と(いまはもうおじいちゃん?)、退屈な気分だけです。

高校では音楽を選択したのですが、失敗でした。
もっとも美術をえらんでいたとしても、暗黒時代だったので
すきになったかは、微妙。

しかしわたし以外の参加者のみなさま、どの作品も力作であり佳作でした。

ささっと描きおえてよしとしてしまったおしゃまは、少したじろいだのですが
それでもみなさまには概ねあたたかく受け止めていただいたようでした。

直接感想を伝えてくだすった方々には、とても感謝しております。

詩だとほとんどそういうことってないのですよ、
無視無関心無反応があたりまえ。
もっとも最近のわたしの詩は、私小説みたいな内向きな傾向がさらに強いので
そのへんは諦めていました。
ただ、そこから脱却しようと考えながら、書いてはいます。

詩も自由に思ったことを書ける手段ではありますが、
あまりにもおばかなことは、おしゃまの場合書けません。

絵だと思ったように、思いつきで描いたものたちが動き出す。
とくに平日うつうつとしているわたしのような、精彩を欠くうらなりの人物が
解放感を得ることができる。

うーーーーーーーーーん
伝わりにくいかしら…

そのへんインスタでご覧いただけましたら
たぶんどういうことかおわかりになるかなと思うので
登録されている方はどうぞ。






2022/09/20

おしゃま、写真に悩む、迷う

ご無沙汰しております。
いろいろ現実は忙しく、あっという間に数か月空けてしまいました。

そのあいだに、もともと中古で安く友人から売ってもらったBPOパソコン、
Windows10が2度目のクラッシュで再インストール。
たしか一回目は昨年秋。
その後電源強化して(もちじぶんで交換したのよ)再インストールして
いろいろソフトとかフリーフォントとかだいぶ復旧させた頃になってドン。

まあ、今回は24時間以内にふっかつさせましたが
あーあ、またいちゅーんずも飛んでしまった…
めんどうなのでまたCDリッピングする気になれず
部屋ではほんとにひっさびさに、CDプレーヤで音楽きくことにしました。

よって今回からダウンロードフォルダを
写真保存メインの内蔵型HDDに移動しました。
あとはひまをみてフリーフォント再ダウンロードですな。
それをやらないとまた印刷物制作できません。

CS2は前回から同じように移動させていたので問題ないはず。


仙台写真月間というのが毎年9月に開催なのですが
ことしの最初の週に観にいきましたら、ひとりの作者が在廊していたので
できれば話をききながらみたかったのです、けどね。
その人は知り合いだか取り巻きだか知らないが人とずっとしゃべっていて
おしゃまなんかはガン無視。
おまけに立ち話している場所が、展示室の入口で入るに入れず
じきにわたしはみる気をなくしていまい、さっさと帰りましたよ。

帰る途中、運転していてふと
なんか以前にも同じことがあったなあ……たぶんその時も同じ人だったかも!
思い出して無性に口惜しくなりました。然るのちかなしくなりましたね。

それで2週にわたり展示を見ずに距離を置いていたのですが、一応面識のある気さくなお兄さんの週になって、ちょっと見たくなって行きました。
毎週末アーティストトークがあるのでそれも見るつもりで行ったのですが
なんか聞きに来る人たちもみんな知り合いみたいなのね。

もともと山形にある芸工大の学閥色がつよいイヴェントなのですが
それゆえか知ってる人たちで固まっていて、おしゃまのような一匹狼が行っても
アウェイ感強烈でしてね。
結局始まる前に外にでていてまたそのまま帰りましたん。

なんだろう? 写真表現と団体主義ってなんの関係もないですよね。
本来創作は孤独な営為だとわたしなんかは思うわけですが
耐えられないんでしょうか。
そして徒党を組むんだからなあ。


そんなどうでもいい人たちの話はもうやめましょう。

わたくしおしゃま自身は、
いま思い描いているようには撮れず書けずで、なやんでいます。

ことしの南東北は結局、夏がないようなものでした。
ずっと梅雨がつづいていたと言ってもいい。

その間隙をぬうように、北は盛岡、南は松川浦と飛びまわっていましたが
すこし前に載せた盛岡での数枚を除いては、たんなる旅の写真でしかない。

いやそれはある程度企図していたもので、旅のあいまの写真から
わたしの写真のテーマが浮かび上がるかな、と期待していましたが
そんな虫のいい話しはないようでした。

18日、3連休の中日には栗原市へ行ってきて
7月に詰めたフィルム、やっと撮りおわりました。
都合でまだ未現像ですが、そのなかに一部ですが、
おしゃまが10代のころから無意識的に撮り続けてきたものが写っています。

べつに目新しいテーマではまったくないのですが、
その奥深くに、ねむっている心のキイがあればと願うばかりです。

そうそうこの半年くらい、カラーネガフィルム品薄ですよね。
きょう台風が行ってしまったばかりで電車通勤でしたので
「いつものカメラ屋さん」コセキで買いたかったのですが定休日。
東口のヨドバシの「お隣」キタムラ買取センターにもなく
最後にキタムラの「お隣」に行ったら、ありましたロモグラフィー100。
3本セット売りなのでちと金額は大きいのですが、1本あたりだと約1200えん。
次いつ買えるか不透明なので押さえました。

フィルム入っていないカメラを持ち歩くのは、なんだかむなしく感じるのです。
カメラという形から入って、十数年してやっと写真のほうまできたのですから。

以前仙台にあった写真専門のギャラリ、カロスギャラリーのアーカイブサイトに
わたしが2回グループ展に参加した時の写真もおさめられています。
ほかの方の写真もとてもいいです。一見の価値があります。

**

芸術としての写真を目指すのであれば、
仲間うちでなれあいでやっていてはだめで
切迫感というか、真剣勝負というか
そうでありたいと願う…妄想かも知れないけど。












2022/07/12

個人の価値は無限大。国家なんてちっぽけです。

さいきんのニュースにはもう正直辟易しているのですけれども、まあ率直に言えば国家権力をカサにさんざん悪事の限りを尽くした人物が、どれだけ小さな言論…批判も悪口も民主主義には必要ですからね…を圧殺しようとしてきたか、報じるところは少ないようですし公職にある人がその矛盾に触れることすら応援団といわれるネトウヨたちの言葉の暴力を恐れてできないのかと情けなくなります。

あんまり自身の手の届かない範囲まで話しを広げたくないので、きょうわたしが言いたいことをなるべく簡潔に。

国に認められるということには種類があると思います。

どうしても必要な許認可行政については、なにか矛盾があろうと従わざるを得ない。身近なところを挙げると、運転免許ですかね。わたしはもう乗ることがない50cc以下の原付など、最高時速も時代に合わないし二段階右折も謎ルールですが、教習なしでそれ以上の車輌を運転させるわけにはいかないのだろうと理解できます。昨今の二輪車の運転マナーの悪化のメインストリームが原付免許だともわたしは考えているのですが、個人の意見でどうこうできるものではない。

しかし、みなさん誰もがしたがる結婚てどうですかね?

本来は両性の同意においてのみ成立するものと憲法にも書かれていますが、この「のみ」を削ろうというのが現政権の悪だくみであります。

法的な議論はわたしには手に負えないものの、どうせまた国家権力の介入する領域が拡大するんだろうと冷ややかに見ています。

こんな国に、親からも独立した人格を有する個人が「認められ」てなにか価値なんてありますか? 本来なら国に「認めさせる」くらいのことでいいはずですよ。どうせ子どもの頭数しか考えられない人たちです。事象に表れている内実を読み解こうともしないで、数の大小だけで判断しようとするのが、戦後民主主義ならぬ多数決主義の悪弊です。数の力で押し切ろうという野蛮なことを考えてるからだめなのです。

本来一組のカップルが同意のもとで暮らすのなら、国のお墨付きなんていらないじゃないですか。既に籍を入れられているみなさまに対する失礼を申し訳無く思いつつも、そういうみなさまを擁護するために言いますが(わたしはあいかわらずシングルなので)、ふたりの関係性について国はなんらの保証をしてくれるわけではない。至って無責任と思うかどうかは人次第ですが。夫婦別姓も認められないばかりか、離婚となるといろいろ女性の側に不利な取り決めになっているのはご承知のとおりかと。
冗談ではない。男だって一度離婚したら一定期間再婚禁止にすべき。
それが法の下の平等、ではないのかな?

ともかくも法による縛りが関係性のほころびをどうのって、本質とはなんの関係もない。
国に一生縛られて不自由な生きかたをしたいなら、憲法改正にYESと言うがいい。

国家権力が肥大化しているのは、民主主義を標榜するのと矛盾します。
公務員も国会議員も、わたしたちの使用人にすぎない。
かれらがなにを勘違いしたのか。わたしたちはなぜそれを正せないまま来てしまったのか。

国家なんてちっぽけな砂の楼閣でいいんだよ。
わたしたち個人が最大限に人間らしく生きられなければ、この社会の繁栄は嘘っぱちだ。むだだ。

***

そんなことであたまが一杯だった日の夕方、
寓居の近くのコンビニで、「おしゃまさん」と声をかけてくださった方がいました。

この土地に越してきて8年経ちましたが、いままですみかの近くに誰も友人知人がいませんでした。
あるご夫婦がそう遠くないあたりにお住まいらしいと伺っていましたが、ついに目撃されたわけですね(笑)

さびしかったよおおおお……

なんとなくですが、うれしい日になりました。




2022/07/04

盛岡で多重露光してきたり

6月はなんにも書かなかったですね。ご無沙汰してます。おしゃまです。

6月中旬の日曜日、盛岡へ行ってまいりました。
そうです、原付二種で…

「20代の子がやるような」と友人に言われたりしましたが、深夜2時に仙台出発。
盛岡着9時半。
ことの顛末はnoteに書いたし、道すがらインスタにも写真上げてたのでここでは繰り返しませんが、行けども行けども着かない感がして。
いや岩手県だって広いわけですが、宮城県との県境越えるまででもすごく時間かかった。


それで、目的は「文フリ岩手」を見に行くことでした。
仙台の詩人さんおふたり出店されてましたし、以前寄稿してくださった岩手の方も別ジャンルの創作物をひっさげて参加されていました。

そして、数年ぶりの岩手旅行、盛岡訪問で、多重露光で撮りたいという思いがありました。
できればCONTAX Tも連れて行きたかったけど、連動距離計がずれて無限遠がでなくなっていたので(現在調整してもらっています、札幌で)、今回はオリンパスXAを久々に持っていったのでした。

現像したものをみると、こちらもやや無限遠があまいかな? と思ったけど
多重露光は、ずれまくりながらも1枚は見れるものが撮れた…自画自賛みたいだけどほんの1,2枚ですからね。



縦位置と横位置がクロスしてますが、おしゃまの多重露光にはつきものです(汗)

この手の写真をもっと撮りたいと思ったし、多重露光の写真だけ展示してみたいなとも思ったのでした。



そう「百葉」18・19号とも表紙写真は多重露光でしたね。
またぽつぽつ、あたらしく詩のノートに書きつけはじめていますが、例によって一朝一夕には書けそうにありません。

10号くらいまでは推敲と言ってもあっさりしたものでしたが、ここ数年はむしろ推敲に時間をかけるようになりました。
詩の言葉を練っているとね、それも時間と手間をかけていると、いろいろ思いもかけない思いつきやたくらみ、さらには「降って」くるものがあって、苦しいときもあるもののそこを抜ければ書き上げたときの嬉しさが数倍にもなるのです。

若い頃にはわからなかった。
長く書き続けてきてようやくわかってきた。
詩は青春の文学だなんて、夭折した詩人の伝説を鵜呑みにして甘ったれたことを言ってはいけない。
だからほんとうにいい素質をもっている若い詩人さんには、ずっと書いて書いてほしいと思う。さっさとやめてしまうようでは、若気の至りと斬って捨てられるぞ。



2022/05/25

久々になつかしい小説に接する

このところだいぶ辛口な内容が多かった気がいたします。

すこし落ち着いてみようと思います、おしゃまです。

先週くらいから、就寝前横になってから、ほんとひさびさに小説をよんでいます。

1990年発行、矢作俊彦『スズキさんの休息と遍歴 または かくも誇らかなるドーシーボーの騎行』という長いタイトルですが、この初版本には連載当時(少年だったおしゃまがたまに買っていた、もう消えてしまった毛色の変わった自動車の雑誌でした)とほぼ遜色なく、カラーだったのがモノクロになっただけですが、本文のあいまあいまに著者自身による個性のつよいイラストや手書きの描き文字(明朝体ではない)などが散りばめられています。かつて学生運動に身を投じた経験がいまも色濃くにじみ出ている主人公スズキさんをはじめ、東京からシトロエン2CV(ドゥシーボー)に一人息子のケンタを乗せて北へ向かう道中に現れる怪人物たちもまたアクがつよくて声が大きくて、章ごとのストーリーとかれらの科白どれもユーモアというかカリカチュアに富んだもの。それだけに→寄りのガチガチの人たちからは総スカンかも知れないですが、おしゃまはときどき笑いながらよんでおります。

ちなみに文庫版ではイラスト等ほぼオミットされてしまっていて、どうにも面白みに欠けます。

同じ雑誌に続いて連載された、これも同じく矢作俊彦による『あ・じゃ・ぱん』も名作でしたね。若い頃図書館でよんだきりですが、またよんでみたいです。


この本のあとにも、何冊も衝動買いして順番待ちをしている古書があります。
一時期のようにかけ持ちでななめよみするほどの時間もエネルギーも無鉄砲さもない現在ですが、それゆえにみえてくるものもあると思います。




2022/05/24

「急いでるのですみません」という圧力【他人に言ってはいけないことば】

じぶんの住む近所まで帰ってくると気分が落ちてきます。
そういう実感があるのは私だけでしょうか、おしゃまです。

土曜日の午後に接種を受けて
当日中はなんともなく、翌日曜の昼ごろから熱が上がりはじめてだるくなり
ようやくサラドとウインナーだけ食べて解熱剤をのみ、
アイスノン持って布団の上へ。

もうほぼ終日ねてましたね。

熱は翌朝下がりましたが
勤務中にまたぶり返してビビリのわたしはペースダウン。
帰宅したらけろっとしてもうなんともなかったです、けれども。

そんな日のあとです。

所用があり休みをもらって一日出掛けていました。

午後にアーケード街から横に入っていくビルのなかへ
コーヒー豆を買いに入っていくとき
後ろから「すみません急いでるので」と言われ思わず横にそれると
後期ではないくらいの高齢の女性が奥の方へ歩いていきました。

先には立体駐車場があります。
時間が迫っていたのでしょうけれど、都心のそんな場所に車で来て
買い物して帰るくらいの人にしては、余裕がない
ですね。

そう思うと、なかば煽られたかのような違和感、言い換えると

「急いでるんだからたらたら歩いてんじゃないよ」

と言われたような気がして、なんとも釈然としない。
急いでるなら黙って追い越せばいいだけのこと。

こういう圧力、言葉の暴力もあるのですね。

だいぶ前、ころな以前の話ですが、電車内で普通に詰めて座っていたら、
3人ほどの団体?の50代くらいの女性陣に「すみません詰めていただけませんか」
と言われたことを思い出します。
これも受け取り方を変えると「どけ」と言われたのとさして変わらない。

あの人たちと遭遇したのも10年は経っているかと。
そう思うといまは初老ですかね。

決して他人には言ってはいけないことを口にする人が
経済的には(精神的には知らん)恵まれているというのが
現代日本の不幸であると、なんでわたしが身をもってつらい思いして
こんな過疎blogにあえて書かなきゃいかんのか。

ああいう老人にだけはなりたくないけど
わたしなんかが逆立ちしてもなれないとは思えど
この格差社会でちっとはええ暮らししてれば、あの手の下品な立ち居振る舞いは
あっさり身につきます。

たとえばあなたも、**セに行って丸を三分割したマークの車を買えば
きっと性格は豹変するし、心ある人からは白眼視されること請け合いです。

以前わたしの乗っていた原付一種に当て逃げ…立派な追突事故だったが…していったドイツ車がけいさつの捜査によっても見つからなかったのは、クルマのある生活を壊されたくないオーナー(ただの成金)と、クルマのある生活を(しかしなんでカタカナでクルマなんだろ。あほな習慣)売り物にしている金持ち相手の商売人の利害が一致したからに違いない。

書いていて疲れました。
不愉快な人たちにされたことは、とりあえず当座は忘れましょう。

しかし心の傷は深層では決して消えません。




2022/05/21

3回目はあっという間。

 しばらくご無沙汰してます。

3週間ぶりにプリンタ動かして百葉印刷しました。

前々から気になっていた、インクのかすれ。
以前あえて見過ごしたこともありましたが、今回はどうしてもきたなく感じられ、厳しくチェックしてかなり無駄が出ました。

それでも点状のノイズ的なものは付いているものもあると思います。
しかし、とぎれとぎれでも線状になっているものは看過できない。

そういえば紙送りローラーのクリーニングって機能があったっけ…

さらにプリンタのメンテナンス機能をみたら、インク拭き取りというのがある。
二つ折りにした紙を流すとあーら余計なインクがくっきり付いてきた。
長いこと悩まされたかすれ…汚れともおさらばか!
知らなかったよ…そんなのあるなんて。

そしてきょうは16時から大規模接種センターで3回目受けました。
1回目2回目がおそかったから、3回目もやっとなのですが
予約そのものは、なんときのうの午前中にあっさりとれました。

注射そのものは、5秒もかからなかった。
あっ刺したなと思ったらおわり。
痛いと感じるいとまもなし。

副反応、むしろこれから、今夜からあしたなんでしょうかねえ?
いまのところなんともない。

前回病院でもらった解熱剤、一応のんだようだけれど記憶にないです。
たしか朝までに熱下がったんじゃなかったか? わからん。

あすなんともなかったらまた印刷しようと思います。あと宛名書き。

きょうは15部しかできなかった。
倍は反古になった。
手許にある用紙も減ってきました。

2022/05/06

恐縮ですが わたしはあなたたちの奴隷ではないので

じつは 先週末からもやもやしています。

いらいらしていると言ってもいいほどです。

美術関係の集まりが某所であったのですが、その席で一部の人間に
おしゃまが持参した、できたばかりの画報8号
ケチをつけられた…

曰く「写真なんか使うな」という内容です。

お前の絵を載せたらいいのに。という意味だったと思いますが

余計なお世話とはこのことを言うのだなと。

むろん、わたしが作った(しかも夜中の数時間で)ものなので
内容も体裁も薄い。うすっぺらです。

でも明白にわたくしおしゃまの創作物には違いありません。
わたくし妻子もなにもいませんのであれですが、
じぶんであたまをなやませて書いて、つくったものは我が子同然です。

これだけ書けば、もう付け加えることは基本的にないのですが
前の週にはおなじ場で、百葉についても同じことを言われた。
(ひとりは同一人物)

もうぜんぶやめてしまおうとも思いました。

詩は書きたくなったらなにがしか書くとは思います。

でもねへたな絵なんか書かなくても生きてはいける。

そんなことより毎朝起きて働くことのほうが大事だよ。


みなさんだったら、おなじ目に遭ったらどう対応されるでしょうか。

2022/04/30

百葉19号と「おしゃま画報Vol.8」同時に発行と相成りました

10連休に入りましたが、早速時間を持て余しています。おしゃまです。

昨晩、夕食後に、しばらく進んでいなかった「百葉」19の印刷製本をしました。
新たに買ってきた富士ゼロックス改め富士フイルム製品のカラーモノクロ兼用紙、
前より紙質が良くなったのか平滑度が上がり、先週刷ったときはノントラブルだったのですけど、ゆうべは雨だったせいかどうか?紙送りがやはり引っかかることが数回あり、10枚くらい反古にしてしまいました。
やはり監視とまでは言わないまでも、プリンタ作動中は見ていた方が良いようです。
そして片面ずつ刷っているので、もう片面(表)を印刷する前にチェックが必須と感じました。

そして…夜更かしついでに「画報」8号も、4ページだけの体裁ながら執筆と編集をしてしまいました。
朝になったら印刷します。

2冊同時に出すのは初めてですね。

過疎blogだからこっそり書いときますが
19号の表紙写真、撮影場所は18号とほぼ同じです…



2022/04/18

百葉19号 5月発行です




みなさま、如何おすごしでしょうか。
つつがなく春を迎えられましたでしょうか。

この4月は物入りで新品のフィルムが買えず、
上の3枚は、ペンタックスQで撮影しました。
この日の雨を境に、ことしの仙台の桜は散りはじめました。

さて きょうは速報です。
帰宅後に、数日来ちまちま推敲していた詩ができましたので、
ずっと止まっていた個人詩誌「百葉」19号の編集を再開し、
本文および後記などのテクストは概ねととのったのですが
やはり2ページ空いてしまったよ…ここに表紙とは別の写真をと思い
あす以降探してみるつもりです。

銀塩写真じたいは、フォルダごとあいほんに入れてますから
出先でもみて検討できますが
このところ忙しいというか気ぜわしいというか。
そしてもっとねていたい! 膝痛い!(グルコサミンのお世話になる話しではないのよ)

でっ 19号の発行日は5月1日の予定。
今週末ぐらいには印刷して、すこしずつ手渡しをしたいなと。
いつも発送させていただいているみなさまには、大人の事情で?
いつものようにおまたせをしてしまうと思います。

きょうプリンタインク買ってきて、在庫みたら用紙が足りない。
うわーまた買わないと。

そして以前公言していた、朗読音源はどうしよう…

2022/04/14

モンタン・ビストロ・スミヤキストQ

例年以上に寒く感じた冬がおわりしばらく経ってしまいました。
毎年夏には冬が好き発言をくりかえしていましたが、今後は言わなくなることでしょう。
おしゃまです。

盛岡での学生生活を終えて地元に戻ったら、子供時代冬になると発症していた
しもやけがパタリと収まり、仙台近郊の寒さには耐性がついたと思っていたのですが
あれから約30年暖冬つづきだっただけなのではと、いまさらになって気づきました。

花巻市東和町土沢にある萬鉄五郎記念美術館で
60年代の盛岡の芸術文化を牽引した「モンタン」展が開かれていて
しかも2月23日で終了予定のところを、4月17日まで会期延長!と知りました。
1月末ぐらいだったかに教えてもらったのですが、もう次の日曜でおしまいですね。

旧「モンタン」といえば、盛岡の詩人、中村俊亮がバーテンダーを務めていたお店です。
その昔、詩集『愛なしで』を借りてよんだことがあったので、モンタンも覚えていたのでしょう。

「モンタン」という名前のお店は盛岡にいまもあるのですが
ア・ラ・モンタンというメニュウが引き継がれてはいるものの、旧モンタンとの関係は「?」です。
場所も違います。
ストビューでみたら、「やっぱビストロQだったとこだ」と思いました。

そういや、なん回かスパゲッティを食べたことがあっただけのビストロQが閉店して、
そのあとに入ったお店が、そう現在のモンタンだったっけ、と
たしか卒業まぎわの埋もれていた記憶を思い出しました。

ビストロQは、当時、倉橋由美子の初期の作品にかぶれていたおしゃまが
「スミヤキストQみたいやな」とか言いながら昼食したりしたのですが
なにを食べたか? アラモンタンかカルボナーラかそれともなにか?は
ぜーんぜん記憶にありません。残念。

はいっ軌道修正。
その土沢には2019年に写真展をみに行きましたが、NEW CORONAもといCOVID-19絶賛蔓延中のご時世に仙台から行けるのか? 
原付スクーター50ccで行こかと思ったのですが、片道6時間かかるらしい。。。
片道1時間程度の通勤でも憔悴気味のわたくしです。
まあ原付二種でも煽られるときいているのに、一種で行くのは困難だろうと諦めました。

鈍行電車で行くのもいまやノーサンキュー、新幹線なんてとんでもないというおしゃまです。
高速バスはですね、花巻を朝に出て夕方仙台発で戻る一往復のみ、花巻温泉で一泊せいといわんばかりの設定でして、日帰りでは使えません。

ほかにも私事でバタバタしてるうちにタイムアウトです。

ころなでさえなかったら…も少し早く原付二種乗れてたら…「もし○○だったら」をいくつ口にしてもだめですね。

ちなみに、現モンタンのある桜山界隈には、キリン書房という古書店もありまして
なんどか書いたと思いますが、学生時代終盤くらいに「清岡卓行詩集」現代詩文庫版を買ったりしました。
建物は新しくなってますが場所は変わりません。
盛岡冷麺・じゃじゃ麺・すたーばっくすが潰れる街もりおかの喫茶店巡りのついでにお立ち寄りいただければ。
あっ新刊書店では「さわや書店」があります。全国的な知名度も上がりましたね。
わたしが最初「詩学」を買っていたのもさわやでした。

とかなんとか、盛岡通ぶって書いてますけれども、実はハンバーグの店ベル、ご存知「びっくりドンキー」の本店?一号店?のことは数年前まで知らなかったです…まあハンバーグ食べたいかというとぜんぜんなおしゃまですが。
あれも大通にあるらしいので、もしや旧モンタン付近では?と思えどもGoogleでみてもわからずじまいでした。そりゃそうか。

2022/03/27

遅れてきた人間のぼやきと、旅に出たい気持ちと

年度末になってだいぶ落ちてきています。おしゃまです。

NEW CORONAのさなかとはいえ、春めいてきて気分良く過ごされている方も、
花粉症でつらい方もいらっしゃることでしょう。

おしゃまはどちらでもないのですが(たぶん花粉のほうが避けて行くのでしょう)、
ゆううつであります。

やはりこの国の歴史的な欠陥として、家族という単位からこぼれている人間を異端視して亡き者にしようとする強制力が、市井の人たちにもどうしようもなく暗い影を落としているのが近頃とてもうっとうしいのです。

もともと徒党を組む連中がきらいなおしゃまであります。
詩人のあつまりであれば、あくまでも独立した、他をもって代えがたい人格を有する、孤独な魂を心の奥底に有した人たちのゆるい連帯であるべきだと思うのですが、世の地域ごとに存在する詩人会というものは、だいぶわたしの信条とは正反対の組織であるようで、精神衛生上よろしくないのでわたしは参加したことはありません。

美術の人というのはもっと自由闊達で楽しく凛としているものと思っていましたが、そこに自分ではなにもつくらないけど金は出す、そしてやたら持論をぶちたがる好事家が割り込むと話はややこしくなります。

結局どこに行っても狭いコミュニティで完結させて内輪の人間関係を鉄壁のごとく閉じてしまう、セクショナリズムの権化しかいないじゃないか。

わたしは疲れた。
しばらくオフの時間は人との接触をなくそうと思う。

遅れてきた人間にはそもそも居場所なんてないんだから。

腐った場からは立ち去るべきであろう。

だいぶ前、『詩学』のあるコラムで、「詩人とは?」という一文があった。

わたしはそれを真に受けてしまったために、こんなど田舎仙台で100万人も住民がいるところでいまだに孤独である。これからもおそらく、死ぬまで。


書いているわたし自身さらに落ち込むので、話題を変えます。

ほんとはいまの段階では書かない予定でしたが
いま自動車教習所に通って、いずれ普通自動二輪免許(小型限定MT)を取得します。

もともとは片道15キロを原付で通勤するのに危険と限界を感じたからなのですが、
教習を受けているうちに、取得後購入する原付二種バイクで遠くへ行きたいと思うようになってきました。
まずあたまに浮かんだのは、震災後ほとんど足を運べていない三陸沿岸部に、
フィルムカメラ(どうも違和感ある言い方だけどとりあえず)持参で、またもおくればせながらではありますが再訪したいということでした。

さらに言うと、福島県浜通り地方には、むかし親に連れられて行ったことすらないのです。
もうすぐ50歳なのに! 
じぶんで常磐線に乗っていく計画も、いろいろあって実現しないまま今に至ります。

震災後、被災地のローカル線の多くから手を引いたじぇいあーる東日本への多大なる不信感がいまだに消えず、むしろ金持ち優遇新幹線や四季島なるバカな列車(とはっきり言っておく)でボロ儲けする会社に運賃落とすのがいやになったのです。

だから気仙沼線廃止代替バスで行くとか、そもそも考えもしませんでした。

ですが、見れば見るほどかなしくなる海岸ですが、おおげさですが老いて死ぬ前にみておきたい。

原二バイクがあれば、いけるんじゃないか。

そもそもエンジン付の乗り物はすきでしたから。
それ以上に旅もすきでしたし。

ほんとは目的地で一泊くらいしてその地域をまわるのがいいんでしょうが
ソロキャンプもやってみたいなとか…まだ思いついただけの段階だけど。

ふつうだったら軽四保有してたときにやっておけば良かっただろとか言われそうですが
あの1年間はほんとに食い詰めるんじゃないかという状況で、仙台近郊を出るほどのガソリン代もなかったのが真相でして。

原二バイクは燃費いいんですよ。リッター40~50キロはかたいんじゃないかな。
やはり軽さは正義、四輪なんて重ったるくてね。
すきなところで停車して写真撮るのも難しいと知ったのですが
ミニバイクなら容易です。

きょう、午前中に市内北部のあるところへ、OM-4ti持参で写真撮りにでかけてきました。
まだ49ccの原付一種で、速度制限もありストレスも多いですが、軽快さは変わらない。


あいにく昼すぎに中心部に戻るまで曇り空で、寒くて途中でマフラー巻いたくらいでしたので、映えない、冴えない写真なのが残念ですが。

この丘、はらっぱで一昨年秋に写したのがこちら。


たぶん一度アップしたと思うのですが再掲。
このときはCONTAX Tでした。
きょうはひとまず、あやふやだった場所を特定して、
またいつでも行けるように記憶しましたのでよしとしましょう。

2022/03/17

無事です

仙台のおしゃまは無事です。

寝ついたころに震度6強がきました。
本棚の上から平積みしてた本などが落ちました。
冷蔵庫が動いたりしましたが食器類なにもわれませんでした。

不安定な状態のものだけ落ちたようです。

毎度のことなのになにも対策してなかった、、、

停電もしてないですねうちは。

沿岸部に住んでいる友だちもいるのですが
バッテリを消耗させてもいけないので落ち着いたら連絡しようと。

みなさまご無事でありますように。取り急ぎ。

2022/03/15

前言訂正その他もろもろ

最近またお腹がすくと我慢せずに食べてしまうようになりました、おしゃまです。

紛争地域で食うや食わず、逃げまどうのが精一杯のみなさまには申し訳ないのですが
平和ボケの日本でほそぼそと暮らすわたしもまた、給料日前は綱渡り的にかろうじて食べているような状態。

お金あるときに買うべきもの買わなきゃ。お金なくなったら買えなくなるんだよ。
というへりくつを弄して、それでも必要なつみたて分は取り置きしたうえで
あとは衝動買いしてしまう。その傾向がわかってどうせ改善しないので家計簿アプリもやめました。
家計簿つけてると自己嫌悪にもなるし、一向に貧乏が改善されないのでかなしくなるし、
お腹が空いたらひもじくてね。すべてじぶんの至らなさからきてるのにね。

じぶんのだめさ加減に呆れたところで、今年に入って書いたブログの内容で訂正がいくつかあるのを忘れないように記録しておきます。

まず、百葉の19号は、3月中には出ません。

やはりあと一篇、納得のいくものを書いてから出します、というのも先に書いた二篇だけでは、中とじ12pのうち(表紙裏表紙後記等除いて)3pもどどーんとまるまる空白になるのです。実質2p分書けばよくて、いまのおしゃまの気分熱意集中力ではそのくらいが適量かと。

前述二篇のイメージも初夏から真夏ぐらいなので、その頃をめがけて書いたり編集したりと画策しております。

**

最果タヒ展は、見に行きませんでした。

***

なんか、もっとあった気がしたんだけど、これだけだったかな?

きょう仕事中に膝痛が再発 !ということで帰り整形外科行きましたら
靱帯がすこし腫れているだけで軟骨も十分にあり状態良好というレントゲン撮影の結果でした。
久々に朝雨降りで2日連続で電車通勤だったので、きらいなエスカレータにはもちろん乗らずに地下4階から地下2階、すこし下がってまた上り、というつかてちからの乗換をすべて階段利用でこなしたのですが、運動不足だったのか昇降で使う靱帯がちょっとトラブったらしい。

診察の最後に先生から「(ふとももの)筋肉ついてますね」と言われて意外!な気がしました。
なにしろいまでこそ標準体重あるものの、中学時代には骨皮筋右衛門と言われ、高校の健診結果には「羸痩」と書かれたほどの(「るいそう」漢字初めてみました笑)痩身であったわたくしなのですが、もちろん体育の時間はだいきらいで、丸谷才一氏が「スポーツは身体に悪い」と言ったとか言わなかったとかいう孫引き情報をうのみにしてみずからも吹聴するほどの運動嫌い。
それなのに、もも肉が筋肉質?

すぐ思い当たった答えが、さっきも書いたエスカー不使用でした。
さすがにデパートでは乗るし、まれに付き添いで乗ることもあるけれども。

ウエスト周辺以外によけいな脂肪がついてない…ような気がする…から?

じぶんではまったく意識してなかったです。

****

おしゃまは、いつからか鞄買うのが大好きになったので、部屋には大小さまざまな鞄がゴロゴロというありさまなのですけれども。

じつはまた買った!

990えんだったし…生地は厚くてしっかりしてるし
背負うのも手持ちも両方いけるから。
ただ肩にかけにくい。背負うのはいいが下ろすとき
ストッパがないのでひょーんと本体が下がってしまう。

なのでほかのかばんからショルダーベルトをもってきて付けました。
幸い環がついていて金具がかけられるようにできていたので。
(写真撮ったときには付けてなかった)
歩くとき、車内に持ち込むときは肩掛けが圧倒的に便利です。

でっ 使わなくなった、売却できそうなものはそのうち持っていかねばならないです。
なんといっても仙台市ではかばんは粗大ごみです。有料処分なので。

ともかくも安く良い買い物ができました。

これだからさ。
反省の色なし!





2022/02/28

造反有理と、ある敗北感について

きょうは、すこしじぶんの井戸を掘り下げたいと思います。

物議を醸した、昨年夏の東京五輪。
みなさまはご覧になりましたか。

わたくしおしゃまは、自室からTVを追放して暮らしてもうすぐまる17年経ちますが、
そういう物理的な話しをしたいのでは、もちろんありません。

JOCそしてIOCの人間たちのエゴ丸出しな態度や
折からの感染爆発のさなかの開催に、開幕前はマスコミの論調もだいぶ批判的でしたが
いざ蓋を開けてみると、いつもの五輪ピック報道が全面に押し出されていて、
わたしはひどくがっかりしたのでした。

それも日本すごいぞ的な、裏を返せば他の国なんか…という排外主義を標榜するに等しい文言が、
そう書かれていなくても文脈からよみとれる内容が、温度差はあれど感じられて
気持ち悪さをおぼえる日々でした。

荻上チキさんの番組内でも、本日のハイライト的な期間限定コーナーがありましたが
チキさんはその前後には論評なしで、たぶん不快だったことと推察します。

やっぱり日本人オリンピック大好きなんだ、あんたらには失望したぜ、な気分で
閉幕してしばらく経つまでゆううつでした。

どんなに権力者や利権にたいして批判の声を上げても、結局負けるのか。
それは国政選挙、首長選挙のたびにわたしが感じてきた敗北感ときわめて似ていました。


思えば高校生のとき、2年のときだったかな、
ものすごくお茶らけた文化祭を企画した生徒会長がいて、その前か後か忘れましたが
生徒会アンケートの余白に批判の文章を書いてやったことがありました。

即刻わたしは生徒会長に呼び出され、「取り消せ」と高圧的に言われました。
曲がったことは許さないくせに人一倍気が弱いわたくしですが、結局どういうふうに生徒会室から軟禁解除されて帰ったのか覚えていません。

「造反有理」なんて言葉を知るのはもう少しあとだったと思いますが、
10代の頃からしてそういう気質をもっていましたので、
べつに選挙でなくても、日々アンチ〇〇の精神で生きてきました。

常に負かされることを覚悟で、しかし他人を威圧し罵倒すること自体が
間違っているのだから、じぶんは節を曲げないように生きていたい。

いまふうに言うと、「マウントを取る」取りたがる連中への抵抗心でしょうか。
大昔のTVドラマで「無駄な抵抗はやめろ」云々という科白があったけど、じぶんの考えに誠実であるなら無駄でもなんでもなく、抵抗をやめさせられるいわれもない。
やめるとすれば、わたし自身の内なる声がそう言うなら、でしょうか。

**

ともかくいろんな事柄に抵抗感をもって生きています。
いまは原動機付自転車という、運転免許が必要な車両としては事実上最底辺の
四輪車にいじめられる運命にある乗物で移動しているので、
見るからに威圧的な御面相の「高級」外車やミニバンに対する敵愾心がつよい。
(実際煽ってくるのは奴らです。あとタクシー)

ノーマスクで数十分間話しつづける喫茶の客と居合わせて、いたたまれなくなり
外でその客が帰るのを待った日もありました。
どんなに内容が良くても、思いやりがないよね。そんなの賢しらにすぎないよ。

職場のなかでも、みかけるのは廊下にでて喫煙場所(喫煙所はないはずなのだがなぜかバイク置場周辺なんだな)まで歩けばいいのにエレベータで降りていくときだけの人達がいて、1時間に1回は行くものだから「たばこのみに会社に来てるんじゃないか」と思ってしまう。
部署が違うとセキュリティの関係上なんの仕事してるのかわからないものだからね。

***

話しがそれたかな。
自分の信条を曲げる気がないのであれば、世のなかの不条理に対して抵抗心をもって対峙する姿勢には変わりないはずなのですが、あまりにも負けが込んでしまっているせいか、最近はお疲れ気味で、「許さないけど忘れる」こともメンタルを守るためには択ばざるを得ないようなことになっています。
後退戦をたたかっているようなものか。

ただひとつ、なにがあっても許してはならないし忘れてもいけないのは、比喩でもなんでもない現実に起きている戦争です。
いま侵略者プーチンがウクライナに攻め込んでいますが、まだ米軍NATO軍が介入していない(はずだけど)にせよ、戦争は始まっているのです。
もしウクライナが劣勢に立たされたらなおのこと。

他国を威嚇する者あれば守るために軍事力をもつ口実になり。

どうにもつらい。考えてるだけでつらい。
よって話しに収拾つかないけれど、また敗北感をもってこの文章はおわり。




2022/02/14

美術と現代詩、おしゃまのなかでなにが違う?

みなさま、つつがなくおすごしでしたら幸いです。
まだおしゃまは元気です。

友人にメールしたら返信で「ニコンの旧い双眼鏡でミクロンというのに関心がある」と書かれてありました。
かれはわたしとは違い、カメラは長年オリンパスXA一筋?という人ですが
ボレックスの16mmムービーカメラを持っていたり、過去には映写技師をしていたほどの人物。
やはり、田中長徳氏のいうところの「さまよえるレンズ人」の血がながれているのでしょうか。
画像をみてみるとなるほど欲しい人には欲しくなりそうな、キケンな物品のようですね、笑

アンチ日本光学のおしゃまは心動きませんでしたが、動かされてしまう人の気持はわかります。

過去に雑誌で赤瀬川原平さんが、カールツァイスイエナの単眼鏡の話とかしてましたから。
わたしはまだ若造の時代でしたが。

きのう、なんとなく腐っていた折
春日町のマゼランに寄ったら、この本と目があってしまいました。


「視線はいつもB級センス」谷川晃一著、現代企画室刊 
初版は1981年と古いです。おしゃまは小学生になったばかりか。
宮迫千鶴さんのパートナーであられた(宮迫さんは先にお亡くなりになりました)谷川さん、とてもポップでユニークな方だときいてはいましたが、文章も明快で、よみはじめて快哉を叫びたくなるほどでした。

思えば高校時代に「ジェンダー」という言葉を初めて知ったのも宮迫さんの本で、
戦後ないしは近代日本の家族や男女をとりまく呪縛を脱構築しようとする姿勢にしびれましたね。
表紙カバーなどにご本人による絵がしばしば使われていましたが、思えばそれがわたしが初めて接した現代美術、ないしはポップアートであったのです。

いまときどきおしゃまも絵を描くようになって、下手はへたなりに理屈というか理論武装というか、ああでもないこうでもないと脳内でぐつぐつ蒸し返すことがあるのですがね。
またギャラリーをわたりあるいて、ときに作家さんと話しをすることも多くなりまして、段々考えが固まってきたのですが…
多少思想的に未分化でも、技術的に未熟でも、作品制作にあたってはべつに障壁にはならない。
その人の内的な衝動、表現欲求が強ければそのほうが重要なのではないか

もちろん、おなじことを現代詩の実作にあたって援用することはできません。
むろん詩もひとりひとりすべて方法論は異なるから、あくまでおしゃま的な立場で言っているだけですが。

おしゃまの詩を知っている人が、最近の同じ作者の手になる絵をみて
世界観の違いといいますか、作風がまるで違うことを指摘してくださったことがありました。
詩は内向的な色あいが漂いますが、絵を描くとなるとなんだか楽しくなってしまって、ついついあそびたくなり悪のりしてしまう。明るい雰囲気になる。
わたしの絵の師匠的な人が(向こうはそんなつもり無いと思うけど)そう仕向けてきたのがおもな要因だったりしますが、その人が言外に言わんとすること、わたしに伝えたかったことを、さきほど上に太字で強調した部分ですが、おしゃまなりに言語化したにすぎません。

おしゃまさんの絵の変遷は、noteの「おしゃまの絵」マガジンをご参照いただければ明瞭かと思います。

今晩も谷川さんの本をよみつつねることにします。

2022/02/03

「こんな時に」詩が書けたということについて

みなさま、つつがなくおすごしでしたら幸いです。

日曜日にギックリきて大変だった、おしゃまです。

現状の、東京など都市圏や、忘れてはならない沖縄などの目を覆うような(目にははっきり見えないかもですが)状況にくらべれば、ほんとに大したことではないのですが。だいぶ回復しましたし。

東京にいる同郷の古い友人に「元気か」とメールして、なんかじぶんが軽はずみなことを言ってしまった、聞いてはいけなかったか…と不安になりました。

そんななか、相変わらず詩歌文学や写真に傾注できているのが、なんだか申し訳なく思えますが、うたかたの生存証明をものしているだけだと言い訳をして…だって一銭にもならないし興味ないとか中味がないとかでポイされる可能性の方が大きいんだよ。おしゃまの書いてるものは。まあそれがいいとも前に書いたはずですけれどもね。

まあ、とにかく、半年以上かかりましたが、一篇の詩がまた書き上がりました。

もうひとつ書けたら19号をつくります、と暢気なことを言ってられない気がするので、早いとこなんとかすべきだろうか…悩みます。

3月中には発行したいものですが。

**

どんな内容であれ、おしゃまの詩は切実な魂の表現でありたいと思って書いてきました。

今回もそうです。

この時代において変化し、難しくなっていることを念頭に、わたしからのコールであると同時にわたし自身を問う(=リコール)内容になっているといいなと書き終えて思いました。

これこそは百葉というフリーペーパーとして、ぜひとも読者のみなさまへ手渡していきたいと願う一方、それを阻害する要素が世界を取り巻いていることも承知しています。

なので、発行したら同時に、音声データをnoteにアップしたいと考え、ゆうべ深夜にあいほんのアプリ開いてこっそり朗読練習を始めました。

どなたでも聞けるようにしたいと考え、いつものことですが無料公開する予定です。

ほんとはおしゃまYouTubeにも上げたいのですが、あれ低評価ボタンあるでしょう。なので当面はありません。あちらは基本カメラネタだけでやっていくつもりです。


ある日の朝6時過ぎ、仙台市内某所。
新品フィルム切らしてしまったので久々にペンタQで。
01標準レンズで開放。
設定次第なのだがやはりイメージより明るく写ってしまうので、マイナス3段補正をかけた。


2022/01/25

OLYMPUS OM-SYSTEM G.ZUIKO 50mm f1.4で撮ってみた

さむいですね!  みなさまオートロンに負けず…ペンタックス好きでもおっさんしか覚えてないわ…ズミクロンにも負けずにつつがなくおすごしでしょうか。

2022年も写真づいています、おしゃまです。

意味不明のだぢゃれからきょうは書き始めましたが、
ペンタックスはデジのQ10(売却)と、現有機Qと
そのはるか昔、学生の時親から借りたたぶんAF一眼レフを
短期間使っていましたっけ。
いまとなっては機種名も思い出せず
ただレンズをどっかにぶつけてこっそり修理に出したことだけは覚えている。
すねっかじりだったくせにどこにそんな銭が…いま当時のわたしが別にいたら
張り倒したいです。

まだ実家のどこかにありそうだけど。
使ってないのは間違いないが、くれると言われてもいらん。

さて!前置きが長くなって申し訳ありません。
そうだペンタではなくてオリンパの話しをしたいのだった…

今月、またカメラ屋さんでOM-4tiにつける交換レンズを買ったのでした。
50mmf1.4 以前苦手だった焦点距離です。

いわゆる銀枠という、マイナーチェンジ前の
マルチコートされてないというレンズです。

純正フードがついています。
50mmf1.8、35mmf2.8にもつかえるものです。


当初は広角寄りの感覚でファインダーをのぞいて
入らないなあと後ろにさがることがありましたが…



慣れるとなかなか絶妙な感じで被写体が収まる感じが快く思えます。


旧電車通りの向かい側にある建物もうまくフレームに

広角ほどではないけれど 引きがとれれば遠景も苦手ではなく



わりと近くに寄れるのです。マクロレンズほどじゃないですが




曇り気味の空だったので、河原から上を見上げて開放で撮ってみたら
こんなに被写界深度が浅くなる。
1/500秒が限度のコンパクトカメラでは、たとえf2.8であっても
開放絞りを日中使うのは難しいものですが、
一眼レフだとこういう表現も可能なのだと知りました。
このカットについては好き嫌いあるでしょうけど。⇣



この前現像した分では、開放付近を多用したきらい無きにしもあらずで
赤城耕一さんが書いていたように、「少し絞り込んだだけで、急激にコントラストが増す」感覚を実感するには至っていないですが
久々の標準レンズ、いまになっていいものだと知りました。

2022/01/18

2月3日「襲来」最果タヒ展@仙台 


まずはこれをご覧ください。
きのう貰ってきたものですが…

そうです、最果タヒ展が仙台にやってくるのです。
2月3日から27日まで、仙台パルコで開催です。

そういえば、最近の詩集はよんでいませんね。
別に愛想をつくしたとか、飽きたとかではなく
とにかく多作だし、追いかけてよむのもたいへんというか。

雲の上の人の書いたものを追うより、いまじぶんに書けるものを
手探りで書くことのほうが、おしゃまにとっては先だという気がする。
なにしろ、こっちは書いても配ってもまったく壱円にもならないのですから
よんでみてつまらなかったらポイされる恐れなきにしもあらず、
そういう切実な位相にいるのです。

別にどっちがどうということを言いたいわけじゃなくて
すこしでもいいものを読者に差し出したいという思いは同じだと思うのです。

だから、まあ、見にいくとは思います。
詩人という肩書が、仙台の一般人にどれだけアピールするか未知数ですが。
TVで紹介されたりCMも打ってくるだろうから物珍しさで集まりますかね。
県美術館に泰西の名画が来るときと同じ。
ぜんぜん縁のない人たちも押し寄せるか。

それもいいとは思いますが、そこから深みにはまる人はまれな気が。

困るのは世間一般にはびこる有名病か。
有名かどうかだけがだいじなひとたちいるでしょう。
かれらに篩にかけられるのはわたしのような無名人です。
別にいいけど。
本質とは関係ない。

この文章こそ本質的な場所からはとおいですね。
申し訳ないです。



 

2022/01/12

詩が動きだす、瞬間

みなさま、つつがなくおすごしでしょうか。

2022年も、おしゃま色に! をよろしくお願いします。


*   *   *

ええっと、先にnoteにリポートを上げてしまったのですが、
大晦日は純喫茶・星港夜でのどうやら最後の年越し珈琲。

それから仕事始めまで、ぼやぼやして過ごしました。

どんだけ眠ったでしょうかね。。。

そのあとすぐ成人の日の連休があったりして、なかなか電源が入らない日々でした。

そお、電源といえば、
その連休中にデスクトップPCの電源ユニットを交換しました。
もともと400Wがついていたのですが、昨年中古のHDDを入れたら
いろいろあって動作が不安定になり、ついには故障。

しばらく放置していましたが、Windows10の再インストールでふっかつしまして、
写真が入っているHDDと、さらにもう一個ドライブを増設しても余裕があるくらいの出力が欲しく、650Wに強化しました。

もともと友人が組んでくれて格安で購入したものです。
これで百葉やおしゃま画報の制作もしたいので、ほかにも(ごにょごにょ)しましたが
まだプリンタがドライバ古すぎてそもそもインストールできないし、
office2007(うちにインストールディスクがあるのはこの旧いもの)も入れてない。

例によってまた室内から発掘しなければなりませぬ。


**


そんなだったので、元日から詩作に打ち込むわけでもなく、
おそいスタートではありました。
きのうあたりからようやく、昨年ノートに書いていた種を育てるようなかたちで
本年の詩作がはじまりました。

また以前のおしゃまの詩みたいな、重めの内容ではありますけれども。

だいぶ前に書いたはずですが、おしゃまの詩作ノートは、ここ5,6年くらいは
A5判のリングノートです。
水玉ドット大好きなおしゃまさんですから、表紙もそういうのをえらんで買っていたのですが、いっときの流行がおわったのか? 最近どこにも売ってないですね。
ある集まりで「枯渇してきたので探してください」とか言ってたりもしたのですが
その後ダイソでこんな感じのを売ってた時期があり、見つけたらまとめ買いして
現在6冊未使用でストックしてありす。
あと数年はもつんではないかな。
この表紙も見なくなりました。

話しがそれましたが、ああでもないこうでもないと
ノートに書きつけ書き直しするのは、充実感があります。
詩にいたる病い、憑かれたものの宿命でしょうけれど、
詩がまだ見えざる最後の一行に向かって動きはじめる時というのは
いいものです。



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