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2017/10/18

手放していくもの

またしても、しばらく間を空けてしまいました。
おしゃまは、生きております。

気落ちして、衰弱していることもしばしば、ですけれども。
浮き沈みが大きいことは、否定できないです。

詩作のほうは、一進一退、でしょうか、ねえ……
ともかくも、毎日ノートかGoogleドキュメントか、どちらかは開くようにしています。
案外ちかいうちに、一篇書き上げるかも知れない、そんな予感もあります。

もうずっと、『百葉』という個人詩誌で詩を発表してきたのですが、
いったん書き終えた詩にかんして、あまり執着がなくなってきた気がいたします。
ときどき、じぶん用の「みほん」をひらいてみないと、
過去作の内容など、よく覚えていないことがありまして。

当初にくらべたら、過度な思い入れのようなものも薄くなり、
書いているさいちゅうでも、割と客観的にみているように思います。

なんでかな?と考えて、思い当たったことがひとつ。

3篇くらい詩ができて、詩誌を発行して発表するたびに、
じぶん自身のなかのもやもやとした思い、書きながら考えていた
いろんな雑念あるいは煩脳を、手放していくことが
できるようになったのかな……と。

話すことは放すこと、という言葉もあるようですからね。

おしゃまは凡俗な人間で、ふつうだったら取るに足らないような
ささいなことで怒ったり、世をはかなんだり、していますので、
それが、抽象化しようと努力はしているものの、
詩にも表れがちなのです。
おしゃまの詩は暗いとか、うしろ向きだとか思う方も多いかと思いますが、
それはふだんのわたしが実際にそうして生きているからで、
どうあがいても拭いきれないものです。

そんななかでも、気分がすっと晴れたりすることがある。
そこを表現したいと、考えてはいるのです、けれど。

底の浅い共感とか、同情とか、前向きに生きよう的なメッセージ性ばかり
前面に押し出した作文を詩だと思っている人とは、
正反対のことを書こうとしているのを、まさか表立って
発表媒体に付記するわけにはいかないので、
こんな場所でこっそりと、ちいさな声で言っておくにとどめます。

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