またしても、しばらく間を空けてしまいました。
おしゃまは、生きております。
気落ちして、衰弱していることもしばしば、ですけれども。
浮き沈みが大きいことは、否定できないです。
詩作のほうは、一進一退、でしょうか、ねえ……
ともかくも、毎日ノートかGoogleドキュメントか、どちらかは開くようにしています。
案外ちかいうちに、一篇書き上げるかも知れない、そんな予感もあります。
もうずっと、『百葉』という個人詩誌で詩を発表してきたのですが、
いったん書き終えた詩にかんして、あまり執着がなくなってきた気がいたします。
ときどき、じぶん用の「みほん」をひらいてみないと、
過去作の内容など、よく覚えていないことがありまして。
当初にくらべたら、過度な思い入れのようなものも薄くなり、
書いているさいちゅうでも、割と客観的にみているように思います。
なんでかな?と考えて、思い当たったことがひとつ。
3篇くらい詩ができて、詩誌を発行して発表するたびに、
じぶん自身のなかのもやもやとした思い、書きながら考えていた
いろんな雑念あるいは煩脳を、手放していくことが
できるようになったのかな……と。
話すことは放すこと、という言葉もあるようですからね。
おしゃまは凡俗な人間で、ふつうだったら取るに足らないような
ささいなことで怒ったり、世をはかなんだり、していますので、
それが、抽象化しようと努力はしているものの、
詩にも表れがちなのです。
おしゃまの詩は暗いとか、うしろ向きだとか思う方も多いかと思いますが、
それはふだんのわたしが実際にそうして生きているからで、
どうあがいても拭いきれないものです。
そんななかでも、気分がすっと晴れたりすることがある。
そこを表現したいと、考えてはいるのです、けれど。
底の浅い共感とか、同情とか、前向きに生きよう的なメッセージ性ばかり
前面に押し出した作文を詩だと思っている人とは、
正反対のことを書こうとしているのを、まさか表立って
発表媒体に付記するわけにはいかないので、
こんな場所でこっそりと、ちいさな声で言っておくにとどめます。