きょう、ふいに思ったのだけれど、わたしの強みってなんだろうと。
あたまは決して良くないし、肩書も地位もないし、持ち家も財産も車も、なんにも持ちあわせがない。
ふつうだったら、完全に負け組だと思い、落ち込むような要素ばかりなのだが。
あまのじゃくのせいかどうかも、じぶんながらよくわからないが、わたしの強み、それは「なんにもない」ことではないかと。
幸い、仕事もあるし、友だちもむかしよりは増えているし、本もそこそこ持ってはいるし、ほかに趣味がないわけではない。
けれども、なんといったらいいのか、わたしはからっぽなのだろう。
以前、徒手空拳で、ということも書いたけれど、意味合いとしてはそれと似ているだろうか。
詩を書くうえで、だいじなことというのをむかしの『詩学』誌上のコラムでよんだ記憶があるけれど、そこには「定住」は創作の敵、妨げになる、といった意味のことが書かれていた。
詩をかいているだけで幸せな人こそ、詩人なんじゃないか、みたいなことも。
まっさらなノートを前にして、無為の心境で、思いついたこと、かきたいことを綴っていく幸せ。
それには、括弧つきの「思想」もいらないんじゃないかと言ったら、角が立つだろうか。
なにか立派そうなことを、小難しく表現して煙に巻くような、そんな詩は、わたしは敬遠してしまう。
もっとからっぽなことを、日常の言語とはちょっと位相のちがう言葉で書き記すのが、わたしにとっての詩作の姿勢なのである。