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2014/08/11

仙台ポエトリーフェス2014に行くの記

8月9・10日の二日間、仙台市のギャラリー ターンアラウンドで、「仙台ポエトリーフェス2014」が開催された。

わたしは、いち観客としてみに行ったのだけれど、各出演者の個性とともに、ふだんはよむばかりで、きき慣れない詩の言葉を存分に浴びて、かるい興奮とたのしさをおぼえた。

誌上でしか知らない詩人たちが、目のまえで詩を朗読し、詩について語り、つどう光景は、地方でひとりで細々とまずしい詩作をつづけるわたしにとって、非日常のものだった。
一日目の夕方あたりからの、会場内のカオスな雰囲気がさらに良かった。



二日目の座談会「明日、私がいなくなったならば」については、出演者4人の発言について開催前から興味をもっていた。
こんなことを言うと身も蓋もないけれど、わたしが死んだら、わたしの詩など、残ることはないだろうという自覚があったからである。
それぞれ、なん冊かの詩集をもっていて、執筆活動をつづけておられる方々なので、わたしのような発想はないのだろうなと思っていたが、高塚さんが「百年後に一篇だけでも残っていればいい」、
及川さんが「人類史は有限であるとすれば残らない」という意味のことをそれぞれ言われていたので、弱小詩人のわたしとしては、へんかも知れないが安堵した次第である。

個人的には、TOLTAの山田亮太さんと、プログラムのあいまにお話ができたのが嬉しかった。
昨年、仙台でのトルタバトンテンのイヴェントでお会いして、一年振りに再会できたわけだけれども、ほとんど無名の、しかも人見知りするわたしにも、しずかに話しかけてくださって、TOLTAの実験的なパフォーマンスの目指すところについて、説明していだだいたのが有難かった。
山田さんが朗読された「戦意昂揚詩」という作品についても、美しい言葉がときに危険な意味合いをもってくることを、またもしふたたび日本が戦争をはじめたとしたら、どういったことを書くかという、シミュレーションとして書かれた詩であると、おしえてくださった。

今回のフェスで、もっとも身に沁みて、心にのこる詩であった。
山田さん、そしてすべての出演者のみなさま、主催の武田さんと一方井さんに感謝したい。

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