先週は、ひさびさにいろんな友人や知人に会いに行きました。
このところ、週末はひきこもって暮らしていましたから。
そのせいか、あるいはもともとのおしゃまの性分なのか、
なにか話したいことがあってもうまくしゃべれない、そんなもどかしさと
ひけめを感じることがしばしばでした。
ひとりでいるときに起きたことを闊達に話すことはあっても
他人と思いを共有できるような経験が希薄なのです。
そういう世界から隔絶されている、遠ざけられていると思うことしばしば。
じぶんが異質な存在であると感じ、疎外感に苛まれ、やるせなくなります。
みずから択んだ孤独はすきなのに、また友人と話すこともすきなのですが
未知の人や、よく知らない人とうちとけるのがとても不得手で。
仕事みたいな場で、わたくし的な感情抜きで話すことには支障はないのですが。
言葉をつむいで生きているつもりなのに、現実の言語とはひどく折り合いがわるい。
どうしたことでしょう。
*
さいきんは肋間神経痛にも悩まされている、おしゃまでした。
先日、また詩を一篇書きました。
11月下旬くらいから、またあーでもないこーでもないと
じぶんの心のうちを探るようにして言葉をつまみあげては
ノートに書きつけて…それはいつも通りなのです、が。
どういう帰結になるか、書き終える日までわからなかったのは事実です。
まあそれもいつもかな?
ざっくり申し上げて、こんどの詩のテーマは「不眠」でした。
でした、と過去形ないしはひとごとのように流しましたが、
これも最後の行が導かれるまで、じぶんで書いていながら
気づいていなかった。
四捨五入すれば50になんなんとする中年がなにを、と笑われそうな気もしますが
中二病的なモチーフも含まれているような気もする…
じっさいのところ、おしゃまはふだんは寝つきは良いのです。
とくに枕もとに詩のノートと万年筆を置いておくと
気もちが落ち着くのです。
たといなにも書けないとしても。
週末に夜更かししても、時間帯がずれるだけで
結局眠ってしまいますね。
ちなみにいま土曜日の25時。
そろそろねむりたい気分ですが…