ページ

2021/07/18

ラジオの話しなど

毎週「赤江珠緒たまむすび」月曜日をradikoプレミアム+タイムフリーできいています。

最近はいつも週末か、聴取期限の月曜日の昼休みからききたいコーナーだけ、という困ったリスナーではありますが。。。

月曜の15時台は小田嶋隆さんが出演されて、赤江さんやカンニング竹山氏と時事ネタでおしゃべりをしているのです。

小田嶋さんレギュラーの番組は、TBSラジオ以前は東京FMの夜のニュース番組の木曜日にあったのだが、番組ごとなくなって(その後時間帯は変わったが復活してる。どういうことだ)デビュー以来のファンとしてはさびしい思いをしていたら、なぜ知ったかわすれてしまったけど月曜日のたまむすびに出演されていて、紹介される短文のコラムも舌鋒鋭く、いいなあと思ってしまう。

ちと横道にそれてしまうが、j-WAVEで2001年から続いていた「JAM THE WORLD」も、司会をのぞく出演者全員(津田大介、青木理、安田菜津紀、堀潤の各氏)降板させられて、番組はジャーナリスティックな要素をほぼ脱色されてしまった。なので「リニューアル」初日途中で早々にチューニングを変えた。二度ときかないだろう。いったいなにに屈服したのか。

おしゃまがひとり暮らしを始めた16年前にはもうスタートしていて、まだradikoがなかったので地元のコミュニティFMで自前の番組がない時間帯は大半がJ-WAVE流していたので、当初からTVなし生活をしていたわたしのよき情報源となりました。んで自室にインターネット開通してからradikoが始まるまではウェブサイトでストリーミングしてましたが、そののちradikoプレミアムがスタートしてすぐ有料会員になりました。

でジャムですが、歴代出演者たぶん数十人以上になるのでは…
印象に残っているのは遥洋子さん、高瀬毅さん、なくなられてしまった竹田圭吾さん、あとはwikipediaみて思い出すくらいですが、多士済々、左の人もいれば右の人もいたんですよね。

政権による言論弾圧はいい加減終わりにしてほしいけど、おわらないことはないですから。(人の命は有限、その点に於いては誰もが平等です)

さて、大事なことを先に言っておいて、あとは思い出を交えて思うままに。

でっ7月12日のたまむすび、小田嶋さんが取り上げていたコラムの一本は
「横断歩道で手を挙げるのは効果がある」という話題でした。

「手を挙げて横断歩道を渡りましょう」をツービートが三回転くらいひねった挙句に
「赤信号みんなで渡れば怖くない」が生まれたのだと思いますが、
子供時代うちでは土曜夜はドリフターズ一辺倒だったので(父親の趣味で)、母親が週末ごとにキレていた記憶しかないけど、「ひょうきん族」は見た覚えがないのです。
当時の漫才みても小学校入りたての洟垂れに意味わかるわけないので、だいたい後からきいた話しからの邪推です。
もっともまだビートたけしも若手だったから番組ではパシリ的役回りで出演してるのもみかけた記憶があります。

むかしは道路渡るときにドライバーにらみつけて「止まれよ。」という勢いでしたが
歳のせいかな? 人格が丸くなったからかそんなむちゃはしなくなりました。

**

いまはJ-WAVEは週に一回、日曜20時の「TRAVELLING WITHOUT MOVING」をきくだけです。放送開始からほぼ毎週きいてるのではないかな。
とにかくオンエアされる楽曲がとてもいい。野村訓市さん(おしゃまと同い年です)のとつとつとしたクールな語り口、そして
世界中を旅してきたかれと、メッセージを送ってくるリスナーの尽きない旅のエピソードをきいていると、サザエさん症候群なるものとは無縁でいられる。心地よい一時間です。


最近はTBSラジオと、FM802と姉妹局FM COCOLOの番組ばかりきいてますが、
そのことはまたいずれ。

2021/07/11

ひさしぶりに、列車に乗って(県内です)

ぼやぼやしているうちに7月も半ばじゃないですか!
近況ですが…
月初めに故障して起動しなかったデスクトップPCにWindows10を
インストールし直したらあっさり治りました。
PCいじるには初心者以前に基本を知らないおしゃまですが
ぐーぐる先生頼りにやったらできるものですね。
もっとも基本あやふやなままHDD増設して パーテーションいじったら
故障したわけで…もう一台正常なノートPCあったから インストールディスクも
作れたわけでね。

さて 一部の写真はnoteに先に上げたのですが
6月下旬のある週末、ある無人駅を訪問してきました。
仙台から電車で40分余。でも片道770円だかしましたねえ。でも県内ですよ県内。





降りてみたのは東白石駅です。
だいぶ前、悪天候の日に通りがかり、下りホームが河岸ぎりぎりの位置にあるのが
印象に残っていて、写真的にもいろいろ現地でやってみたかったのですが。



当然といえば当然だけど ホーム上で白石川をバックにして三脚立てて139Qで
自撮りというのはあきらかにむりでした。
駅を出て 対岸の公園にトイレがあるようだったので 東(北かな?)側の橋をわたって
梅雨にしては天気も良かったしいい散策になったのですが、公園の隣には慰霊碑が…
約40年前の小学生だったおしゃまは、社会科の時間に郷土の歴史の勉強があったのですが 副読本に、大昔に川で溺れた児童を助けようとして殉職した女性教諭の事故が載っていまして、その現場がこの白石川だったのでした。
慰霊碑とか見ると涙腺が決壊しそうになるおしゃまは、なので慰霊碑の写真なぞ撮れず。

ひとりでこの辺はじめて通過したのは、受験で福島県内に普通列車で向かったときではないかと思われ、小学3,4年の記憶なんてもうすっ飛んでるし、県内とはいえ当然土地勘もない遠方の話だったので、まさかいまごろ、偶然ですが現地に行くとは思わなかったです。
白石川は結構川幅も広く とうとうと水量も豊かで 落ちたりしたらそれこそ危険そうで またわたしが渡った橋は近かったものの 駅付近から白石方面をみても橋なんかみえなくて…で駅の対岸は民家もそこそこありますがどうやら蔵王町らしく 東白石といえどここはどこ?的なところで駅側の周辺に民家はわずか。まさかそんな人いないと思うけれど間違って降りたら大変そうでした。

ちなみに受験は郡山だったのですが、新幹線代もらっていたにも拘らず鈍行列車に乗って特急料金を浮かせ、着いてから駅前の昼なのに暗いアーケード街の書店で岸田衿子さんのエッセイ集と、たしか宮迫千鶴さんの本も買った記憶あり。そんなだったので当然不合格になりましたが、おかげでその後(補欠で)盛岡に行くことができましたし、歯学部の学生が巾をきかせていたという郡山の某大学の文学部はその後不祥事で潰されてしまいましたので、行かなくて良かったです。世のなかなにがあるかわかったものじゃないですね。笑

ブログ アーカイブ