年度末になってだいぶ落ちてきています。おしゃまです。
NEW CORONAのさなかとはいえ、春めいてきて気分良く過ごされている方も、
花粉症でつらい方もいらっしゃることでしょう。
おしゃまはどちらでもないのですが(たぶん花粉のほうが避けて行くのでしょう)、
ゆううつであります。
やはりこの国の歴史的な欠陥として、家族という単位からこぼれている人間を異端視して亡き者にしようとする強制力が、市井の人たちにもどうしようもなく暗い影を落としているのが近頃とてもうっとうしいのです。
もともと徒党を組む連中がきらいなおしゃまであります。
詩人のあつまりであれば、あくまでも独立した、他をもって代えがたい人格を有する、孤独な魂を心の奥底に有した人たちのゆるい連帯であるべきだと思うのですが、世の地域ごとに存在する詩人会というものは、だいぶわたしの信条とは正反対の組織であるようで、精神衛生上よろしくないのでわたしは参加したことはありません。
美術の人というのはもっと自由闊達で楽しく凛としているものと思っていましたが、そこに自分ではなにもつくらないけど金は出す、そしてやたら持論をぶちたがる好事家が割り込むと話はややこしくなります。
結局どこに行っても狭いコミュニティで完結させて内輪の人間関係を鉄壁のごとく閉じてしまう、セクショナリズムの権化しかいないじゃないか。
わたしは疲れた。
しばらくオフの時間は人との接触をなくそうと思う。
遅れてきた人間にはそもそも居場所なんてないんだから。
腐った場からは立ち去るべきであろう。
だいぶ前、『詩学』のあるコラムで、「詩人とは?」という一文があった。
わたしはそれを真に受けてしまったために、こんなど田舎仙台で100万人も住民がいるところでいまだに孤独である。これからもおそらく、死ぬまで。
*
書いているわたし自身さらに落ち込むので、話題を変えます。
ほんとはいまの段階では書かない予定でしたが
いま自動車教習所に通って、いずれ普通自動二輪免許(小型限定MT)を取得します。
もともとは片道15キロを原付で通勤するのに危険と限界を感じたからなのですが、
教習を受けているうちに、取得後購入する原付二種バイクで遠くへ行きたいと思うようになってきました。
まずあたまに浮かんだのは、震災後ほとんど足を運べていない三陸沿岸部に、
フィルムカメラ(どうも違和感ある言い方だけどとりあえず)持参で、またもおくればせながらではありますが再訪したいということでした。
さらに言うと、福島県浜通り地方には、むかし親に連れられて行ったことすらないのです。
もうすぐ50歳なのに!
じぶんで常磐線に乗っていく計画も、いろいろあって実現しないまま今に至ります。
震災後、被災地のローカル線の多くから手を引いたじぇいあーる東日本への多大なる不信感がいまだに消えず、むしろ金持ち優遇新幹線や四季島なるバカな列車(とはっきり言っておく)でボロ儲けする会社に運賃落とすのがいやになったのです。
だから気仙沼線廃止代替バスで行くとか、そもそも考えもしませんでした。
ですが、見れば見るほどかなしくなる海岸ですが、おおげさですが老いて死ぬ前にみておきたい。
原二バイクがあれば、いけるんじゃないか。
そもそもエンジン付の乗り物はすきでしたから。
それ以上に旅もすきでしたし。
ほんとは目的地で一泊くらいしてその地域をまわるのがいいんでしょうが
ソロキャンプもやってみたいなとか…まだ思いついただけの段階だけど。
ふつうだったら軽四保有してたときにやっておけば良かっただろとか言われそうですが
あの1年間はほんとに食い詰めるんじゃないかという状況で、仙台近郊を出るほどのガソリン代もなかったのが真相でして。
原二バイクは燃費いいんですよ。リッター40~50キロはかたいんじゃないかな。
やはり軽さは正義、四輪なんて重ったるくてね。
すきなところで停車して写真撮るのも難しいと知ったのですが
ミニバイクなら容易です。
きょう、午前中に市内北部のあるところへ、OM-4ti持参で写真撮りにでかけてきました。
まだ49ccの原付一種で、速度制限もありストレスも多いですが、軽快さは変わらない。
あいにく昼すぎに中心部に戻るまで曇り空で、寒くて途中でマフラー巻いたくらいでしたので、映えない、冴えない写真なのが残念ですが。
この丘、はらっぱで一昨年秋に写したのがこちら。
たぶん一度アップしたと思うのですが再掲。
このときはCONTAX Tでした。
きょうはひとまず、あやふやだった場所を特定して、
またいつでも行けるように記憶しましたのでよしとしましょう。