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2014/02/12

錯覚

 ここ二週間ほど、詩作は停滞している。

 通勤時の電車内でのよみ書きも、あまり捗っているとはいいがたい。
というか、車内でしか本がよめないという状態が問題だと思う。

 貧すれば鈍す、という言葉が適当かどうかわからないけれども、あたらしい詩集も買えていないし、まあ次々よみ飛ばすのもそれはそれでよくないことだが(自戒)、じっくりと腰を落ち着けて本をよむ態勢が、とれていないのだろう。

 つかれてかえってきて、一応インターネットも閲覧して、わりとおそい時間帯まで起きているので、時間を割くことは可能なはずなのだが。
 数年前までは、就寝前の読書の時間が貴重だった。
 現在は、おそすぎるのと視力の低下が心配で、横になっての読書は控えている。

 芳しくない話しばかりで、われながらなさけないけれど、わたし自身、じつはこういう凡庸な人間なのだから仕方がない。
 しかし、こういうわたしが徒手空拳で、立派そうなことを自信に満ちてかいているひとたちと対峙するのであるならば、貧寒とした現実から言葉を拾っていくしかない。べつにそう限定する必要もないのだけれども、地べたで書かれた言葉が、力をもつに至らなくてもかすかに光りを放つような、そういう錯覚から詩を書きはじめたのではなかったか。
 そうでなかったら、とっくに書くことをやめていたにちがいないのだ。

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