日々の生活のなかで、疲弊し切って、ぼろぼろになりそうな、そんな夏が、なおもわたしのまわりでつづいている。
語るに落ちた人びとのこと、言いたくても言えなかったわたし自身の意思、うわついた世間への憎悪、そして、それらにたいして無力で怠惰に過ぎたじぶん自身にたいする失望……どれも、現実に立ち向かういかなる力も持ち得なかった、わたしの貧しい言葉をやせ細らせ、消耗に至らしめ、肉体すらも圧し潰すにじゅうぶんな要素だった。
そもそも、声を張りあげるのは、得意ではないし好きでもない。
声高に、言うべきほどの信義も思想もないくせに、みずからの領分と利益だけは確保しようとする輩に対しても、無言という、抗議とも言えないほどの抵抗しかできず、肩身のせまい、生きにくいところにじぶんを追い込んできたと思う。
かれらに対して、わたしの発する言葉など、まったく問題にならないだろう。
聞く耳をもたない人間と、和解しようとすることは、断念せざるを得ない。
わたしにとって、言葉は武器にはなり得ないし、身を守る鎧でもない。
強弁しようとしても、まったくむだなことは、痛いほどわかっている。
だから、議論や論争などといったものからは、逃げおおせるものなら極力逃げたいし、闘うに値するほどの敵が、言ってみれば好敵手とも呼べるような者は、周囲には存在しない。
ただただ、言葉にならないような相手、宿敵しかいなかったということが、わたしにとっての最大の不幸なのだと言ったら、貧困や差別、戦禍のなかで生きている人たちに対して失礼だろうけれど。
このひと月あまり、いやそれ以上前から、詩らしきものはひとつもできていない。
げんなりするような日々のことは理由にしたくないけれども、じぶんのよわさ、甘さも含めなければならないけれども、それにしても、こんな生活がいつまでつづくのか。
生きることを断念するほどのことではないし、じっさい生きているのだから、いきなり生命を絶たれるのは苦痛をともなうに決まっているのだが、すくなくとも平穏な心で働き、食べていけることだけは望みすぎても罰など当たらない、と思う。
はやく秋がきてほしい。
実りの秋をむかえるには、あまりに準備が足りないけれども。