こんどは、公募写真展に作品を出すことになったおしゃまです。
昨年の「ちいさな詩の朗読会 第一章」以降、表立っての活動はしていなかったけれど、じつは写真展の準備をしていたのです。
むろん、個展をひらくほどのものは、なんにも持ちあわせがないのですが、作品数5点、ギャラリーの壁面2面を借りての発表でしたら、なんとかできないことはない、と思ったのです。
そのあいだ、多忙と気ぜわしさのためか、もしくは怠惰のためもあるとは思いますが、詩のほうは一篇もできていません。
あまり詳しくは言えないけれど、気が荒れていたというか……荒れている、とは、肌荒れのようなものだと思っていただくとわかりやすい(?)だろうか。
今回の写真にかんして、すこし能書きふうなことを述べるとすれば、ある偶然で変わったエフェクトがかかってしまった銀塩写真(フィルムですね)のプリントをみて、なにかの萌芽のような、いままでわたしが撮ってきた写真とはまた別の世界が急にひらけてきたような気がしたのです。
茫洋とした、絵画的にも見えるけれども、まぎれもなく写真であるという。
偶然性、一回性の芸術であり、作為が必ずしも成果を生まないジャンルである点も、好ましく思っている。
反面、今回展示する写真のようなものが、もう写すことができないのではないかという淋しさ、危惧も同時に感じている。
詩はいちど書きおえたら、作者の手をはなれて、二度と同じものは書けないと思っている。
たぶん、それでいいのだし、自己模倣のスパイラルに陥っては、読み手にとってもたいくつであろう(あるいはそれが不安で、現代詩を遠ざける人もいるだろうけど)。
今後も絵画的な、夢でみたことがあるような写真を撮りたいという方向性はできたけれども、同じ手法をただくりかえしても、同様の結果は生まれないかも知れない。
そんな共通項があるように思われた。
写真展の詳細は、以下のサイトをごらんください。
http://www.kalos-gallery.com/exhibition/sha-gaku_vol10.html