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2016/06/27

あってはならない

偏見と差別、について、まだはっきりした結論にはたっしていないけれども、考えている。

東洋の小さな島国である日本にも、内外を問わず、そうしたものがはびこる余地があるのが、
なんだかくやしいというか、腹立たしいというか、かなしいのである。

6月23日は沖縄慰霊の日だったが、その日の式典に臨んだ内閣総理大臣のスピーチには、
はっきり二枚舌を使い分ける、もっと言うと平気で嘘をつける人が、この国の将来を任されていることの危うさをおぼえずにはいられなかった。
ほんとうに考えていることを、いくらアウェーの立場だとはいえ、おくびにも出さない態度には、不気味さを感じた。
まあ、あの場であえて喧嘩を売るような人間が宰相であるのも大いに困るけれども、ある意味、かれは人一倍臆病なんだろうなと以前から考えていたから、東京に戻ったらまた、しれっとして強権を振るうつもりなんだろう。
臆病だから、隣国の動きがなんでも日本を脅かしていると思い込んでしまうのではないか。
それで戦争をできるようにしたかったのだろうが、それなら本人が先陣切って攻めていけばいいのであって、それをやらないのは臆病というよりかは、卑怯である。

言っておくが、わたしは戦争には協力しない。
おおくの国民もまた、そうであることを願っている。
そうでなかったら、この70年余りは無に帰するのではなかろうか。

なんでも、沖縄の新聞は偏向していると言う人たちの根底には、民族差別の感情があるというではないか。
べつに例の売文家の発言が最初だったわけでもないそうだ。琉球人差別は、むかしから地域的にはあったらしい、ときいて、そんなこと考えてもみなかったわたしは、うそ寒いものを感じた。
おなじ日本人に、そういう差別主義者が、どのくらいの割合か知らないがいるらしい
たくさんいたら、それこそ気持ち悪いが、少数でも存在するのも、わたしは厭だ。

隣国の人たちにたいする差別感情をあからさまにする人もいる。
なんでそんなことを言うのかな、とわたしは内心呆れるのだが。
あんな差別主義者がいる限り、日本は誇れる国でもなんでもない。
恥を知れと言いたい。

で、偏見というのは、風潮および報道、他人の態度に左右されるものだし、
立場によってどちらにでも見えるものだから、よくないこととは言え、それを排除するのは難しい、ような気がするのだが、
差別は、明白な悪意がないと、できるものではない。

あってはならないことだと思う。


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