8月半ばになり、ようやく秋の気配もただよってきたとはいえ、まだ30度越えの日もあり、
重いからだをなんとか前に押し出しながらあるいている、おしゃまです。
お盆休みのあいだ、知っている人には誰にも会わず、ひきこもりみたいにして過ごしました。
詩作は、一進一退といったところで、
もうすこしで脱稿かと思いきや、まだだめ、もっと練り直せという、じぶん自身のうちでのせめぎあいがつづいています。
ときにはげしく虚脱するのは、体力の問題だけではない気がします。
ひさびさに(また、怠けていました)詩の読書を再開して、
辻征夫さんの『ゴーシュの肖像』(書肆山田)の文章に尻をたたかれたりしています。
この方の、詩人としての生きかた、創作への並々ならぬ力の入れようには、
わたしのような弱小詩人は、到底かなうものではありません。
べつに、勝ち負けや優劣を競うものでもないでしょうけれども。
学ぶべきものはおおくあります。
そんななか、次の百葉、11号の編集をはじめています。
今回からは、コピー屋さんにデータ入稿できるようにする予定です。
また、昨年10号の節目をすぎたこともあり、すこしかわったこともしたいと考えています。
まあ、詩誌としては、よそでもふつうに行っていることですが。
衆を恃まず、なにごとにもひとりで立ち向かうことも大事だけれど、
おしゃまのような凡人には、ひとりでものごとに挑むのは、つねに後退戦みたいなものになりがちではあります。
過去に書いたものをみても、そういう傾向はつよいと誰にもわかることでしょう。
まえにも書いたかも知れませんが、「ひとりの小さな手 なにもできないけど……」云々というあの唱歌(題名をすでにおぼえていない。どうでもいいということか)がわたしはきらいです。
ひとりじゃなにもできないけれど、大人数ならなんでもできる、そんなのは民主主義が死に体で、多数決の原理だけが生きているどこかの国情をも想起させるのです。
ちょっと話がずれましたが、数の横暴を振りまわすための集団はいやだけれど、友好のための連帯までは否定しないということです。
詩人の連帯なんて、ささやかなものですし。
まあ、11号ができたら、おしゃまが言ってたのはこういうことか、と思いだしたり、思い出さなかったりしていただけるとうれしいです。
冬まえまでには配布できるようにする予定です。