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2022/02/14

美術と現代詩、おしゃまのなかでなにが違う?

みなさま、つつがなくおすごしでしたら幸いです。
まだおしゃまは元気です。

友人にメールしたら返信で「ニコンの旧い双眼鏡でミクロンというのに関心がある」と書かれてありました。
かれはわたしとは違い、カメラは長年オリンパスXA一筋?という人ですが
ボレックスの16mmムービーカメラを持っていたり、過去には映写技師をしていたほどの人物。
やはり、田中長徳氏のいうところの「さまよえるレンズ人」の血がながれているのでしょうか。
画像をみてみるとなるほど欲しい人には欲しくなりそうな、キケンな物品のようですね、笑

アンチ日本光学のおしゃまは心動きませんでしたが、動かされてしまう人の気持はわかります。

過去に雑誌で赤瀬川原平さんが、カールツァイスイエナの単眼鏡の話とかしてましたから。
わたしはまだ若造の時代でしたが。

きのう、なんとなく腐っていた折
春日町のマゼランに寄ったら、この本と目があってしまいました。


「視線はいつもB級センス」谷川晃一著、現代企画室刊 
初版は1981年と古いです。おしゃまは小学生になったばかりか。
宮迫千鶴さんのパートナーであられた(宮迫さんは先にお亡くなりになりました)谷川さん、とてもポップでユニークな方だときいてはいましたが、文章も明快で、よみはじめて快哉を叫びたくなるほどでした。

思えば高校時代に「ジェンダー」という言葉を初めて知ったのも宮迫さんの本で、
戦後ないしは近代日本の家族や男女をとりまく呪縛を脱構築しようとする姿勢にしびれましたね。
表紙カバーなどにご本人による絵がしばしば使われていましたが、思えばそれがわたしが初めて接した現代美術、ないしはポップアートであったのです。

いまときどきおしゃまも絵を描くようになって、下手はへたなりに理屈というか理論武装というか、ああでもないこうでもないと脳内でぐつぐつ蒸し返すことがあるのですがね。
またギャラリーをわたりあるいて、ときに作家さんと話しをすることも多くなりまして、段々考えが固まってきたのですが…
多少思想的に未分化でも、技術的に未熟でも、作品制作にあたってはべつに障壁にはならない。
その人の内的な衝動、表現欲求が強ければそのほうが重要なのではないか

もちろん、おなじことを現代詩の実作にあたって援用することはできません。
むろん詩もひとりひとりすべて方法論は異なるから、あくまでおしゃま的な立場で言っているだけですが。

おしゃまの詩を知っている人が、最近の同じ作者の手になる絵をみて
世界観の違いといいますか、作風がまるで違うことを指摘してくださったことがありました。
詩は内向的な色あいが漂いますが、絵を描くとなるとなんだか楽しくなってしまって、ついついあそびたくなり悪のりしてしまう。明るい雰囲気になる。
わたしの絵の師匠的な人が(向こうはそんなつもり無いと思うけど)そう仕向けてきたのがおもな要因だったりしますが、その人が言外に言わんとすること、わたしに伝えたかったことを、さきほど上に太字で強調した部分ですが、おしゃまなりに言語化したにすぎません。

おしゃまさんの絵の変遷は、noteの「おしゃまの絵」マガジンをご参照いただければ明瞭かと思います。

今晩も谷川さんの本をよみつつねることにします。

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