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2022/02/28

造反有理と、ある敗北感について

きょうは、すこしじぶんの井戸を掘り下げたいと思います。

物議を醸した、昨年夏の東京五輪。
みなさまはご覧になりましたか。

わたくしおしゃまは、自室からTVを追放して暮らしてもうすぐまる17年経ちますが、
そういう物理的な話しをしたいのでは、もちろんありません。

JOCそしてIOCの人間たちのエゴ丸出しな態度や
折からの感染爆発のさなかの開催に、開幕前はマスコミの論調もだいぶ批判的でしたが
いざ蓋を開けてみると、いつもの五輪ピック報道が全面に押し出されていて、
わたしはひどくがっかりしたのでした。

それも日本すごいぞ的な、裏を返せば他の国なんか…という排外主義を標榜するに等しい文言が、
そう書かれていなくても文脈からよみとれる内容が、温度差はあれど感じられて
気持ち悪さをおぼえる日々でした。

荻上チキさんの番組内でも、本日のハイライト的な期間限定コーナーがありましたが
チキさんはその前後には論評なしで、たぶん不快だったことと推察します。

やっぱり日本人オリンピック大好きなんだ、あんたらには失望したぜ、な気分で
閉幕してしばらく経つまでゆううつでした。

どんなに権力者や利権にたいして批判の声を上げても、結局負けるのか。
それは国政選挙、首長選挙のたびにわたしが感じてきた敗北感ときわめて似ていました。


思えば高校生のとき、2年のときだったかな、
ものすごくお茶らけた文化祭を企画した生徒会長がいて、その前か後か忘れましたが
生徒会アンケートの余白に批判の文章を書いてやったことがありました。

即刻わたしは生徒会長に呼び出され、「取り消せ」と高圧的に言われました。
曲がったことは許さないくせに人一倍気が弱いわたくしですが、結局どういうふうに生徒会室から軟禁解除されて帰ったのか覚えていません。

「造反有理」なんて言葉を知るのはもう少しあとだったと思いますが、
10代の頃からしてそういう気質をもっていましたので、
べつに選挙でなくても、日々アンチ〇〇の精神で生きてきました。

常に負かされることを覚悟で、しかし他人を威圧し罵倒すること自体が
間違っているのだから、じぶんは節を曲げないように生きていたい。

いまふうに言うと、「マウントを取る」取りたがる連中への抵抗心でしょうか。
大昔のTVドラマで「無駄な抵抗はやめろ」云々という科白があったけど、じぶんの考えに誠実であるなら無駄でもなんでもなく、抵抗をやめさせられるいわれもない。
やめるとすれば、わたし自身の内なる声がそう言うなら、でしょうか。

**

ともかくいろんな事柄に抵抗感をもって生きています。
いまは原動機付自転車という、運転免許が必要な車両としては事実上最底辺の
四輪車にいじめられる運命にある乗物で移動しているので、
見るからに威圧的な御面相の「高級」外車やミニバンに対する敵愾心がつよい。
(実際煽ってくるのは奴らです。あとタクシー)

ノーマスクで数十分間話しつづける喫茶の客と居合わせて、いたたまれなくなり
外でその客が帰るのを待った日もありました。
どんなに内容が良くても、思いやりがないよね。そんなの賢しらにすぎないよ。

職場のなかでも、みかけるのは廊下にでて喫煙場所(喫煙所はないはずなのだがなぜかバイク置場周辺なんだな)まで歩けばいいのにエレベータで降りていくときだけの人達がいて、1時間に1回は行くものだから「たばこのみに会社に来てるんじゃないか」と思ってしまう。
部署が違うとセキュリティの関係上なんの仕事してるのかわからないものだからね。

***

話しがそれたかな。
自分の信条を曲げる気がないのであれば、世のなかの不条理に対して抵抗心をもって対峙する姿勢には変わりないはずなのですが、あまりにも負けが込んでしまっているせいか、最近はお疲れ気味で、「許さないけど忘れる」こともメンタルを守るためには択ばざるを得ないようなことになっています。
後退戦をたたかっているようなものか。

ただひとつ、なにがあっても許してはならないし忘れてもいけないのは、比喩でもなんでもない現実に起きている戦争です。
いま侵略者プーチンがウクライナに攻め込んでいますが、まだ米軍NATO軍が介入していない(はずだけど)にせよ、戦争は始まっているのです。
もしウクライナが劣勢に立たされたらなおのこと。

他国を威嚇する者あれば守るために軍事力をもつ口実になり。

どうにもつらい。考えてるだけでつらい。
よって話しに収拾つかないけれど、また敗北感をもってこの文章はおわり。




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