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2014/01/27

コーヒーをのみながら、万年筆で

 きょうは、かえりにBook Cafe 火星の庭と、純喫茶 星港夜(シンガポールナイト)をはしごして、コーヒーをのんできた。

 火星の庭では、スペースブレンド(深煎り)を。
 シンガポールナイトでは、すこし濃い目の「カノン」をちかごろ好んでのんでいる。

 ともに詩作ノートとメモ帳になにか書き足しながら、一日の疲れをわすれ、ゆっくりすごした。

 わたしは、つねに鞄にノートとメモ帳を入れて持ちあるいている。
 両者に書かれていることは、微妙にちがう。
 互いに参照しながら、それぞれちがう内容を書いていって、あとでノートに、最終的にはwordで清書をする。
 

 筆記具は、チェコ製のcentropenというメーカーの、プラスティックの安い万年筆。
 案外、高い万年筆よりもわたしにとっては書きやすい。
 そんなにたいしたことを書いているわけでもなし。
 貰いもののパイロットや、昔から愛用しているプラチナのデスクペンという、これもプラスティックの安いものの出番はさいきん少ない。
 わたしは字がちいさいので、太いペン先のものはまったく使えない。
 細字のペンで、ちまちまと書くのが好きである。

 

 火星の庭で、こんなポストカードを買った。
http://lifeku.jp/goods/index.html
 画像右側の、りんごを持った少女だろうか、これをみつけて、さっそく花巻にいる先生宛に一筆したためた。
 昔は手紙魔を自称するほど、筆まめだったのだけれど、ちかごろはひと月に1~2通がやっとというありさまである。
 一時は手紙を書くのも、0.3mmのボールペンを使っていたが、自然と前述のような万年筆に回帰した。
 むろんメールも使うし、けいたいでんわも持っているが、あいかわらず手紙はいい、と思う。

 

2014/01/25

生きていくための言葉を

  もうすぐ2月になるわけだけれど、ことしはわたしにも、いいことが起こるような気がしている。
 とくに根拠もなにもないが、そう信じることで生きていける、そうでもないと遣り切れない、矢折れ尽き果てるかも知れないという切迫感と、背中合わせの感情である。
 一種、アンビバレントな気持ちではあると思う。けれど、そこにしか、わたしが触れられるポエジの萌芽のようなものはないとも思っている。

 たぶん、みる人がみれば、そんな貧しい詩作などお止めなさいと言いたくなる、みすぼらしいものしか書き得ていないのだろうけど。
 わたしにとっては、こういう方法しかないのだから。
 せめて、救いのない感情を書くにしても、ある種の香気というか、抒情的なものは漂わせておきたい。
 よむひとは少ないとはいえ、詩の言葉を手渡していきたいと思うのだから、そういう心がけは必要であろう。よんでもらうためには、くずかごに棄てられたくないと考えるのならば、それなりのくふうはしなければいけないはず、である。

2014/01/24

写真展のあと、コーヒーをのみながら

 きょうは、Photo Exhibition 集団仙台2014がはじまったせんだいメディアテークに行ってきた。
 受付に、いちど写真屋さんのワークショップでご一緒したSさんがいらしたので、かえりがけにすこし立ち話をした。昨年カロスギャラリーでみた、Sさんの写真の印象がたいへんつよかったので、それにかんすることなど、ぽつりぽつり。

 せっかく春日町まできたので、いつものマゼランでコーヒーをのみながら、店主のTさんとおしゃべりを、ふだんよりは少しくシリアスに。
 けさ、セルフプリントしたばかりのモノクロ写真をみてもらったところ、50mmの標準レンズの使いかたについて、「建物を50mmで収めようとするよりは、その建物のまわりをなんどでも回って、じぶんなりの切り取り方をした方がいい」といった意味あいの批評をいただいた。(わたしはひとの言ったことを一字一句もらさずに覚えることができない。ご容赦ねがいたい)
 ほかにも重要なアドバイスをいくつもしていただいた。
 いずれ活かす機会があるかと思うが、それについてはまた書くこともあるだろう。


 それにしても、今月写したネガは、撮っていてあまりたのしくもなく、工夫もなく、モチベーションも低い状態で、その場その場で考えなく写していた。
 反省すべき点は、たくさんある。
 安くはないコストをかけてまで、趣味でフィルムをつかっているのだから、じぶんで納得のいかない写真、むだなカットは減らしていきたいものだ。

2014/01/18

跳躍と連関

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 昨年よんだ詩集は少なかったが、刊行後直ぐに一読して、感銘を受けた一冊について、拙いながらもすこし印象を記しておきたい。

 北川朱実『ラムネの瓶、錆びた炭酸ガスのばくはつ』 思潮社

 北川さんの著書、『死んでなお生きる詩人』(思潮社)をよんだのは、5年くらいまえだったろうか。
 若くして自死したり、事故死、病死、といった非業の死を遂げた詩人たちの評伝、と言ったらいいのか、詩人論としてもすぐれたもので、鬼気迫るほどに真摯で切っ先のするどい筆致に、たじろぐ以前にわたしは惹き込まれそうになった。いま以上に、生きることに疲れきっていた時期だったが、引用されている詩行と、著者の文章にいまもたびたび挟まれている文人たちの挿話あるいはアフォリズム的な言葉、死者を呼び戻さんばかりの北川さんの語り口は鮮烈で、ところどころ諳んじるほどによみかえした。

 で、この詩集について語る前に、前の詩集『電話ボックスに降る雨』をひらいてみたのであるが、同義反復を避けるがごとくに、以前の場所にとどまらない詩人の気魄というか宿命というか、そんな変化を目の当たりにした。

 前詩集では、一篇ごとにある程度の文脈的なつらなりが、各連ごとに多少の跳躍はあるにせよ、細い糸を通したようにみられるのだが、『ラムネの瓶…』では、連と連とのつらなりは、一見、引きちぎられたかのように薄くなっている、ように当初は感じられた。
 各詩篇によって、その度合いはもちろん異なるけれども。
 また、通読してみて印象的なのは、著者が訪れたことがあるのだろうか、旅のイメージがところどころ散りばめられている点だろうか。
 とくに南米の地名がいくつも登場するけれども、そればかりでなく、著者の視線は国内外を問わず、絶えず身近な場所からはるか遠くまで、言葉を支点にして自在に往還できるかのようだ。
 かつて、『死んでなお生きる詩人』に於いて、死者の国からこちら側の世界まで、詩の言葉を索にして、一本の線を引くように橋渡しをした、北川さんらしい。
 それは、わたしたちの詩作のうえでも、模倣は憚られるにせよ、みならうべき態度なのだろう。
 

 飛び飛びになった土地を、自在に跳躍することでつなげていく……
 この詩人には、どんなに離れたイメージでも、連関を見いだす眼力がある。

 眩いほどにあざやかな詩行で編まれた一冊である。
 
 

2014/01/17

 壁を越えようとする意思は、抵抗感があってはじめて生じるもので、さもなくば人は高い壁を見上げてばかりで、その向こう側のことに思いをめぐらすだけだろう。
 いかなるものにも抗うことなく、適応していける人はこの世にたくさんいるのだろうか。
 なんだか信じられない。
 つねにあたかも漂流物のような人びとにぶつかられたり、かわされたりしながら生きてきたわたしにとって、ぬくぬくとした環境は傍観するほかない、羨ましいという感情も湧かない、とおいものだった。

 10代のころは、殻に籠もって過ごした。やみくもに読書に耽るほかに、たいしたたのしみもなかった。家族とたびたび衝突して、学校は牢獄にちかく、10分の休み時間すらも図書室へ行ってはようやく息をつく、そんな時期だった。
 図書室には、現代詩文庫の1から100番までが揃っていた。すべて読破するなど考えられないほど、無知であたまのわるい高校生だったが、なん冊か拾い読みをして、当時もっとも衝撃的だったのが、吉行理恵だった。
 その頃は仙台市内にも大型書店らしきものはなく、駅前の某デパートの地下2階に、八重洲書房という店があり、市内でもっとも詩書がおおく(といっても、いま思いかえすとたいした量ではなかった)売られていた。ほとんどが未知の詩人だったから、詩文庫の吉行と黒田三郎、その程度しか買わなかったと思うが、なぜか同店にて委託販売されていたと思しき「混線ぺんてか」という詩誌をおもしろがって何号かつづけて買った。大学に上がってから定期購読を申し込んだら、次の号で終刊になってしまい、切手で返金してもらったのをおぼえている。
 

 高校まではまだ小説などを中心によんでいて、まともな詩らしきものも書き得なかったが、進学して盛岡でのひとり暮らしが急にはじまり、数ヶ月は友人もなく、相変わらず鬱屈してすごしていた。
 ある日、とつぜんなにか書きたくなり、手許にあった反古の便箋の裏紙に、一気に書きつけたのが「影」という詩である。
 まだPCなど持っている学生はめずらしく、ワープロという機械と10円コピーでつくった粗末なB5の一枚もののフリーペーパーに掲載して、懇意にしてもらっていた先生の研究室に置いてもらったり、研究棟の掲示板に貼らせてもらったりしていた。ほかの学生には冷淡な反応、というよりは黙殺されていたが、卒業式の晩の飲み会がおわってから、最後の最後におなじ学科の女子から「読んでました」と言われたのをおぼえている。
 

 
 長らく日の目をみなかった「影」であるけれど、現在こちらでよめるようになっている。
http://shigaku.org/issues/shiraku_02/anthology_04.html

深爪

 今週は、痛いできごとだらけだった。
 深爪のように、あとからじわじわと効いてくるような、そんな痛み。

 
 昨夜、出席してきたある会合で、そのへんの話しもふくめて四方山話などして、いくぶん積もりに積もっていた胸のつかえがとれたような気がする。

 昼間は、Enomaの「101人の自画像展」と、ギャラリーターンアラウンドの「青野文昭展」をはしごして、その足で西公園通をあるいて書本&cafe magellanでコーヒーをのんできた。
 きのうは終始不機嫌だったかも知れない、というか完全に不機嫌だった。Tさん、ごめんなさい。

 仙台駅から柳町通りの大日如来のところを通って、一番町のEnoma、大手町のタナラン、そして春日町までずっと、写真を撮りながらあるき通した。5kmはあるいたんじゃないか。
 自画像展は、リアリスティックなふつうの油絵から、ポップアート的なものやコミカルなところをねらったもの、アーティスティックな表現を試みたものなど多彩で、立体や切り絵、自画像というか抽象画にしかみえないものまで、とうぜんだけれど百人(101人?)百様。友人の自画像があるというのでみに行ったわけだけれど、その彼の絵は、本人を知っているからかも知れないが存在感が強烈で、実際とはちがっておっさんっぽく誇張されているようだった。こんど会ったときに、そのへんの意図をきいてみたいと思う。

 おしゃま(わたし)も、一昨年からときどき絵を描くようになった。
 ぜんぜん芸術的でもなんでもないが、好きかってに、描きたいものを描くようにしている。
 いずれささやかな詩画展でもできたらいいなと、あてもないのに妄想している昨今である。

 

 

 

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