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2014/01/18

跳躍と連関

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 昨年よんだ詩集は少なかったが、刊行後直ぐに一読して、感銘を受けた一冊について、拙いながらもすこし印象を記しておきたい。

 北川朱実『ラムネの瓶、錆びた炭酸ガスのばくはつ』 思潮社

 北川さんの著書、『死んでなお生きる詩人』(思潮社)をよんだのは、5年くらいまえだったろうか。
 若くして自死したり、事故死、病死、といった非業の死を遂げた詩人たちの評伝、と言ったらいいのか、詩人論としてもすぐれたもので、鬼気迫るほどに真摯で切っ先のするどい筆致に、たじろぐ以前にわたしは惹き込まれそうになった。いま以上に、生きることに疲れきっていた時期だったが、引用されている詩行と、著者の文章にいまもたびたび挟まれている文人たちの挿話あるいはアフォリズム的な言葉、死者を呼び戻さんばかりの北川さんの語り口は鮮烈で、ところどころ諳んじるほどによみかえした。

 で、この詩集について語る前に、前の詩集『電話ボックスに降る雨』をひらいてみたのであるが、同義反復を避けるがごとくに、以前の場所にとどまらない詩人の気魄というか宿命というか、そんな変化を目の当たりにした。

 前詩集では、一篇ごとにある程度の文脈的なつらなりが、各連ごとに多少の跳躍はあるにせよ、細い糸を通したようにみられるのだが、『ラムネの瓶…』では、連と連とのつらなりは、一見、引きちぎられたかのように薄くなっている、ように当初は感じられた。
 各詩篇によって、その度合いはもちろん異なるけれども。
 また、通読してみて印象的なのは、著者が訪れたことがあるのだろうか、旅のイメージがところどころ散りばめられている点だろうか。
 とくに南米の地名がいくつも登場するけれども、そればかりでなく、著者の視線は国内外を問わず、絶えず身近な場所からはるか遠くまで、言葉を支点にして自在に往還できるかのようだ。
 かつて、『死んでなお生きる詩人』に於いて、死者の国からこちら側の世界まで、詩の言葉を索にして、一本の線を引くように橋渡しをした、北川さんらしい。
 それは、わたしたちの詩作のうえでも、模倣は憚られるにせよ、みならうべき態度なのだろう。
 

 飛び飛びになった土地を、自在に跳躍することでつなげていく……
 この詩人には、どんなに離れたイメージでも、連関を見いだす眼力がある。

 眩いほどにあざやかな詩行で編まれた一冊である。
 
 

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