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2014/01/17

 壁を越えようとする意思は、抵抗感があってはじめて生じるもので、さもなくば人は高い壁を見上げてばかりで、その向こう側のことに思いをめぐらすだけだろう。
 いかなるものにも抗うことなく、適応していける人はこの世にたくさんいるのだろうか。
 なんだか信じられない。
 つねにあたかも漂流物のような人びとにぶつかられたり、かわされたりしながら生きてきたわたしにとって、ぬくぬくとした環境は傍観するほかない、羨ましいという感情も湧かない、とおいものだった。

 10代のころは、殻に籠もって過ごした。やみくもに読書に耽るほかに、たいしたたのしみもなかった。家族とたびたび衝突して、学校は牢獄にちかく、10分の休み時間すらも図書室へ行ってはようやく息をつく、そんな時期だった。
 図書室には、現代詩文庫の1から100番までが揃っていた。すべて読破するなど考えられないほど、無知であたまのわるい高校生だったが、なん冊か拾い読みをして、当時もっとも衝撃的だったのが、吉行理恵だった。
 その頃は仙台市内にも大型書店らしきものはなく、駅前の某デパートの地下2階に、八重洲書房という店があり、市内でもっとも詩書がおおく(といっても、いま思いかえすとたいした量ではなかった)売られていた。ほとんどが未知の詩人だったから、詩文庫の吉行と黒田三郎、その程度しか買わなかったと思うが、なぜか同店にて委託販売されていたと思しき「混線ぺんてか」という詩誌をおもしろがって何号かつづけて買った。大学に上がってから定期購読を申し込んだら、次の号で終刊になってしまい、切手で返金してもらったのをおぼえている。
 

 高校まではまだ小説などを中心によんでいて、まともな詩らしきものも書き得なかったが、進学して盛岡でのひとり暮らしが急にはじまり、数ヶ月は友人もなく、相変わらず鬱屈してすごしていた。
 ある日、とつぜんなにか書きたくなり、手許にあった反古の便箋の裏紙に、一気に書きつけたのが「影」という詩である。
 まだPCなど持っている学生はめずらしく、ワープロという機械と10円コピーでつくった粗末なB5の一枚もののフリーペーパーに掲載して、懇意にしてもらっていた先生の研究室に置いてもらったり、研究棟の掲示板に貼らせてもらったりしていた。ほかの学生には冷淡な反応、というよりは黙殺されていたが、卒業式の晩の飲み会がおわってから、最後の最後におなじ学科の女子から「読んでました」と言われたのをおぼえている。
 

 
 長らく日の目をみなかった「影」であるけれど、現在こちらでよめるようになっている。
http://shigaku.org/issues/shiraku_02/anthology_04.html

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