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2021/03/16

18号 あすから配本開始です!

百葉18号、さっそく印刷と製本をはじめて、
初日でいきなり60部できてしまいました…

予定の6割刷ってしまったわけですね。

いやー疲れましたが。


うすい詩誌なので、この写真に写ってるので20部です。

あすから仙台市内の、お世話になっているお店とギャラリに順次配本していきます。

みかけたら手にとってやってくださいませ。


どうぞよろしくお願いします。

2021/03/15

『百葉』18号 もう編集完了(笑)

百葉18号の版下ですが
さきほど完成しました。

掲載する詩が揃ったのでね、、、

Adobe Indesignであらかじめ保存しておいたプリセットに
テキストデータ化した本文をペーストして
あとは後記を書くだけ…あとはすでに整えていましたから。

あすから早速印刷製本にとりかかります。

2021/03/11

2021年3月11日

わたしは、疑いようもなく孤独な存在である。

だけれども、孤独が決定的な不幸だとは思っていない。

どういうかたちであれ、わたしという存在について
一定の理解をしてくれる、心の寛い人たちのことを尊く思っている。

わたしが恐れるのは、全的な無理解と無視だ。
そんな状況に置かれたら、すぐにでも死んでしまうにちがいない。

いままで、よく死なずにこの歳まで生きてきたものだと
過去を見渡せば思わずにはいられない。
それくらい脆弱な基盤の上で食いつないできた。

詩人黒田三郎は「幸せな人は詩を書くな」と言った(ことにされているようだが)けれども
黒田自身は内実はどうあれ、すきな人と結婚もし子供ももうけたわけであるが、
そのことを決して「幸せ」とは思っていなかったようなふしがある。
卒業論文で黒田のことに触れた関係で『黒田三郎著作集』全3冊を持っていたりするので
(卒業後あまりひもといていないのでうろ覚えなのだが)
詩集のタイトルにもなった「渇いた心」をもちつづけた人だったのだなと思い出す。

むろん、ひとりひとり詩のスタンスもスタイルも多様であるので
40年も前に亡くなった戦後詩人(死語ですね)の発言がすべてではないが
幸福感が絶対的に欠乏しているという意味で、わたしは黒田三郎に
20歳前後には感じなかった親近感というか、世代を超えた共通性を見いだすのである。


孤独をおそれる者たちが真っ先に起こす行動は、徒党を組むことである。

路上で大声で馬鹿の馬鹿笑いをしながら横に広がってあるく連中を見たことがあると思う。
あれに遭遇すると虫酸が走る。

程度の違いこそあれ、孤独が怖い人間たちは寄り集まってなにかをするのが習性である。

以前にも書いたはずだが、「一人の手」という歌の歌詞が嫌いだ。
ひとりでなにもできないから徒党を組めばなにかできる、なにか言えるというのは
臆病者の発想である。
本来ならばなにかを為すのであればひとりではじめるべきであり、
なにか言いたいことがあれば賛同者がいなくても言うべきである。

吉本隆明が「たたかうならひとりでたたかうべきである」という意味の発言をしていたのが
(なさけないことに引用として抜粋されているのをよんだだけだが)
上の発想のベースになっていることは認める。

ちょっと想像してみるといい。
賛同者がちょっと集まっただけで支持を得られたと思って
平気で人権侵害、生存権の否定、その他の暴言を吐き散らす汚らしい連中のことを。
その手のヘイトスピーチが表現の自由の名のもとに放置されているため
わたしはtwitterが大嫌いで、友人のツイートですらまずよまないほどなのだが…

**

だいぶ話しがずれたが
単独で生きている中年にとって、老後というのは重い。

「人生百年時代」などとほざいているのは終身雇用で定年を迎えて
生活に困らなくて贅沢をやめられない金満老人のお題目でしかない。
どこの政府が言い出したのか知らないが
詩人及び文学者がもっとも遠ざけるべき言葉の一例と思う。

わたしは百歳まで生きろというのは耐えられないから
できれば早め、あと十五年くらいでおいとまできればと冗談でなく思う。
生きてきてさんざん厭な思いもしたし、生活に余裕はないし
なんで生まれてきたのかいまだに恨めしい。

「ぼくは二十一世紀には生きたくない」と言って20世紀中に
がんで逝った田村隆一の去りぎわは出来過ぎなほど
みごとであった。

あの人も、戦時中に南洋でどんな地獄をみたのか…

***

きょうはたまたま3月11日であるが
10年前の時点ですでに「幸福な」社会は破綻していたと思わないか。

敗戦後がまたかたちを変えてやってきたような
そんなふうに捉えても良かったのではないか。

憲法違反の戦争をできるように画策した人物は表向き去ったように見えるが
そのフォロワーはいまだに跋扈しているよ。

みえないクーデターがなんども起きていたのかも知れない。

そろそろ気づかないと。


****

やはり言いたいことがすこしずれた。

気もちの整理がついていない。

孤独な人間を追い込むような、生きているのが楽しくて仕方ないような
人たちが正常であるかのように演出されているのが
いまのこの国のメンタリティだということを言いたかった。

弱者に優しい社会であるとは言えない。
わたしだってそうやって楽しく生きていたいのだが
心の底で、どうしても違和感をぬぐえないのである。

うまく言えていない気がするがこのへんで。










2021/03/08

『百葉』18号に向けて


みなさま、お元気でいらっしゃいますか。
おしゃまです。

電車通勤に戻ってふた月くらいになるでしょうか。
ようやく言葉が戻ってきた感じがします。

2月上旬から、詩作ノートの上で練っていた、
まだ未成というべき言葉の群れが
けさの地下鉄の車内でふと浮かんだ2行をキイにして
動きはじめました。

A5判のノートの上で5ページ
だいたい1ページ2段にして書いているから
一進一退、おなじようなフレーズを前にだしたりひっこめたり…
とはいえ、だいぶかたちがみえてきました。

まだ書き上げたわけでもないのですが
次の「百葉」、次で18号になるわけですが
その編集もそろそろかな…と思いはじめています。

まずは昨夏に書いてまだ合評会でしか公開していない詩があり
それにいま推敲中の詩、そして…?

表紙の写真も、どれにするか案がひとつふたつ。


そうそう、きのう市内のある河原で、CONTAX139Qと三脚持参で
多重露光のテストをしてきました。

また期限切れフィルム使用で。

今週末には現像してきたいなあ。

2021/02/14

みなさま、ご無事でしょうか

 昨夜、ひさびさに大きな地震がありましたが、このblogをご覧になっているみなさまの周辺はいかがでしょうか。

津波はなかったとはいえ、被害も出ているようです。

わたしはまだ起きていたので、揺れが大きいのを察知して本棚と食器棚を押さえていました。
転倒防止対策はしていましたが(前のめりに倒れないようくさび状のゴムをかます程度ですが)、本棚の奥におさまりきらず際に置いていた本だったり、棚の上に積んであった空の段ボール箱だったりは落ちてきました。
上のほうにあった軽いものは落ちてしまいましたが、同様にして置いていた現代詩手帖だったり、ある程度質量のあるものは落下してこなかったですね。

夜中でしたが、仙台のわたしのところは停電も断水もなかったので
すこしほっとしましたが。

どなたも来月で10年を迎える大震災を思い出したことでしょう。

それにしても。

2021/02/10

Tessar 45mmf2.8と防湿庫

この2週間で2回、検温で34.9℃が出たおしゃまです。

みなさまにおかれましても、つつがなくおすごしでしょうか。

きょう日中も冷え冷えとしておりましたね。

先日CONTAX139Qを安く入手した話しをしましたが
翌週には、Y/CマウントのTessarを早くも調達し
モルト張替などのメンテも行なって
現在2本目の試し撮りの最中です。


評判通り、ピント合わせはむつかしい気がします。
とくに冬の眼精疲労気味の寒い日、長く屋外で撮っていたりするとね。

ピントのヤマがつかみにくい、というのかな。

あすには撮り終えて現像に出す予定なので
さて!どうなるか。

そして
いつの間にかツァイス4台持ちになっていたおしゃまは
文化遺産、産業遺産であるいにしえのレンズをカビさせてはいけないと思い
RE:CLEANというブランド名の25L防湿庫をamznで買いまして
本日届きましたので、さっそく設置して使用を開始しました。



9,800えんなんですよこれ…
気密性のあるスチールキャビネットに除湿ユニットと湿度計があればいいので
すうまんえんも出さなくても買えるものがあるのですね。

大きさはちょっとした電子レンジくらい。
20Lだとほんとに小さそうなので 25で良かったです。


電源を入れて2時間くらいで(撮影時より30分くらい経過)30%まで下がりました。
もっとも、この時期のおしゃまの部屋は湿度が低めで
現在机上の湿度計では38%程度ですが
梅雨から夏にかけてどうなるか心配なので 早めに手を打ちました。

自動車保険の解約返戻金で買ったのは内緒です。

電源は常時オンですが ほぼ無音です。
いま聞こえるのは蛍光灯のノイズやPCの作動音くらい。

なにも入れない状態でガラス戸を目一杯開けると
本体が前のめりになるのにはびっくりしましたが…それだけ軽いということです。

一家に一台、というものでもないけれど あると安心します。


2021/01/26

やってみなければわからないから

一年余り所有していた、中古の軽自動車を、今週売却しました。

財政上の理由もさることながら、
結局日常使いだけだと、大したことはできないな、
地べたにしばりつけられているような閉塞感を感じたのです。

定年までこういう生活か……と思い
昨年末くらいからずっと悩んでいました。

電車内、いまは感染症対策で乗客は概ねおとなしくしているものですが
それに比して、安全確保が絶対であるはずの運転者たちの
やりたい放題にはあきれ果てた。
車間を詰めてきたり割り込んできたりに
うんざり、疲れてしまったのですね。

楽しいこともあったのですが
メリットもデメリットも両方味わった。
遠巻きに眺めているだけでは、ぼんやりした憧れだけで
わからなかったことがたくさんありました。

その点では、社会勉強といえなくもない。
後悔はしていません。

でも10万キロ超の自動車のリセールバリューがこんなに低いとはね。

幸い、引き取り手がみつかって、廃車にはならずに済んだのはなによりでした。


2021/01/13

結局…

先日お持ち帰りしたB35ですが
なんとフィルムカウンター不動ということがわかり
お店に持って行って申告したら

「キャンセルにしますか?」

と言われて…うーーーーーーむ
また出番のないカメラ持ち帰ってもあれだし
現金化しても結局つまらんことに使ってしまうし

ということで!
このカメラと交換してもらいました。


コンタックス139クォーツといいます

まだレンズ買えないのですけど…

1979年デビューだとかで 
貼り革がボロくなってるのと、モルトがあやしいこと、
AEロックレバーがロックできない以外問題なし。

わりとコンパクトで 軽いし
OMとは違う操作系もすぐ理解できたし

そして帰宅後わかって大いに気に入った点がこちら


露出補正ロックレバー(×1からシフトするときに押す)を
押しながら巻き上げると いとも簡単に多重露光ができる!
ちかごろ多重露光での撮影に傾注してるおしゃまには願ってもない。

早いとこレンズも調達しなくてはいけませんね。

なかなかお財布が許してくれませんが……


と、いうわけで
B35とは3日目にしてお別れとなってしまいました。。。

でもあたらしい出会いがありましたので、
今後もがんばらなきゃです。


2021/01/11

2021年 どうなることやら(買い物報告)

みなさま、つつがなくおすごしでしょうか。

ぼやぼやしてるうちに成人の日もおわり。

わたくしおしゃまは、大晦日以降詩作も捗らず、休み明け4日勤務してまた連休なので、どうも気分がついてこない。

ことしの活動についても思うところはあるのですが
あんまり大したことはもともとできないので、3つくらいの柱を
継続していくくらいしか思いつかないです。

きょうは使わなくなったカメラ数台を持って中古カメラ店へ。

買取価格微妙かと思ってたのですが、そこそこの金額になりましたので、なにか安いブツを買ってかえろうと見てましたら、こんなのがありました。

Rollei B35

ローライB35といいます。
ローライ35の機能などを簡略化して、価格を抑えたモデルなのだそうで。
シンガポール工場製ですが、レンズ(トリオター)はMade by Rolleiではなく
Carl Zeissと刻印のあるものです。

この個体にかんしていえば、
・レンズ前玉にクモリあり
・露出計不動
・フィルムカウンターが1から進まない

3つ目は試し撮りの段階、もうじぶんのものになってから気づいたのですが
そもそも保証などはなかったので、なにより「腐ってもツァイス」なのに安かったのですから仕方ない。
おしゃまとしては、期限切れフィルムでの作品づくりに使えないかと思って購入したこともあり、このまま使うつもりではいます。(一応お店には話しておくつもりですが)
そもそも、ガンガン使う、使い倒すには十分ではないかと思うので。

これでカールツァイス搭載のカメラが4台に増えてしまいました。。。
じつはコンタックス139クオーツという旧い一眼レフの激安ボディもあったのですが
ヤシコンマウントのツァイス買うのが困難なので、こちらにしたのです。

びんぼう人のツァイス4台持ち、というと
ぜんぜん貧乏に聞こえないかもしれませんが
実態は「カメラ貧乏」とは程遠いです。

しかし結局ものをいうのは、撮れた写真であるという基本は
わすれたくない。だいじなことです。



2020/12/27

寒いので思い出話…オリンパスのフィルムカメラ

みなさま、お変わりなくお元気でしょうか。

おしゃまは明日で仕事納めで、それから1週間も休みになるのです。
このご時勢に加えて、年末年始には大?寒波がくるそうで
写真を撮りにいくどころではないですね…

最近また、なにを撮るべきかなやんでいるわたくしですが
撮りたいという気持ちは、なくなったわけではありません。

正直なところ、生活圏内では撮りたい光景があまりなく
先週ひさしぶりにコンタックスTにフィルム詰めたのですが
まだ一コマも写していません。

びんぼう暮らしで、ケチっている面は否めませんが
やはりそれ以前の問題ですよね。

それでも、古本でフィルムと書いてあるムックを見つけると
買ってしまうのです。
今週は2冊見つけました。
1冊は、1990年代後半!おしゃままだ20代だ…笑

裏表紙の広告は、なんとオリンパスOM2000です。
たしかコシナのOEM機だったと記憶していますが
オリンパスOMマウント一眼レフ最後期のカメラですね。
新品で売ってるのはみたことあります。
まだデジなんて、海のものとも山のものとも知れないというか
発展途上以前ではなかったかな。

OMは、OM-1をちょうどそのころ、
仙台アメ横ビル1階入口付近にあったウンノカメラで買いました。

50㎜f1.8が付いて、たしか18,000円だったはず。

長年にわたり使っていたのですが
2010年すぎて調子がわるくなりました。
シャッター幕が波打ってしまったのです。

その後継として、2015年にコセキでOM-4の安い個体を買いました。
2万えんもしなかったはずですが
高度なマルチスポット測光を使いこなせるまでにはならないうちに
撮影スタイルが変わってきて、また時代的に
街なかで一眼レフ構えるのもどうかなと思いはじめて
数年前にレンズともども手放しました。


いちばんの理由は、ストリートスナップ中心に撮るようになったからですね。
それまでにもコンパクトカメラはいろいろ使っていたのですが
2016年に、ある方から京セラコンタックスT2をみじかい間借りているうちに
一眼レフは荷が重いと思うようになったのです。

それで2014年ごろ買ったオリンパスペンFTも、結局生活のために手放して
コンパクトカメラ中心の布陣に切り替えたのです。

途中でレンジファインダーのミノルタAを買ってみたり(低速ガバナー不調)
ことし4月に同じくコニカⅢ型を買ってみたり(レンズにクモリあり)
しましたが、あまり持ち出してやっていないのが実際。

京セラコンタックスTとローライ35、たまにオリンパスXA持ち出す程度。
ことしはXA4は出番ありませんでした。
現在唯一28㎜搭載のカメラなのに…38~40㎜の画角に慣れてしまったのも理由か。

OM買うまでは、L-10というプラスティックのレンズ一体型一眼レフや
忘れちゃいけないペンEE-3を学生のときからずっと使ってたりしましたっけ。
L-10は故障してとっくの昔にさよならして
EE-3はまだ作動するものの、OM-1とともに純喫茶・星港夜に飾ってもらっています。

行動範囲がかわり、街を離れてしまったので、また一眼レフがあってもいいかな。
理想はOM-3だけど、希少で高価なので4の安い個体を探そうか…






2020/12/19

2020年秋 仙台にて(CONTAX Tで撮影)

 


地下鉄荒井駅屋上から市内中心部を遠く望む。
平凡で特徴のない地方都市の風景に思える。
地下鉄東西線の東の終点。数キロ東へ行くとそこはもう被災した沿岸部。



宮城野区某所にて。












泉区の泉ヶ岳にて。




泉区にて。
思い入れと技術が釣り合っていない一例か。
誰でも通れる場所だけれど おしゃまにとっては特別な場所だったりする。







秋保地区にて。
ここも秋保大滝方面へ行くときにはふつうに通るけれど わざわざ車をとめて
写真撮るのはわたしぐらいだろうか。「釣り堀」の古典的表現。








夜に入っていくと 平凡な都市でも表情を変える。
無表情に、匿名の場所にすら見えてくるからふしぎだ。
実際どこで撮ったかじぶんでも覚えていなかったりする。


CONTAX T+KODAK COLORPLUS200 AE 2020年10月撮影

2020/12/07

カメラ並べてコーヒー

 ことしは 写真に熱くなれなかった一年でした。


友人に3度も撮影に誘ってもらったのに

しかも一度はモデル役まで演じて 
あげく2日後(!)に腰痛で整形外科に駆け込むほどの
没入ぶりだったにも、かかわらず。

じぶんの写真的な成果はとくになかったのが無念です。

4月に「掘り出し物」とレシートに書かれていた
1950年代製造のコニカⅡ型を買ってはみたものの
フィルム通したのは一回のみ。

5月連休ぐらいに、修理に出していた京セラコンタックスTの2号機が
修理をおえてかえってきて
夏場はつねに持ち歩いていたのです。

でも…感染症の流行で街に行かなくなり
車でもそんなに遠出するほど財布も重くなく
秋以降の大流行でいよいよなんだか
ほかのことでもやる気が薄れてしまいました。

そろそろ未現像の2本の成果をみてみたい。。。

もっと写真と、カメラとたわむれたいです。
年明けを待たずに動き出したいなと思うのです。


そんな思いで 今夜はこの子たち机の上に持ってきて
コーヒーいただいたのでした。




2020/10/18

なんとなく、そっと置くように

みなさま、だいぶ冷え込む日もでてきましたが
如何おすごしでしょうか。

最近ほそぼそとしか書けていないので
なんとなく気が引けるのですが、きょうは、作品のタイトルの話しです。

詩に限りません。
絵でも、散文でも、あらゆる創作物につける題についてです。

先日、ある写真中心の展示を見に行ったとき、
一枚の絵に、いわゆるレンズ付きフィルムが描かれていました。

作者の方がいらした時だったので、そこに添えられたタイトルについて
どういう意味なのか、推測をまじえて語ったのですが
答えは「なんとなく…特に意味はない」でした。

創作にたいするそういう姿勢、いってみれば
じぶんが一度作ったものから一定の距離を置く、
そういうスタンスもあるのだなと
かえりみちに反芻するように考えていました。

わたくしおしゃまは。一度個人詩誌で発表した詩については
数か月もすると「なにを書いたんだっけ」と思うこともじつはあるのですが
いつも詩のタイトルをつけるときには、悩みに悩みます。

ときどき、先にタイトルに使いたい言葉が浮かんで
それに向かって書いていくこともありますが
おおくは後回しにしてしまいがちです。

取って付けたようなものはいやですし、
苦し紛れに詩のなかの言葉をもってくるのにも抵抗がある。

そんな自意識と葛藤の末に題をつけて、あとは
読者のみなさまに委ねて、じぶんはさっと裏手に隠れてしまう。

そういう姿勢に後ろめたさを感じるので
上に記したような、あっさり、さばさばとしてこだわりのない在り方に
一種の爽やかさをおぼえるのです。


2020/10/13

アンデパンダン展2020 有難うございました

 みなさま、つつがなくおすごしでしょうか。

11日、第9回せんだい21アンデパンダン展2020が無事におわりました。

おしゃまの絵にかぎらず、足をはこんで見ていただいたみなさま、
まことに有難うございました。

結局中本誠司現代美術館、のりっぱ、そしてインスタでのみ公開となった
無観客会場であるスタジオ開墾の作品は、2回見ることがかないませんでした。
最終日になんとか見に行こうと思っていると、やはり急ななにかが起こるものですね。
あと個人的事情で、パフォーマンスも見られませんでした。

しかしながら、心惹かれた作品のかずかずは
脳裏にしっかり焼き付けたつもりです。

会場に長時間いられないご時勢であるにせよ
そうすることはけっしてむつかしいことではないと思うのです。

無観客会場の作品をみながら思ったことですが
事情でもしすべての会場が、観客を入れられないことになったとしたなら
残念だけれど中止にしてもいいのかも知れないなと…

そうはならなかったので、制約があるとはいえ
作品とじかに向き合うことができたのは幸いでした。

疫病時代にもかかわらず、こうした展示の機会をつくっていただいた
関係者のみなさまにも、篤く御礼申し上げます。

例年とは違ったご苦労があったことは想像に難くありません。
懸念されたトラブルも特になかったものと思われ、肩の荷がおりたのではないでしょうか。

出展者のみなさまの許にも、作品がかえってきていることでしょう。
おしゃまのところにも、ついさきほど猫が来て届けてくれました。

お疲れさまでした。


2020/10/03

2020年10月3日

きょうは午前中からでかけて、
中本誠司現代美術館のオープン時間前に着いて
この美術館の常連さんと思しきおばあさまと
すこしお話しをしていました。

バスで来たらしいのですが
92歳だというのですが 足どりもしっかりしていて
しかももちものもおしゃれに思えて
10歳以上は若くみえましたので意外でした。
いくつになっても なにか興味関心のあることをもつことが
きっとだいじなのでしょう。

ことしのアンデパンダン展では
各会場できれば2回はまわりたいと思っています。
そして お知り合い顔見知りの方の作品は
撮影させていただいておりますが
なるべく気に入った作品は 記憶に残すことを心がけています。
なので中本のあと ふたたび    SARPを見に行き
そのあと 秋保にある ツリーハウスのあるところに向かい
ご姉妹で制作をされているお二人の展示をみてきました。

美術館というものは 展示室に一歩足を踏み入れれば
外界とはちがった世界が広がるのがよいのですが
じつはそこに至る過程、ロケーションもだいじなのです。

多くは語りませんが そういう繊細な感情を理解しない人が
行政を動かしていると いろいろと困るわけです。
結局大きい金の勘定しか頭にないのに
文化的なことに首を突っ込むと(一家言あるわけではぜんぜんないのに)まあ
ろくなことがないのです。

宮城県だけの話だけではないので みなさまも芸能ニュースではなく
もっとだいじなニュースを深掘りしていただきたく。

ここいらではradikoプレミアムでしかきけませんが
TBSラジオでこのたび22時台から上がってきた
「荻上チキ Session」にいまおしゃまは注目していて
帰宅後にきくようにしております。

J-WAVE「JAM THE WORLD」も 同局ではもう長寿番組ですが
ニュースの深層を知るうえで重要です。

萎縮することなく報道を続けてほしいと。

自由な表現を続けていくために 知っておくべきことについて
アンテナを伸ばしておくこと、考えてみません?

2020/09/30

2020年9月30日

 きょうから、せんだい21アンデパンダン展2020がはじまりました。

こういった時期ですので、長時間の滞在は憚られるので、じっくりと鑑賞するには二度三度と足を運ぶ必要がでてくると思います。

わたくしもいままでは各会場を一回みておわりだったきらいなきにしもあらずでしたので、せっかく一週間以上あるのですから、なんどもみて回るようにしようと思っているところです。


で、さっそく夕方SARPに行ってきました。

おしゃまの出展作、遠目の写真は貼りましたが、ぜひともお近くの方は直にみていただきたいです。

今回も、出展者のみなさまの作品の多様さ、自由さに瞠目することと思われます。

自由さといえば、SARP Bで同時に開催中の「フフフ不自由展 アンポンタンズtoday2020」もぜひご覧になっていただきたいです。

ちなみに社会的政治的意味はまったくないそうですが…

コロナ蔓延時代は不自由だらけですが、おもう自由は大切にしたいですよね。しかし嘘をつく人や暴言の自由は認めたくないとおしゃまは考えます。

言葉の暴力きらいですから…なんでこんなあたりまえのこと言わなくてはならないんですか! 

いろいろありすぎた上半期のおわり、満月の夜はなにかと引き寄せられるものがあります。おしゃまふらふらです。早くねます。ではまた。





2020/09/10

せんだい21アンデパンダン展2020に出品します

もうすぐ日付がかわりますが、きょう22時ごろの仙台は一時、災害クラスのゲリラ豪雨が降りました。
防災速報アプリからもなんの通知もないまま、十数分は降っていたでしょうか。

そのころ、おしゃまは車でかえる途中で、一瞬にして道路が川のようになり、
よく「バケツをひっくり返したような」と言われますが、いったいいくつ
バケツひっくり返したのかというような雨でした。
漫画や子どもの絵で、しばしば線状で表現される雨ですが、
今夜のは、まるでオーロラを思わせる面的な絵に見えました。

各地で災害が多発する昨今、みなさまもお気をつけて。

さて、きょうはおしゃまの絵の展示の話しです。

ことしも9月30日からせんだい 21アンデパンダン展が開催されます。
おしゃまもエントリーしていたのですが、展示会場が、
仙台アーティストランプレイス、SARPに決まりまして、
サイトでも発表になりましたのでご案内申し上げます。

http://sendai21-independants.com/

こんな時節柄、いくつか守っていただきたいことがございますので
公式サイトをよくご覧になってくださいませ。

よろしくお願いいたします。

2020/08/18

「ぼく」は気恥ずかしい。わたしが「わたし」という理由

みなさま、お変わりありませんでしょうか。
まいにち暑いですね。ほんと東京2020がつ・ぶ・れ・て・良かった…
新型ウィルスにはあいかわらず困惑させられていますが。


きょうは小ネタだと思ってください。

じっさいに多くを語れるほど能弁じゃないですから。


おしゃまは、おしゃまを名乗っているにもかかわらず男子なのですが
もうずっと前から 一人称は「わたし」「わたくし」「あたし」等で
通してきました。

詩のなかでも、一人称の「ぼく」「僕」はもう使わない、使えなくなって久しいです。


とくに「ぼくたち」などはもう恥ずかしくってだめです。
「ぼくたち」のあとには、どういうわけか
「広告ダメダメ三匹!」がくっついてきて、思わずコーヒー噴きそうになります。


という理由よりかは、じぶんの詩のなかで「ぼく」と書くと
一種のヒロイズム、男性性の強調、女性を従属的な立場に置く、というマイナスイメージがついてまわります。

最近の若い人の詩ではどうか、不明ではありますが、いわゆる現代詩が熱く盛んでもっともよまれていたという時代の空気として、男性中心主義というのが主体だったせいもあると思います。

もっとも、「ぼく」と書く詩人さんすべてそうであるとは思っていません。

もっとフラットな「ぼく」の書き方もあるとは思います。
具体的な例を思いつかないのがもどかしいですけれど。

過去作においては、まだそこまで意識的でなかったせいで
使ってしまった例もあります。

ただ、個人的におしゃまにはもう使えない言葉ではあるのです。




2020/07/07

用紙のはなしと、詩手帖の清岡卓行特集のこと

みなさま、つつがなくおすごしでしょうか。
最近あまりいいことがない、おしゃまですが、なんとか生きてはいます。

百葉17号の配本が止まっていますが、それは一時的に用紙がなくなったからです。
以前は中心部の文具店で購入していましたが、行けなく(行かなく)なってしまい
ほかに売っているところを探していました。

富士ゼロックスの「C2」という、A4判のカラー・モノクロ兼用紙なのですが。
ひとまずあまぞんを見てみたら、500枚だけだと送料700円!

ホームセンターものぞいてみようと思ったものの、一軒だけ見てもなかったので
効率悪そうと思いやめました。

市内の文具店チェーン(地元企業ね)某o店では、売ってなかったのですが
平滑度のことを忘れて紙の厚み(坪量といい1㎡当たりのグラム数で表記)だけに気をとられ、違う会社の製品を買ってかえって、あっ、、、、、という次第。

a店では売っていましたので、なーんだ最初に行けば良かったかなと。



あと、6月のことになってしまいますが
現代詩手帖5月号を取り寄せました。
特集が「いまから読む清岡卓行」だったのです。

例によってすこしずつよんでおります。
奥様である岩坂恵子さんのインタヴューおよび、堀江敏幸さんとの往復書簡、
装幀のみならず、音楽でもただならぬ才能を発揮している。清岡さんの三男である秀哉氏の回想的な文章も掲載されています。
氏の文章をよむのはたぶん初めて。
音楽は、福間健二さんの映画「秋の理由」で美術とともに担当されていて、切れのある哀愁を漂わせるギターソロにふるえた記憶があります。

内容については、みなさまご自身でよんでいただくのが一番かと。
なんだよ教えてくれないのかとは言わないでほしい。
紙の出版物を守る意味でも。




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