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2020/09/30

2020年9月30日

 きょうから、せんだい21アンデパンダン展2020がはじまりました。

こういった時期ですので、長時間の滞在は憚られるので、じっくりと鑑賞するには二度三度と足を運ぶ必要がでてくると思います。

わたくしもいままでは各会場を一回みておわりだったきらいなきにしもあらずでしたので、せっかく一週間以上あるのですから、なんどもみて回るようにしようと思っているところです。


で、さっそく夕方SARPに行ってきました。

おしゃまの出展作、遠目の写真は貼りましたが、ぜひともお近くの方は直にみていただきたいです。

今回も、出展者のみなさまの作品の多様さ、自由さに瞠目することと思われます。

自由さといえば、SARP Bで同時に開催中の「フフフ不自由展 アンポンタンズtoday2020」もぜひご覧になっていただきたいです。

ちなみに社会的政治的意味はまったくないそうですが…

コロナ蔓延時代は不自由だらけですが、おもう自由は大切にしたいですよね。しかし嘘をつく人や暴言の自由は認めたくないとおしゃまは考えます。

言葉の暴力きらいですから…なんでこんなあたりまえのこと言わなくてはならないんですか! 

いろいろありすぎた上半期のおわり、満月の夜はなにかと引き寄せられるものがあります。おしゃまふらふらです。早くねます。ではまた。





2020/09/10

せんだい21アンデパンダン展2020に出品します

もうすぐ日付がかわりますが、きょう22時ごろの仙台は一時、災害クラスのゲリラ豪雨が降りました。
防災速報アプリからもなんの通知もないまま、十数分は降っていたでしょうか。

そのころ、おしゃまは車でかえる途中で、一瞬にして道路が川のようになり、
よく「バケツをひっくり返したような」と言われますが、いったいいくつ
バケツひっくり返したのかというような雨でした。
漫画や子どもの絵で、しばしば線状で表現される雨ですが、
今夜のは、まるでオーロラを思わせる面的な絵に見えました。

各地で災害が多発する昨今、みなさまもお気をつけて。

さて、きょうはおしゃまの絵の展示の話しです。

ことしも9月30日からせんだい 21アンデパンダン展が開催されます。
おしゃまもエントリーしていたのですが、展示会場が、
仙台アーティストランプレイス、SARPに決まりまして、
サイトでも発表になりましたのでご案内申し上げます。

http://sendai21-independants.com/

こんな時節柄、いくつか守っていただきたいことがございますので
公式サイトをよくご覧になってくださいませ。

よろしくお願いいたします。

2020/08/18

「ぼく」は気恥ずかしい。わたしが「わたし」という理由

みなさま、お変わりありませんでしょうか。
まいにち暑いですね。ほんと東京2020がつ・ぶ・れ・て・良かった…
新型ウィルスにはあいかわらず困惑させられていますが。


きょうは小ネタだと思ってください。

じっさいに多くを語れるほど能弁じゃないですから。


おしゃまは、おしゃまを名乗っているにもかかわらず男子なのですが
もうずっと前から 一人称は「わたし」「わたくし」「あたし」等で
通してきました。

詩のなかでも、一人称の「ぼく」「僕」はもう使わない、使えなくなって久しいです。


とくに「ぼくたち」などはもう恥ずかしくってだめです。
「ぼくたち」のあとには、どういうわけか
「広告ダメダメ三匹!」がくっついてきて、思わずコーヒー噴きそうになります。


という理由よりかは、じぶんの詩のなかで「ぼく」と書くと
一種のヒロイズム、男性性の強調、女性を従属的な立場に置く、というマイナスイメージがついてまわります。

最近の若い人の詩ではどうか、不明ではありますが、いわゆる現代詩が熱く盛んでもっともよまれていたという時代の空気として、男性中心主義というのが主体だったせいもあると思います。

もっとも、「ぼく」と書く詩人さんすべてそうであるとは思っていません。

もっとフラットな「ぼく」の書き方もあるとは思います。
具体的な例を思いつかないのがもどかしいですけれど。

過去作においては、まだそこまで意識的でなかったせいで
使ってしまった例もあります。

ただ、個人的におしゃまにはもう使えない言葉ではあるのです。




2020/07/07

用紙のはなしと、詩手帖の清岡卓行特集のこと

みなさま、つつがなくおすごしでしょうか。
最近あまりいいことがない、おしゃまですが、なんとか生きてはいます。

百葉17号の配本が止まっていますが、それは一時的に用紙がなくなったからです。
以前は中心部の文具店で購入していましたが、行けなく(行かなく)なってしまい
ほかに売っているところを探していました。

富士ゼロックスの「C2」という、A4判のカラー・モノクロ兼用紙なのですが。
ひとまずあまぞんを見てみたら、500枚だけだと送料700円!

ホームセンターものぞいてみようと思ったものの、一軒だけ見てもなかったので
効率悪そうと思いやめました。

市内の文具店チェーン(地元企業ね)某o店では、売ってなかったのですが
平滑度のことを忘れて紙の厚み(坪量といい1㎡当たりのグラム数で表記)だけに気をとられ、違う会社の製品を買ってかえって、あっ、、、、、という次第。

a店では売っていましたので、なーんだ最初に行けば良かったかなと。



あと、6月のことになってしまいますが
現代詩手帖5月号を取り寄せました。
特集が「いまから読む清岡卓行」だったのです。

例によってすこしずつよんでおります。
奥様である岩坂恵子さんのインタヴューおよび、堀江敏幸さんとの往復書簡、
装幀のみならず、音楽でもただならぬ才能を発揮している。清岡さんの三男である秀哉氏の回想的な文章も掲載されています。
氏の文章をよむのはたぶん初めて。
音楽は、福間健二さんの映画「秋の理由」で美術とともに担当されていて、切れのある哀愁を漂わせるギターソロにふるえた記憶があります。

内容については、みなさまご自身でよんでいただくのが一番かと。
なんだよ教えてくれないのかとは言わないでほしい。
紙の出版物を守る意味でも。




2020/06/29

百葉17号 仙台で配布はじめています+ことしもエントリー

どうも。みなさまお変わりなくおすごしでしょうか。
おしゃまはもう5年ほど、風邪らしい風邪をひいたことがないのですが
(インフルになったのはひょっとしたらひと昔前かな?)
こんどの奴は一筋縄ではいかないようなので、用心しています。

おしゃまは先日、9月末から予定されているあれにエントリーしたのですけれども。
場合によっては中止あるいは無観客?になることも考えられるという
条件のもとで募集してるのですが、なにかわかります?

もうウォーミングアップをしているさなかであります。
このまえ仙台上空をぷかぷか、浮かんでいたという例の白いやつ、
あれがヒントになったんですが……
なんのことかは、いずれこのblogで言いますね。


さて。先だって編集中と書いておりました『百葉』17号ですが
もう先週火曜日から、市内各所に配本にまわっております。

置いていただいているお店などすべてに配置しましたら、またお知らせいたします。

いつも郵送させていただいている方々には、少々お待たせをしてしまいますが
近日中に発送予定ですので、よろしくどうぞ。

**

ところで、あさってからのコンビニなどでのレジ袋有料化、
どう思われますか?
なんか例の奴を口実にして、マイバッグ持参の客に冷たい仕打ちをするところが
多いですよね。
本心は、百均でまとめて買うよりはるかに高いレジ袋を、一枚でも多く買わせるために
やってるわけですよね。
あきれた業界だなあ。
サービスダウンと一枚3~5円取られるのと、秤にかけろというのよ。

削減効果はないと思いますよ。

***

ことしの東京ポエケット、急遽中止になってしまいました。
ほんとにやるのかとは思っていましたが……

もう東京では感染爆発はじまりかけていますが
お住いの友人知人のみなさま、ひきつづきつつがなくおすごしくださいませ。




2020/06/21

11年目の百葉17号編集開始しました

じつは、深夜も深夜、徹夜しそうな時間帯なのですが…

日付が変わったころに、今月推敲に推敲を重ねていた詩ができたのです。

これで公に未発表の詩が3篇になったので、『百葉』17号の編集を丑三つ時ぐらいからはじめてしまいました。

しかしながら、3篇では2ページ空いてしまう。
せめて1ページは埋めたい。
なにを書こうか思案しております。

日に推定30回以上は「眠い」「眠た」「眠っ」とぶつぶつ言ってるおしゃまですが
深夜というよりもう朝に近い(仙台だと6月中旬のいまは4時過ぎには日の出です)時刻、日中ほど眠いを連発してないのがふしぎですが…もうそろそろ横になりますか。


2020/06/16

途上のままで

きょう、某電子マネーの「会員様限定特典のご案内」なる郵便物が届いていたおしゃまです。
開けてみたら単にがん保険の勧誘(の入口として、一時金分の保険料のみ×年負担します旨)だったので、いろいろ複雑な気分になったのですが。
「×年以内に死ぬ予定はないよ」と申込用紙を丸めて、捨てました。

「ぼくは21世紀は生きたくない」と言って2000年を待たずにこの世におさらばしたのは、
詩人田村隆一でした。
もう没後20年以上経つのか…と思いつつ、たしか田村さん癌だったんじゃなかったかな?とwebで調べることもせず、わたし自身の記憶を遡るというチャレンジをみずからに課してみたわけですが(その割には数秒で思い出した…ことになるのかな?)
たしか1922年生まれじゃなかったか、そうすると生きてたら98歳か???とあまり意味のないことを考えてしまいました。

わたしもすっかりおっさん化してはいるのですが、
書いてることもふだんの行動も、あいかわらずです。
詩集はまだですか?とまれに訊かれますが、「わたしの詩は残らないでしょう」と経済的なことはとりあえず伏せて、それでもせいいっぱい真面目に答えるとこういう言葉になるのです。

ひとまず延命治療とかしなくていいよ…不幸にも死ぬ日がみえてきたら、
会いたい友人知人にはひとりでも多く会っておきたい。
そんなことも、この疫病時代元年の現状だとかなわないのでしょう。

あまり長生きしても生活苦だけが待っていると信じているので
ちょうどいい頃合いに…あと二十年以内に自然死が理想かな。
もっともじぶんでどうすることもできないですから、
過去ではなく「いま」が一番いい時だと、今後も思っていたいです。

あいかわらず脈絡のないはなしで恐縮ではあります。
わたしのような凡人に達成などありえず、なにもかも途上のままで
すこしでも進んでいきたいと思うのです。



まだ死ぬつもりなど毛頭ないおしゃまですが、きのうスーパーの駐車場でバックしてきた車に轢かれそうになったのです。
左右のミラーだけ見て真後ろを見てない、そういうドライバー近頃多すぎますが、
真後ろが見えないトラックドライバーは、あらかじめ駐車場所に人がいないことをじゅうぶん確認してから
左右のミラーおよび目視で車庫入れ等をするのであって、乗用車のすることではないと思います。
しかも子どもを車内に残して運転席から出て行ったのは若い母親。
これもやってはいけないことですよね。

おしゃまのなかの「自分では絶対にしたくないリスト」はどんどん厚くなっています。
運転中などに危ない目に遭わされたり、ヒヤリハットな場面があったときなどに反省の念を込めて、記憶に刻むようにしています。

みなさまも、どうぞご安全に、そしてお変わりありませんように。


2020/05/06

日が暮れて…

みなさま、つつがなくおすごしでしょうか。

もともと低体温のおしゃまはひとまず元気です。
夕方検温したら、35度前半でした。
耳があつい気がするのは、体温低すぎて
からだが抵抗しているのね。。。たぶん


いつぞやの肋間神経痛もおさまりました。


5月の連休もおわります。
わたしは屋内とはいえ現場仕事なので、あすからまた車で出勤です。
在宅だったら休みにしかならないわけで、笑

きょうの午後、イラレと格闘していましたが
おしゃま的zineである「おしゃま画報」の最新号、制作したものの
これは確実に没にしたい気分です。

テクストが(きょう書き上げた詩はともかく)
いまの時代の気分に負けていて、暗い、暗い。

ヴィジュアル的にもそうみえてしまう。
写真の不透明度を下げて重ねてみたら、そうなった。

pdf公開するにも、インクたくさん要りそうで申し訳ないなと。



なんかすこしでも気が晴れるようなものをと思ったんだけどな。
そういう才能はないんでしょう。


半日むだにしました。
食欲がありません。



2月か3月くらいから書いていた詩が、きょうできたのです。
「百葉」前の号つくってたのが半年前です。
疫病騒ぎで日々追われていたので、気づいてみたらそんなに。

少なくともふつうに喫茶店などがひらかないと、新しい号をつくっても
配布しづらいんじゃなかろうかと思います。
イヴェントなんかも軒並み中止だと思いますし。


**

写真とカメラのことでも、また変化がありました。
最近CONTAX Tが1台かえってきたのです、
写真載せておきます。

このblogにも1回紹介したことあるはずですが
なん年前だろう…
2017年だったかな。

修理不能に近い個体ということで、この1号機はそのままで
あとからジャンクで3,000えんだったほうを直してもらいました。

でも、1号機もふつうに使えます。
もともとだいぶくたびれて満身創痍な外観ですが
レンズもきれいだし動作はしているので。




西ドイツ設計の元祖高級コンパクトRollei35とも並べてみました。



横幅はほぼ同じ、高さはTのほうがあるけれど
連動距離計内蔵にしては小さいというべきでしょう。
レンズを引き出したら、フラップ部分別にすればだいたい同じか。
焦点距離も2㎜違うだけ。
裏蓋というよりカバーを引き抜いてフィルム詰めるところなんか
兄弟というか親戚というか。
Rolleiのほうもシンガポール工場製ながら
カールツァイス テッサーが付いています。Made by Rolleiではないのです。
(写りについては遜色ないとされています)

2号機はまたいずれお見せできればと思います。

***

みなさまも、どうぞお変わりありませんように。








2020/03/30

花の命は(詩としゃしんのはなし)

みなさま、お元気でいらっしゃるでしょうか。
ほんとうに、ほんとうにお元気でしょうか。

とおくにいる友人知人、わりと近くにいるつもりの友人たち、
そうでない人たちであっても、この災禍のなかで
生き抜いてもらいたいと、おしゃまは思っています。



きょうから、詩作ノートをあたらしいものに切り替えました。

2年ほど使って、あと数ページを残すところとなっていたものに
書きつけていた言葉が、次の行へとすすんでいかなくなって
それらの推敲は今後も続けますが、ただでさえ気のふさぐこのご時勢、
思い切ってぱしっと次の一冊へと移行させました。

いつも、あたらしいノートの最初のページには
扉詩のような言葉を書いているのです。
友人の白井さんにならって、そうするようになったのですが
そこから『百葉』に掲載した詩もあったりしました。
今後も、発表する詩のどこかに含まれたりすることでしょう。

ちなみに、おしゃまはA5かB6判のリングノートを
横にして縦罫にして、縦書きしています。

**

こんな昏い世のなかですが、いずれ(近いか遠いかは知らないけど)
死ぬのであれば、いまのうちにやりたいことを、
できればたのしいことをしておきたいと思って、
きょう、また中古カメラを一台買いました。

といっても、レンズに曇りがあるということで
数千円しかしない(ちゃんとしたものなら万券要るはず)、
レシートにも「掘り出し物」としか品名がないものでした。


昭和30年ごろのコニカⅡ型です。
いくつかバリエーションがあるようですが、おしゃまのところに来たのは
ヘキサノン50㎜f2.8の付いているものです。


距離計連動式、レンジファインダーのカメラですね。
お店で手にとらせてもらい説明をきいたのですが
おしゃまの知っている(あまり知らないけどね)どんなカメラとも違う
独特の操作系で…とくに鏡筒まわり。
まるでお作法を学んでいるような気分でした。

スローシャッターも調子が良くないとききましたが、
帰宅して裏蓋をあけ、シャッター速度を変えてテストしましたが
スローガバナーがまったく効いてないとかじゃなく、
この値段ならおしゃま的には充分いける気がしました。

ひとまず期限切れでないフィルムを詰めて試し撮りしてみます。
(2月に20本くらいも!ある方から期限切れを寄付していただきましたが
 それをこのカメラで使うのはまたいずれ…)
      それにしてもいまカメラ2台に撮りかけのフィルムが入っとります。
      だいぶカメラの断捨離をしたとはいえ、これでだいじょうぶかな?


ところでこのカメラ、アイレットというものがない。
ストラップの取付部、タブのような突起がない。
そのためカメラケーズが必須なのですが
この個体にはちゃんと附属しておりました。
ご丁寧に、革のストラップにはレンズフードのケーズも通してありましたが
縦位置撮影のとき、おしゃまの帽子に当たってじゃまなので外しました。


広角~広角寄りの焦点距離のカメラを多く使ってきたために、
ひさびさの50㎜レンズの画角に慣れるまで、ちと時間がかかるかもです。
だいたい両目からまっすぐ線を伸ばしていった先がフレームなのかなと思います。
人間の眼でみた印象に近いという「標準」レンズです。
ファインダーをのぞきながらあるいてかえってきて、そこは納得できました。





仙台では史上最速で桜が開花したものの、
文字通り花を見るだけで宴席なんかとんでもない状況ですが
それが本来の桜をめでる態度なんじゃないかなあとも思うのです…桜を見るかいなんてトンデモナイ


「花の命はみじかくて 苦しきことのみ多かりき」とは
林芙美子の放浪記の扉詩だったように記憶していますが
いつこの苦しい時期を乗り切れるのでしょうか…





2020/02/24

つらいこと

先週は、ひさびさにいろんな友人や知人に会いに行きました。

このところ、週末はひきこもって暮らしていましたから。

そのせいか、あるいはもともとのおしゃまの性分なのか、
なにか話したいことがあってもうまくしゃべれない、そんなもどかしさと
ひけめを感じることがしばしばでした。

ひとりでいるときに起きたことを闊達に話すことはあっても
他人と思いを共有できるような経験が希薄なのです。

そういう世界から隔絶されている、遠ざけられていると思うことしばしば。
じぶんが異質な存在であると感じ、疎外感に苛まれ、やるせなくなります。

みずから択んだ孤独はすきなのに、また友人と話すこともすきなのですが
未知の人や、よく知らない人とうちとけるのがとても不得手で。

仕事みたいな場で、わたくし的な感情抜きで話すことには支障はないのですが。

言葉をつむいで生きているつもりなのに、現実の言語とはひどく折り合いがわるい。

どうしたことでしょう。






さいきんは肋間神経痛にも悩まされている、おしゃまでした。





2020/02/08

夜更かしして

先日、また詩を一篇書きました。

11月下旬くらいから、またあーでもないこーでもないと
じぶんの心のうちを探るようにして言葉をつまみあげては
ノートに書きつけて…それはいつも通りなのです、が。

どういう帰結になるか、書き終える日までわからなかったのは事実です。
まあそれもいつもかな?

ざっくり申し上げて、こんどの詩のテーマは「不眠」でした。
でした、と過去形ないしはひとごとのように流しましたが、
これも最後の行が導かれるまで、じぶんで書いていながら
気づいていなかった。

四捨五入すれば50になんなんとする中年がなにを、と笑われそうな気もしますが
中二病的なモチーフも含まれているような気もする…

じっさいのところ、おしゃまはふだんは寝つきは良いのです。
とくに枕もとに詩のノートと万年筆を置いておくと
気もちが落ち着くのです。
たといなにも書けないとしても。

週末に夜更かししても、時間帯がずれるだけで
結局眠ってしまいますね。

ちなみにいま土曜日の25時。

そろそろねむりたい気分ですが…


2020/01/05

おしゃま動画はじめました

ことしから、零細ななかにも零細ながら、
YouTubeに動画をアップすることにしました。

おしゃま名義で、です。

不定期で、もしかしたら2020年はこの2本だけかも知れませんが。

いずれも純喫茶・星港夜にて撮ったものです。

どうぞご覧あれ。






おまけ。



さいきんFM802がお気に入りのおしゃまですが、
きのう番組で流れていて、琴線にふれる、というか
単純にウケました、笑

ヤマハ三菱トヨタスズキソニー…につづいて歌詞にでてくる日本企業はなんと!
「ミノルタ」なんですね。

カワサキサンヨーカシオ東芝…とほかはみんなバイク、自動車と家電メーカー。
ミノルタもいまや(コニカミノルタとして)カメラ事業はやめて久しいのですが
当時はエルンスト・ライツ社の提携先として
かの国では知られたブランドだったのでしょうか。

しかしこの時代になるとエルンスト・ライツもカールツァイスも
「ライカ」「ツァイス」と略称だけ鏡筒に刻まれるばかりですね。
なんか軽薄だなあと思ってしまうのですが。

搭載されるカメラもパナソニック(松下電器だったのは昭和か?)とソニーに。

しかしこの曲の軽快でナンセンスなノリはいいですね。
若い日本人の歌にFB,ツイッタ、LINEとか登場する時代に
こういうウイットはないですな。





2020年

また新年になりました。

昨年、だいじな旧友一人を亡くしたわたくしおしゃまは、
喪に服するつもりで、年賀状もつくらず餅も好物の塩数の子の塩抜きもせず
正月らしいことはとくになにもしませんでした。

昨12月に、百葉を置いていただいていた
コトリコーヒーさんが閉店となってしまい、
そんなこともあってのことですが
「新元号も年賀状も、なくていいんじゃないの?」と個人的には思っています。

手紙を書く習慣じたい、わたしじしんの生活から遠のいているのが
じっさいのところではありますが、
年賀状はそれとは違うでしょう。

また、元号をつかわないとなると
「2020東京なんとか」に巻き込まれかねないという
いやーな気持ちもするのですが、仕方ない。
皆さん!! 西暦どんどん使いましょう。

正直、平成はわたしの高校時代以降…まあ暗黒時代だったけどね高校…
酸いも甘いも、よろこびもかなしみすらも、大半がそのなかで起きたのですからね。

その平成がおわって感じたのは
「これからは老いていくばかりの時代になるんだろうな」という
さびしいけれども確実な予感でした。

***

**



詩は、あいかわらずほぞぼそと、
書きつづけております。

ことしもこれといったイヴェントはないと思いますが
百葉をこれからもよろしくおねがいいたします。


2019/11/06

おしゃま11/06の日記 7-4=3の衝撃

なにかとボコボコな日々をおくっております、おしゃまです。

百葉16号ですが、場合によっては越年するかもです。
2ページ空いてしまっているのですが
なにかじぶんで書き下ろすか
割り付けをくふうするか、どちらかでなんとかしようと思います。

また一篇詩を書くとなると、みじかいものとはいえ
時間がかかるなあというお話しです。

***

おしゃまは、Special Favorite Musicという7人編成のバンドもすきで、
これからブレイクしていくのをたのしみにしていたのですが、
なんと10月に4人脱退ですって。。。
7-4=3で以後は同じ名義のバンドとして活動していくってことですが、
それって、むかしむかし、吉良知彦と上野洋子のZABADAKが
一時吉良知彦を筆頭にメンズのみのユニットに変わったときの
ショックに近いなあと。

若いひとたちの集まりだったし、何があったか知らないが
袂を分かつことがあってもふしぎはないのではありますが
なんだか寂しいです。

**********************************

さて。
以下は過疎blogならではのたわごとです。

ストレスザクザクな日常に対して、耐性がないのが
おしゃまの弱点なのです。
そんなわたしのようなポンコツ中年にも、
やさしい言葉をかけてくださる方はいらっしゃるのだなと
思った11月6日でした。

満水になっていた心のなかから、
急に水が引いて、からっぽになったような気がしたのでした。
いい意味でのからっぽ。
そして、なんとなくからだが1㎝くらい浮き上がったような
ほわーっとした気持ちになったのです。

なんのことだかわからなくてもいいよ…




2019/10/30

次の「百葉」は冬発行予定 編集開始します

写真のことばかりつづけて投稿してきましたが、
ちゃんと詩も書いておりました。

きょう、夏ごろから練りに練っていた詩を書き終えました。
ほぼこの一篇にかかりっきりでしたが、
ノートの日付をみたら、その最初は6月でした。
9月ぐらいだったつもりでしたが、もっと前だったのです。

もうまもなく11月ですものね。
途中でさすがに「夏」の一文字は置き換えましたが、
それにしても。

また書いた詩が3つになりましたので、
またも冷え冷えとした詩ばかりで、冬発行予定の
「百葉」の編集を始めたいと思います。

まだ一篇はタイトルすら決めてなかった、、、

表紙の写真もえらんでないですね。



2019/10/27

トイカメラの分解掃除 おしゃま10/27の日記 

しばらくまえに部屋のどこかから引っ張り出した、
学研「大人の科学」の35㎜判ピンホールカメラ。

分解したはずみで、ピンホールレンズがどこかにいってしまい、
これではオブジェにもならないよと、おもしろくない気分だったのですが。

 おまけみたいに附属していた、単玉のプラレンズを発掘しましたよ!笑

かなり汚れていたので、ここまで分解して掃除しました。
シャッターユニットの蓋を間違えてあけてしまい一瞬焦りましたが、
部品を飛ばしたわけではないのでわけなく復元できました。

いまどきのように、針穴写真用の露出計アプリがあるわけでもなく。
ピンホールとしては1回くらい使っただけで、あきらめて放置していたわけですが。

プラレンズ発見で、もともとぼんやりした写真も表現としてはすきなおしゃま、
使ってみたくなりました。
しかもセルフコッキングではないので、
巻き上げなければ何度でも多重露光が可能ときている。

ちかぢかフィルムを入れてみるつもりです。

2019/09/08

武田さんのラジオ番組「手紙」で

台風が近づいているせいか、風があるのに
肌にまとわりつくような湿気が暑さを倍加させて、
もう秋だとばかり思っていたのに、きついですね。

今回もお知らせです。
仙台のコミュニティFM「ラジオ3」で
日曜午前10時に「手紙」という番組があります。
武田こうじさんがDJをつとめるのですが
その名の通り、基本的には武田さんと
立場も肩書もさまざまなひとたちとの
手紙のやりとりがメインの時間です。

むかしは「往復書簡」なんていいましたね……

その番組内で、八森との手紙が放送されます。
じつはきょう1回目の放送だったのですが、
来週再放送が同じ時間帯にあるので、きょうお聞きになれなかったみなさま、
よろしければきいてみてくださいませ。

もちろん今の時代なので、ストリーミングでも聞けます。
スマートフォンでもきけるアプリがありますので
よろしくお願いいたします。

これから東北地方も台風シーズン。
西のみなさまももちろんですが、
備えは万全に、お気をつけておすごしください。


2019/09/01

せんだい21アンデパンダン展 初出展します

9月になりました。
芸術の秋、読書の秋、食欲の秋……
たとえば春にこういった惹句がつかないのはなぜなのでしょう。

まあ、それは、ともかく。
毎年開催されている、せんだい21アンデパンダン展ですが、
ことし、おしゃまも初めて出展いたします。

色鉛筆画を一枚、つたないものですが
展示させていただくことになりました。

仙台市内のギャラリーなどが主会場なのですけれど、
おしゃまは、青葉区双葉ケ丘の「ギャラリー越後」と決まりました。

気がついたらサイトでも発表になっていたので、取り急ぎお知らせです。

9月24日から10月6日まで。
お近くの方は、おしゃまのみならず、多彩な作品をみてあるいてくださいませ。
よろしくどうぞ。

http://sendai21-independants.com/

2019/08/21

期限切れフィルムと多重露光

もう「残暑」の時期に入りました。
ひところに比べたら、だいぶ涼しい日もありますが
まだちょっと油断ならないですね。

きのうは長袖ででかけたおしゃまです。

フィルムの消費はまたひと着きに一本くらいのペースに戻りましたが、
先日ローライ35でははじめて、多重露光を試みてみました。

また2002年期限切れのフィルムで…
いつもの写真屋さんで通常現像できる古いフィルムは
せいぜい20年が限度かなあと思うほど、いい感じに劣化した仕上がりでした。
1984年のフジカラーF-2だと、東京のフジカラーに送られて
(特殊扱いで手現像されるそうです。送料もかかるようになってしまった)
フロンティア(お店に置いてあるでっかいスキャナとプリンタ)で焼くのも一苦労なので
このくらいが撮る側としても扱いやすい。
でも持ち駒が…在庫がだいぶ減ってきました。
パトローネ回収(→コレクション=また捨てられないものが増える)前提で
三菱カラーフィルムなんてものも使わなくてはならないでしょうか、いずれ。


それにしても多重露光って、もちろん偶然のウエイトが大きいのですが
(狙って絵作りしてる人は別)、普通に撮ってもなかなか浮かんでこない
おしゃまの内面がよりくっきり写しだされる気がいたします。
内向きなんだけれど、言葉が浮かぶのですね。
今後も深く追求すべき手法ではないかと、先日のプリントをみて
思った次第です。

*お願い*
みなさまのご自宅やご実家に眠っている古いフィルムがありましたら
お譲りいただけないでしょうか。
なんらかの形でお礼はさせていただきます。」
(ポストカードにして差し上げたりするのは如何でしょうか)
詩誌百葉に記載のメアド宛にご連絡くださいますと喜びます。
よろしくお願いいたします。

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