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2016/03/21

写真展を終えて、これから

きょうで、カロスギャラリーでの「Sha-gaku vol,10」は、無事終了しました。

ご来場いただいたみなさま、おしゃまの足跡帳にコメントを残してくださった方々、初心者のわたくしに手厚く支援をしてくださった、ギャラリー代表の佐藤さんに、篤く御礼申し上げます。

週末に在廊していて、お話しができた方はわずかでしたが、口下手でうまく、意図するところを説明できなかったかも知れないので、終わってしまってからでは遅きに失した感もあるものの、すこし補足的に書いておきます。

ことの発端は、1983年が使用期限のカラーフィルムを入手したことでした。
そのネガの1本目を詰めて撮影して、プリントした結果、ふしぎなエフェクトがかかった写真ができてしまったということで、加工は一切していません。
そういった効果をふたたび再現できていないのは、しばらく前に書いたとおりです。
絞りを開放気味にして、シャッタースピードも遅めに設定すると、青みがかっているものの、わりと普通に写ってしまう。
かといって、曇りの日などにやや絞り気味にすると、夜のような写真になってしまう。

技術的には上のとおりなのですが、わたしがその後も同じことを試みている理由は、最初の1本をプリントしたときに得られた、夢でみたような、あるいは生まれる前にみたことがあるような(むろん、それは錯覚にすぎないのですが)、ふしぎな既視感をともなった、あらたな心象風景をみてみたいという、単純なことです。
詩のことばとは、性質もフォルムも違うのですけれども、それゆえに詩作品では表現しきれない、また反対に、写真だけではなにか足りない部分を相互に補完しあって、おしゃまの表現活動を前に進めていけたらという思いがあるわけです。
その割には、どっちも中途半端なんじゃないの?とじぶんながらも思わずにはいられないのですが。

ともかくも、どんなフィルムを使うのであれ、おしゃまは写真をつづけるつもりでいますし、詩作にもますます注力しなければと思う、きょうこのごろです。

2016/03/11

5年目のまち


3月11日金曜日、東日本大震災から5年目の夜、しずかにコーヒーをのみたくなって、いつもの純喫茶・星港夜まで行ってきました。

途中で地下鉄を降り、アーケード街の一番町から勾当台公園を通って、上杉まであるいたのでしたが、ところどころで騒々しいバンドの歌がきこえていて、耳を押さえて直ぐにその場を立ち去りました。
勾当台公園市民広場(市役所と目と鼻の先)でも、なにか昼間から催しがひらかれていたようすでしたが、そこでもアンプとスピーカを通して、大音響で歌う人がいました。
いわゆるゲリラライヴではないようでした。
鎮魂とはまるで正反対のお祭り(?)騒ぎで、うっとうしい気分にさせられたのは事実です。

街をゆく人も、これから飲み会なのか浮かれているふうなひとたちばかりにみえました。
つよい違和感をもたざるを得なかったのは、わたしがひねくれているだけだったのでしょうか。
仙台ってほんとに「被災地」なんだろうか? と思わずにはいられませんでした。
これが「復興」だとは、思いたくない。
いまの時代は、みるべきものを見ず、聞くべきことに耳を傾けていないんじゃなかろうか、と平素から考えていましたけれど、それが確信に変わりつつあるのは、かなしい現実ですね。

そんな俗世間とは別の空間のような、落ち着いた時間をシンガポールナイトですごしてきました。
いつもの金曜夜は、お客もおおくて、良くもわるくも賑やかなのですが、きょうはカップルもいなくて、誰もがしずかに、じぶんの時間をすごしていて、この日に足を運んで良かったと思ったのでした、けれども。
かえりの地下鉄も、酒くさく、器量は小さいくせに声ばかり大きい男子学生の集団に遭遇して、だいぶ辟易させられました。

こういう環境で、魂を腐らせないようにするのは、正直たいへんなことに思われます。
詩を書く人間くらいは、浮世離れしていようが、そこから一線を画することが必要と考えます。

さいきん、愚痴ばかり書いてるみたいで、申し訳ないです。
芳しいお話がもっとあればいいのですけど。


2016/02/20

Sha-gaku vol.10スタート、そして


去る2月18日より、カロスギャラリーにて「Sha-gaku vol.10」が始まりました。

わたくしもその末席をよごしているわけですが、この3ヶ月ほど、準備に追われていましたので、
あとは週末にときどき在廊するくらいで、ようやくほっとしているところです。

写真関係での最近のアクティビティといえば、オリンパスOMマウントのレンズを2本ほど、調達したことでしょうか。
もちろん、中古なのですが。
35mmf2.8は、純正のZUIKOレンズですが、もう一本のズームマクロは、某店のジャンク品コーナーで激安で入手したものです。
社外品で、鏡筒にすこし凹みがあるため、数百円で売られていたのでしょうが、問題なく実用になります。
80-200mmf4.5というスペックの、きいたことがないメーカーの品です。

   *   *   *

ところで。
最近のおしゃまは、かつてないほどに、魂が疲弊し切っています。
前の投稿で、肌荒れみたいなもの、と書きましたけれども、根はもっと深いような気がします。
職場などでのじぶんと、詩や写真にかかわっているじぶんとの落差に、絶えず傷つけられていると言ったらいいのか、わたしという人間に絶望しきっていると言うべきか、はっきり根源を探りあてるには至っていませんが、ほんとはもっと内気でだめな奴なのです、おしゃまは。

一種のメランコリーに陥っているのかも知れません。
きょうも、午後から在廊しようと思っているのに、まよなかのいまに至るまでねむれずにいます。
ひとさまから言われるほど、純粋でもなんでもない、屈折した複雑系の、ときに混濁する自意識を制御し切れていない。
それは、いままで書いてきた詩作品にも影を落としています。
貧寒としたわたしの日常を、もう一度生きなおすための抽象化であり喩法であったりしたはずなのに、なげやりにじぶんを放擲しているだけの現在、言葉は涸れ気味です。
もっと思いを溢れさせなければ、こうなることはわかっていたはずなのですが。
あらためて、わたしじしんの内面をみつめる必要を感じています。


2016/02/06

キャンドルナイトポエトリーin星港夜のお知らせ

 また、おしゃま主催のイヴェントの告知です。
 とはいっても、今回はわたしは裏方、黒子です(もともとそういう役割の方が合ってるような気がします)。

 2月27日土曜日、いつもの仙台は青葉区上杉の「純喫茶・星港夜」にて、
沖縄在住の詩人、白井明大さんを招いての朗読会を開催します。


新詩集『生きようと生きるほうへ』収録の詩の朗読と、
それにまつわるお話しをきいていただこうという内容です。


キャンドルナイトポエトリーin星港夜
 白井明大『生きようと生きるほうへ』

2016年2月27日(土) 16:00-18:00
於:純喫茶・星港夜(シンガポールナイト)
仙台市青葉区上杉1-12-1
地下鉄南北線「北四番丁」駅から徒歩約10分 
 上杉山通小学校北側

会費:600円(1ドリンク付)
予約制:メールにて受付
お名前を明記の上、shitomachi.machi.to.shiあっとまーくgmail.com 宛(かなを@に換えてください)にお送りください。

白井明大さんHP


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2011年以降、変わってしまった世界と、
詩人が暮らす沖縄をとりまく諸々のこと、
そこから紡ぎだされる詩のことばのありようについて、
お話しいただけるのではと思っています。
 

なお、お席に余裕があるばあいは、予約なしでふらっと入ってきていただいても対応いたしますが、
なるべくご予約をお願いいたします。


2016/02/01

Sha-gaku vol.10 に参加します

 こんどは、公募写真展に作品を出すことになったおしゃまです。
 
 昨年の「ちいさな詩の朗読会 第一章」以降、表立っての活動はしていなかったけれど、じつは写真展の準備をしていたのです。
 むろん、個展をひらくほどのものは、なんにも持ちあわせがないのですが、作品数5点、ギャラリーの壁面2面を借りての発表でしたら、なんとかできないことはない、と思ったのです。

 そのあいだ、多忙と気ぜわしさのためか、もしくは怠惰のためもあるとは思いますが、詩のほうは一篇もできていません。
 あまり詳しくは言えないけれど、気が荒れていたというか……荒れている、とは、肌荒れのようなものだと思っていただくとわかりやすい(?)だろうか。

 今回の写真にかんして、すこし能書きふうなことを述べるとすれば、ある偶然で変わったエフェクトがかかってしまった銀塩写真(フィルムですね)のプリントをみて、なにかの萌芽のような、いままでわたしが撮ってきた写真とはまた別の世界が急にひらけてきたような気がしたのです。
 茫洋とした、絵画的にも見えるけれども、まぎれもなく写真であるという。
 偶然性、一回性の芸術であり、作為が必ずしも成果を生まないジャンルである点も、好ましく思っている。
 反面、今回展示する写真のようなものが、もう写すことができないのではないかという淋しさ、危惧も同時に感じている。
 
 詩はいちど書きおえたら、作者の手をはなれて、二度と同じものは書けないと思っている。
 たぶん、それでいいのだし、自己模倣のスパイラルに陥っては、読み手にとってもたいくつであろう(あるいはそれが不安で、現代詩を遠ざける人もいるだろうけど)。
 今後も絵画的な、夢でみたことがあるような写真を撮りたいという方向性はできたけれども、同じ手法をただくりかえしても、同様の結果は生まれないかも知れない。
 そんな共通項があるように思われた。

 写真展の詳細は、以下のサイトをごらんください。
http://www.kalos-gallery.com/exhibition/sha-gaku_vol10.html

2015/12/23

この国はもう滅んでいい

 わたしはもはや長生きしたくなくなってしまった。
 21世紀の日本も国際社会も、果たしてこれが20世紀のひとたちがほんとうに望んだような姿になっているとは、とても思えない。

 政治には、なにも期待できないので、おおくを語りたくないが、極右政治家が本気で戦争になってもいいと思っているなら、かれらを落選させなかった有権者に責任があるので、勝手にしろと言いたい。
 ただし、戦争にはわたしは協力しない。
 だれもがそうであることだけを期待している。
 
 経済のことには完全に門外漢なのだが、この国の経済を動かしていると思っているであろう中高年以上の男たちの表情がどうしても好きになれない。
 ほんとに経済的な豊かさだけが、日本を豊かにしたと考えているのだろうか。
 亡くなられた辻井喬さんは、どうやら自己も含めて、そのへんを徹底的に精査して、そうではないと思っていた、たぶん最後の経営者だったのではなかろうか。
 氏の回顧録をよんでみると、昔の意気盛んな、骨のある経済人たちがなん人も登場するが、そんな人間くさい、志のある人物は、もうどこにもいなくなった気がする。
 Japan as Number Oneなんて形骸化した旧い看板を、いまだに信じ切っている人たちばかりなんじゃないか。

 市井の人たちも、みな一様になにかに毒されているように思われる。
 歩道を暴走する自転車に当て逃げされたり、孫と思しき幼児と自転車で歩道を走ってきた中年の女に、すれ違いざまに「じゃまだ」と言われたこともある。
 これはわたしの個人的な不幸というよりは、ただただ無知にしてじぶん中心にしかものを考えられない、老いさらばえたかれやかの女の精神的な空洞に響きわたる悲惨さの顕われであろうが、まさかとは思うけれどもこんな人たちが、無言にして無意識的に多数派になりつつあることが、上に書いた政治的・経済的なことを差し置いて、もっともこの国を揺るがす滅びの前兆なのではなかろうか。

 いや、もうすでに滅亡の過程にあるのだと思える。

 善意の旗を振りかざしても、もはやとどめようのない崩壊がはじまっているのだ。
 たぶん、かれら精神的貧困層と一線を画する矜持があるかぎり、わたしの気は晴れないし、不幸の種も尽きないであろう。
 これは一部の人間が企てる戦争よりもこわい。
 個人の内面に沈潜していて、本人たちすらも意識していないからだ。

 こんな考えにとらわれている状態も、じつにつらいのである。
できれば、しばし紛れさせたいとは思うのだけれど。
 
 

2015/12/06

ちいさな詩の朗読会 第一章 終了しました

 11月28日の「ちいさな詩の朗読会 第一章」は、盛会のうちにぶじ終了しました。

 ご来場いただいたみなさま、一緒に会をひらいてくださった武田こうじさん、会場を提供してくださったシンガポールナイトのマスターとおかぴさんに、感謝申し上げます。

 そんなに緊張してはいなかったのですが、不安はありました。
 たのしんでいただけなかったら、どうしよう、と。
 幸い、杞憂におわりましたけれども。

 練習不足を痛感させられたのが、個人的な反省点です。

 第二部のために、自作、あるいはお好きな詩のテクストを持参していただいた方が思いのほかおおく、参加型の朗読会の性質も加えて良かったと思いました。
わたし自身のことよりも、そちらのほうが嬉しかったのです。

 第二章のことは、まだ白紙ですけれども、そのまえに、当日会がおわってから、武田さんと話していたことに、シンガポールナイトで、ときどき詩をよみあったり、話しをしたりする機会があってもいいよね、というのがありました。
 内輪での、それこそちいさな集まりになりそうですけれども、検討して実現出来たらいいなと思っております。

 では、当日のオープンマイクに参加してくださったみなさまがよまれた詩のタイトルを以下に記しておきます。
 作者名、タイトルの順です。

チアーヌさん 「クールな大介」
一方井亜稀さん 「遠景」
浜中純さん 「海を旅する」「ありがとう バイバイ」
赤松由美子さん 「無題」
大和田尚子さん 「いだく(懐く)」「夏の終りに」
佐倉リエさん 「街」
鈴木宏子さん 「つかめない街」「秋愁い」
加藤遥さん 「手」「ハロウィンの夜」
構造さん 「2015 Neo農協」
矢野竜広 「あたりまえのこと」(*はぶひろこさん朗読)
長田弘 「散歩」(*あべともこさん朗読)


 有難うございました。

2015/10/12

ちいさな詩の朗読会 第一章 ~詩誌百葉10号記念~


わたくしの個人詩誌『百葉』が、このたび10号目を発行するはこびとなりました。

この前の冬からあたためていた朗読会の企画、一回目はそれにちなんで、
はずかしながらも10冊の『百葉』からえらんだ詩を、武田こうじさんとともに読みます。

第二部はオープンマイクの朗読会となっております。
お好きな詩のテクストや、自作の詩をお持ちくだされば、参加していただけます。

11月28日の土曜日、16時に「純喫茶・星港夜」でお待ちしております。




ちいさな詩の朗読会 第一章 ~詩誌百葉10号記念~
20151128日(土)16:0017:30
会場:純喫茶・星港夜(シンガポールナイト)
仙台市青葉区上杉1-12-1 022-222-2926
第一部 出演:八森紅雄×武田こうじ
第二部 オープンマイクの朗読会 *参加自由・好きな詩、自作の詩などお持ちください
入場無料(ワンドリンクオーダーをお願いします)
お問い合わせ:shitomachi.machi.to.shi(あっと)gmail.com 

*()内を@に換えてください



2015/08/12

白井明大『生きようと生きるほうへ』

 白井明大さんの新詩集(5冊目になる)、『生きようと生きるほうへ』を、なんどとなくよみ返している。

 じつは、去る7月25日に、神保町でひらかれた出版記念の会に出向いてきた。
できたばかりのまあたらしい本を、ひと足さきに、会場で売っていただいたのである。

 こぢんまりとした集まりではあったけれども、和ろうそくに灯をともして、冷房もない木造の「平安工房」さんのショウルーム(だと思うけど……)のなかで、白井さんが詩を朗読し、あいまにそこに込められた思いを語る、かけがえのない時間だった。

 東日本大震災後に書かれたという、この本に収められた詩のかずかずには、そのあとにも相次いで発生した不幸なできごとが、抜きがたく翳を落としている。
 たぶん、あの日を境に激変した日本社会への、控えめにみえてじつは痛烈な批判を、ゆっくりと噛みくだくように、花の名前を調べ親しんでいく生活や、家族へのいままで以上に繊細なまなざしを通じて綴られていく。
 生きることのかけがえなさ、それは白井さんが従前から大切にしてきたことなのだけれど、なのにひとつひとつの命が、あっけなく軽んじられてしまうできごとをまのあたりにして、おおくの人がそうであったように、かれも衝撃を受け、深く傷つけられたのだろう。しばらくなにも書けなかったと、けれど書かなければ終わりだと、当日話していたようにおぼえている。
 
 詩集の後半におさめられている「生きる」という作品があるのだが、この詩の冒頭で
 
  なぜ逃げた と言われたことが何度かある

と詩人は告白する。東京からかれの母上の故郷である沖縄へ、幼い子のことを思った奥様に行きたいと言われて即断したことも書かれている。「なぜ逃げた」以下については、とおくにいながら、いつも親しくしてもらっているわたしもまったく知らなかったことで、少なからぬおどろきを感じたのだったが、この長い詩を通して、上に記した「生きることのかけがえなさ」が切々と、ある種捨て身といってもいいほどの真剣さで語られているといっていいかと思う。
 短絡的な発想で移住したのではないことは、よめばわかってもらえるだろう。そののちも葛藤がつづいたことで、かれも苦しんでいたことが明らかにされる。
 震災後のあれこれで露呈した、じぶんだけは責任を免れたいという保身だけで行動する醜い人たちの詭弁とは、正反対の生身の言葉がそこにある。
 好き嫌いはあるだろうけれども、いまという時代を、素のままで言葉だけをたよりに、誰もがよりよく生きることをねがう詩人の、控えめな声明であろうと感じる。
 これは、ないがしろにできない詩集である。

2015/07/20

絵の勉強、そして11月のこと


 まもなく梅雨が明けるのではと思われるほどに暑い三連休の中日に、わたしは街の古本屋へ行ってきた。
 といっても、昔ながらの古本屋は、仙台ではかぞえるほどにすくなくなってしまった。おしゃまが中学生のころには、東北大の片平キャンパスに通じる一番町一丁目附近に、ちょっとした古本屋街があったのだが、いま、そこで盛業中なのは二軒だけになってしまった。
 泉区にあった古本10万冊の店も、愛子にあった20万冊の店もとうに閉店して、太白区は鈎取にある店が、在庫量では市内最大だろうか。
 わたしが、この本(上の画像)をみつけてきたのは、広瀬川もほど近い西公園ちかくの古本屋である。
 この暑いのに、扇風機と除湿器しか回っていない店内をうろうろしていて、そういえば、おしゃまの絵の最初はペン画だったな、と思い出したのだった。
 じぶんで撮影した、4切のモノクロ写真をみながら、製図用のピグマというサインペンをときには3種使い分けて、みる人にはかならず、細かいですね、といわれるような(じっさいは、適当な細かさなのだけれど……)絵を2~3枚描いてから、水彩色鉛筆を手にしたわけなのだが。
 じつはもう半年くらいまえから、その色鉛筆画が描けなくなってしまった。なんだか、適当にデッサンをして、そこに適当に色をのせるだけのようなやり方に、疑問をもってしまったのだ。
 一から出直さないと、もうなにも描けなくなるんじゃなかろうかという気もちがどこかにあったのだろう。
 まだ、きのうからよみはじめたばかりである。

 11月に、朗読会をひらくことは、冬のうちから決めていた。
 それに向けて、百葉の10号に載せる詩も、書いていかなくてはならない。
 まだ、例によってのろのろな感じである、けれども。

 言い出したのはわたしなのだけれども、一緒にやってくださることになった、仙台の詩人、武田こうじさんに、じつはとても背中を押されていて、人見知りなおしゃまとしては、かなり勇気の要る計画になった。でも、20年ちかくもまえから活動されていて、経験も豊富な武田さんに、わたしにとっては過分とも思えるほどの好意的な言葉をかけていただいたのだから、期待に応えないわけにはいかない。

 日にちは、もう決まっている。11月28日の土曜日、純喫茶・星港夜にて開催です。


2015/05/31

じぶんを限定してみる

 ずっと以前から、わたしが感じてきた「生きにくさ」について思いをめぐらしてみる。

 いつからだろうか、じぶんがほかの誰かれとはちがう、ふつうではない、というぼんやりとした認識が湧いてきたのは。
 他人があたりまえのようにやっていることが、わたしにはうまくできないし、追いつこうとすればするほど、その落差は決定的にじぶんの位置を規定する。せまい枠のなかに囲いこまれるような息苦しさがあったり、じっさい家族からの抑圧もつよく、二度目の成人式(?)の年齢をすぎてなお、それはつづいている。
 学校での苛め、仲間はずれ、そうでなくても親しくつきあっている人間から、軽くみられているという、なんとも名状しがたい孤立感を、いまだに(まれにはなってきたにしても)おぼえるのはなぜなのか。
 あらゆることに首を突っ込んで、なにをやってもうまくいく。
 そういう人が、世のなかにはいるものである。
 そんなことはない、あなたにはあなたの個性がある、と言われる。そう言ってくれる人には感謝してもし切れないし、すなおに受け容れたらいいのだろうけれども、それが「できない人」であることをみとめることになるのかと思うと、いささかつらい。
 
 とはいえ、考えかたをかえたほうが、らくなこともたしかなのである。
 他人とおなじ土俵に立って、対等に振る舞うことは、世のなかの隅のほうでひっそり生きてきたわたしには「むり」ではなくて「似合わない」と思えてきた、ような気がする。
 世間的に「あの人はすごい」と言われている人って、そのためにほかのなにかだいじなこと、たとい微細でとるに足らないと思っていることがみえないか、みないようにしてはいないかと思うのだが。
 ひがみではないし、被害妄想的だと思われても困るのだが、人間の眼にかならずある盲点のようなものが、心のなかにもあるのではないかと。
 それは、わたし自身にとっても例外ではない。

 人づきあいにしても、おなじである。
 twitterやFB、さらにはLINEのような得体の知れないものまで、たくさんの人たちが平気で使っているけれど、なんだかたいへんそうだなあと思うし、怖いとも思ってしまうのは、いまどき嗤われるだけかも知れないけれども、むかし対人恐怖と隣り合わせだったことと地続きなので、こればかりはどうしようもない。
 じっさいに人と会うのは、いまでこそ好きだし、それと表裏一体の根源的なさびしさは誰にでもあると思うから、この点だけは人並みになったと言えるだろうか。しかし、すべての他人が価値観を共有しているわけではないし、陰でこっそり牙を研いでいる連中だっているのである。にこやかに近づいてきて、なにかのきっかけで豹変する場合だってないとは言えない。具体的に説明するわけにはいかないが、そんな現場に直面したことがこの一年間、なかったわけではないのだ。無条件に他人を信じることはできないと言ったら臆病にすぎるだろうか。現実に会うことのある人間にたいして、アクセスブロックをかけるようなことは容易にはできない。法的には可能でも、それが悪意をもっている人間にたいして絶対的な強制力をもつかは別問題である。
 
 書いているうちに、次々とネガティブな思考がうかんできたが、ほんとうはもっとあっさり、じぶんの壁みたいなものを越えて、らくな気持ちになりたかったのである。
 いつも詩のタイトルは最後に苦労して考えるのだけれど、この文章ははじめに「じぶんを限定してみる」という言葉が浮かんだのである。
 べつだんうしろ向きなことではないと思っている。なんだろうか、分をわきまえると言ったらいいのか、じぶんにほんとうに必要なことに思考を特化して、周縁部にある、どちらかといえば重要でないことからは手を引くことを考えたのだ。
 百人の友だちと薄いつきあいをするよりは、すくないけれどもだいじな人たちと良い関係を保つことのほうが、わたしには合っているように思うし、得手ではないたくさんのことを完璧にこなそうとむだな努力をしないほうがらくに決まっている。それができる(と思っている)人とじぶんは、ヒト科の同じ人種の同じ国籍の人間であるくらいしか共通点はないと客観視して、深くせまく、みずからの本分を掘り下げていく努力をしよう。そう考えたまでのことである。

2015/05/16

ことしも

 第4回福岡ポエイチの、閲覧室に『百葉』1-9号を、ことしもまた配置していただけることになりました。

 さいきんは、のろのろと書いたり書かなかったり、日々のことごとにかまけて生きておりますが、20年来、世間的にはふらふら、不安定な暮らしぶりにもかかわらず、詩を書きつづけたいという気もちはかわっていません。

 しかし、いまだ蓄積というものからとおく、ものを語るにしてもいつもなにかが足りない、欠落していると感じるのはあいかわらずだ。むかしほどではないにせよ人見知りで、体力と気力に欠け、いつも聞き役にまわることがおおい。損ばかりしていると思う。
 
 そんな人間でも、表現への意志はある。詩でも、しゃしんでも(へたな絵は、お休みしている。考えなしに着色していいのか、ためらっている)、あまりぱっとしないが、地道に、細く長く、臆病だけれどもつづけたい。

2015/03/17

最果タヒの「あとがき」

 最果タヒ『空が分裂する』(講談社)をよんだ。

 漫画家とのコラボによる、イラスト入りの詩の章は、なんだか集中できなくて、まだ深くよみ、掘り下げるに至っていないのが、われながらなさけない、けれども。

 この本の、二段組み四ページにもおよぶ、長いあとがきが、たいへん力と熱意にあふれた、いい文章なのである。正直なところ、書店に並んでいた第一詩集『グッドモーニング』をさきによんだほうが良かったかも知れないが、このあとがきに背中を押されて、こちらを手にとったのである。
 はなしが前後するけれど、最初によんだのは、『死んでしまう系のぼくらに』(リトルモア)。三冊目の詩集になるだろうか、この著者の鋭敏で、既視感のない感覚と、それによって紡がれた詩のかずかずを、のめり込むようにしてよみおえた。たしかな手ごたえがあった。

 で、その長いあとがきのはなしに戻るけれども。
 なんで詩作品に沿って書かないのか、と言われると、すみません、とあたまを下げるしかない。
 首を垂れて、語っていきたい。

 
  
 (……)私は、感情がなんでもすばらしいなんて言わないけど、感情が美しく見えるのは「だれにもわからない」時だと思う。感情はただの乱れでしかないけど、その人のそのときにしか生じなかった乱れは、さざなみみたいにきれいだ。

 
 このところ、環境の変化に馴染んでいけず、しばしば怒りやかなしみ、絶望感にとらわれがちだったわたし(おしゃま)にとって、「あとがき」のこの部分は身に沁みた。こんなに明快に、誰にも理解されない感情を、「乱れ」ている感情というものの一回性こそが美しいと言いきれるなんて。
 詩人のことばだと思う。たぶん、こんな文章を日本語によってあらわしたのは、最果さんがはじめてだろう。
 
 ふたたび抜粋して引用。

 誰にもわからない、わかってもらえない感情が、人の存在に唯一の意味をもたらしている。そして、だからこそ感情の結晶である作品が「わからない」と言われることは、ある種当然のことだった。

 私はコミュニケーションが苦手で、それは、他人が苦手なのではなくて、「気持ちを伝える」ということのために自分の中にある複雑で曖昧な自分だけの感情を、単純化して、既存の喜怒哀楽といった感情の定型に当てはめて行くことが不気味でたまらないからだった。

 「わかりあうことは、気持ちが悪い。」という、最果さんの独特の思考から生まれた詩を、わたしはけっして忌避したりしないし、むしろ以前にも書いたように、その人にしか書けない言葉であるがゆえに、そこに深いポエジを感じる。
 「複雑で曖昧な自分だけの感情を、単純化」して定型化して「解釈」しようとする、一般社会に於ける外部からの圧力に抗おうとする姿勢。これは、言葉ないしは詩の言語を否定し、解体し、腑分けしようとする、批判的勢力にたいしてきっぱりとNoを突きつける、じつはたいへん重要な詩の批評になりえていると言える。
 りりしく、頼もしい。すばらしい才能があらわれたものである。

2015/01/01

「百葉」9号、できました

 

   

  あけましておめでとうございます。

 ことしも、よろしくお願いいたします。

 さて、年末に、いつものお店に、できあがった「百葉」9号を配置してもらいました。

  純喫茶・星港夜(シンガポールナイト) 仙台市青葉区上杉
  書本・cafe Magellan(マゼラン) 仙台市青葉区春日町
  book cafe 火星の庭  仙台市青葉区本町

 いずれも数には限りがあります。ご了承ください。

  

2014/12/20

軽んじてはいけない

 詩とはなにか、とは、気の遠くなるほど昔から現在まで、くりかえし問われつづけてきた命題であるが、その答えも、もちろんすべてを閲することなどとうてい不可能だけれども、詩人・批評家の数だけあるのではないか。

 世間一般の、現代詩なんて知らないよ、という人たちにとっては、俗な流行歌の歌詞でさえも「詩」という括りのなかに含まれるかも知れない。
 あるいは、行分けされてさえいれば、詩にみえるという人もいるだろう。

 あまり深いとはいえない、ありきたりな感慨や感情の吐露にすぎないみじかい言葉が、行分けで書かれていれば、詩だと思ってしまう。
 現代詩に触れたことがない、平凡な(わたしも平凡だが)詩を書かない人にとっては、それだけでなにか、崇高なものに接した感じがするのだろう、けれど。

 そうした行分けの作文みたいな、詩のようなものをみかけることがあるけれども、そこに書かれている言葉は、誰でもちょっとあたまを捻ってみれば書けてしまうのではなかろうか。
 もうすこし細かく言うと、アノニマスな存在が書いたのではないかと思うほど、個性がない、独自性がない。
 そして、意味にあふれていて、教科書でよんだむかしの詩人の作品の表層だけをなぞっている。
だから、免疫のない人には、詩であると認識されがちである。
 
 しかし、わたしがよみたい詩は、それらとはまるでちがう。
 その人にしか書けない表現、その人にしか書けない言葉、その背景にあるその人独自の感受性と美意識こそが、現代の詩を詩たらしめている、重要な要素だとわたしは思うのだ。

 わたしはインテリではないので、そういうかんたんな言い方しかできないけれども、誰でも書ける表現は、共同体の言語であって、情報のキャリアとしての言語にすぎない。ふだんの会話ならなんらの支障もないが、文学の言語は、それらとは一線を画すべき性質のものである。
 と言うと、文学者ないしは詩人の特権性を強調しているように誤解されるかも知れない。
 わたしは、凡庸な人間なので、そういう知的官僚的な詩人の詩がにがてである。
 市井の生活者である人が、詩に惹かれ、詩作に打ち込む、その成果が平易な詩であろうが「難解」であろうが、価値としては同列に並べるべきであろうと思っている。
 けっきょく、それらの詩から、ただ一行であったとしても、読者にとってたいせつな言葉が見いだされたなら、詩人にとっての光栄であろうと思うのだ。
 詩人賞、詩集賞といったものもたしかに必要ではあるけれども、じぶんにしか書けないことに目を留めてくれる読者が少数でもいたとしたら、かれらの気づきを軽んじてはいけない。
 

2014/11/08

コトバトに寄稿

 「詩学の友」のサイト内にある「コトバト」に、詩人紹介の文章を寄稿しました。
 僭越ながら、清岡卓行という大家について、すきな作品に即して書かせていただきました。

 ときに思い入れが先行しているかも知れませんが、わたしが長年にわたって愛読してきた詩人の作品とその周辺に思いをめぐらせ、書いていく作業は、長い文章がにがて、というかへたなわたしにとってめずらしいことに、すこしの苦痛もなく進みました。
 
 じぶんの詩について語ることは、たいへんむつかしいのですが、敬愛の情をもちつづけてきた詩人についてならば、事実の正確さと読解力を求められるとはいえ、いろいろと思うところがありますので、書きたいことはたくさんありました。
 
 よんでいただけると嬉しいです。

http://shigaku.org/reviews/yatsumori_kureo01.html



2014/10/27

おしゃまの絵

 おしゃまの描いた絵や写真を、あらたにweb上にて公開することにしました。

 https://note.mu/osyama_poetry

 どうぞごらんになってくださいませ。

 *   *   *

 わたしはやはり、どうころんでもひとりがすきなのだろう。
 あまりひと前にでて、率先してなにかをするようなのは、どちらかというとにがてである。
 
 春以降、創作活動のほうは、ほとんど停滞していたけれども、
詩もぼちぼち再開しているし、しばらくわすれていた絵のほうも、写真(基本、フィルムで撮影している)も徐々に力を入れたいとおもっている。

 先だって、詩作ノートもあたらしくしたし。
 以前から愛用していた、コクヨのスリムB5というのが入手困難になったので、こんどは手ごろな判形で、表紙がドット柄(水玉。おしゃまは、ドット好きである)のものにした。

 あまり音楽にばかりかまけていないで、せっせと書こうとおもう。


2014/09/22

 先だって、職場で異動があり、仙台市内の店舗で勤務することとなって、いまに至っている。

 ずいぶん、この夏はくるしい思いをしたけれども、どうにか穏やかな秋を迎えられて、ほっとしているところだ。

 ことしは残暑もさほどではなく、夏バテというほどの状態でもないけれど、あいかわらず夜はつかれてダウンしてしまうことがおおい。

 部屋にかえってきてしまうと、ほんとうにひとりきりなので、外で誰かと話しをしたりするのが、いまもわたしにとってたのしく、だいじなひとときである。

 あまり友だちらしい人がおおいわけでもなく、孤独というものとのつきあいが長いことにかわりはないのだけれども。

 
 

2014/09/01

ひたすら、つらい季節

 日々の生活のなかで、疲弊し切って、ぼろぼろになりそうな、そんな夏が、なおもわたしのまわりでつづいている。

 語るに落ちた人びとのこと、言いたくても言えなかったわたし自身の意思、うわついた世間への憎悪、そして、それらにたいして無力で怠惰に過ぎたじぶん自身にたいする失望……どれも、現実に立ち向かういかなる力も持ち得なかった、わたしの貧しい言葉をやせ細らせ、消耗に至らしめ、肉体すらも圧し潰すにじゅうぶんな要素だった。

 そもそも、声を張りあげるのは、得意ではないし好きでもない。
 声高に、言うべきほどの信義も思想もないくせに、みずからの領分と利益だけは確保しようとする輩に対しても、無言という、抗議とも言えないほどの抵抗しかできず、肩身のせまい、生きにくいところにじぶんを追い込んできたと思う。
 かれらに対して、わたしの発する言葉など、まったく問題にならないだろう。
 聞く耳をもたない人間と、和解しようとすることは、断念せざるを得ない。

 わたしにとって、言葉は武器にはなり得ないし、身を守る鎧でもない。
 強弁しようとしても、まったくむだなことは、痛いほどわかっている。
 だから、議論や論争などといったものからは、逃げおおせるものなら極力逃げたいし、闘うに値するほどの敵が、言ってみれば好敵手とも呼べるような者は、周囲には存在しない。
 ただただ、言葉にならないような相手、宿敵しかいなかったということが、わたしにとっての最大の不幸なのだと言ったら、貧困や差別、戦禍のなかで生きている人たちに対して失礼だろうけれど。

 このひと月あまり、いやそれ以上前から、詩らしきものはひとつもできていない。
 げんなりするような日々のことは理由にしたくないけれども、じぶんのよわさ、甘さも含めなければならないけれども、それにしても、こんな生活がいつまでつづくのか。
 生きることを断念するほどのことではないし、じっさい生きているのだから、いきなり生命を絶たれるのは苦痛をともなうに決まっているのだが、すくなくとも平穏な心で働き、食べていけることだけは望みすぎても罰など当たらない、と思う。

 はやく秋がきてほしい。
 実りの秋をむかえるには、あまりに準備が足りないけれども。
 

2014/08/12

きょうの夕方、仕事がえりにバスの窓から、けいたいでんわで空を写している女性がみえた。
なんだろうとみあげると、虹がでていた。
バスが進むにつれて、とても大きな、地平から地平まで、半円形の虹であることがみえてきた。

こんな綺麗な虹をみるのは、なん年ぶりだろう。
むかし住んでいた部屋から、こんな虹をみて、詩の一節にかいたことがあったけれども。

車内の人たちの反応もおもしろかった。
誰かが、虹、といって空をみあげると、右側に座っていた乗客は誰もが上空を仰ぎみて、建物の蔭に隠れているときは、なにやら虹を探しているようでもあり、バスが坂をのぼって高台にでると、みごとなまでの虹のアーチにみとれているようでもあり。

ひとつ手前のバス停で下車して、わたしも虹を写真に収めようと思ったけれど、すでに虹の上部は雨雲にかくれていた。
まもなく、小雨がぱらついてきて、あかるい空のもと、わたしはすこしだけ嬉しいきもちになって、傘をさしてアパートまであるいていった。



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