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2017/02/18

ちかごろ


おしゃまが出展していた、カロス・ギャラリーでのグループ写真展は、無事に終了しました。
見に来ていただいた方には、感謝の気持ちで一杯です。

ちかごろのわたくしですが、半年ほど先に計画していることのために、もう準備をしています。
詩作も、あいもかわらずのスローペースですが、ちょこちょこと書いております。

昨年、AdobeのInDesign CS2という、DTPソフトをつかいはじめたのですが、
なんとか「百葉」程度のシンプルなものであれば、つくれるようにはなってきました。
ただ、外注でデータ入稿するとなると、まだ問題があり、今後は自室のプリンタで印刷することが
主体となってくるかも知れません。

いま、編集しているのは、百葉の特別号です。
まだ、なんの目的で制作しているのかは、言わないでおきますが、
いずれお目にかけることもあるでしょう。
それも、もうできあがり間近の段階にあります。
おしゃまは、案外深慮遠謀(?)なのです。
5分前、10分前、15分前行動主義者でもあります。
ぎりぎりになってじたばたするのが厭な性格なのです。

それは、ともかく。

先日、岩阪恵子さんの散文詩集『その路地をぬけて』(思潮社)をよみました。
岩阪さんの略歴に、20代のとき(学生の時であったか?)詩集を上梓したことが書かれています。
たしか、詩の添削を依頼したのが、清岡さんとのなれそめだったようにも記憶しています。
ずっと小説などを手がけられていたようですので、ひさびさの詩集ということになりますね。

そんなことを考えながら頁を進めていくうち、「目玉クリップ」という作品がありました。
生前の詩人清岡卓行が、夫人になんども買ってくるように頼んでいたという、あのクリップのことが書かれているのですが、清岡さんを敬愛してやまないわたくしには、思わずじんとこみあげてくるものがありました。

装丁は、やはりというべきか、清岡秀哉さん。
お母さんの本の装丁まで手がけることになったわけですね。
いつもながら、清潔で品のある装丁です。

ひとりの人が、この世を去っていっても、あとに残された人たちがその後の生を彩っていくのは、
やはりいいものです。

わたくしが死んだあとを彩ってくれるようなひとは、いるのでしょうか。
そんなことにも思いをめぐらす昨今です。



2017/01/08

出展します

2017年になりました。
ことしも、よろしくお願いします。

さっそくですが、1月29日から、仙台のカロス・ギャラリーでのグループ展に、
わたくしも出展します。
今年度末には閉廊してしまうということで、その最後の企画の第一弾となります。

わたくしの写真はひとまず置いても、友人の個展だったり、
さまざまな方々の、多様な写真のありかたを拝見することができた、
貴重な場だったのですが、
残念なことです。

 感謝・・・感写祭企画

 7人が描く写真の世界展

  会期
 2017年1月29日(日)~2月12日(日
 13:00~19:00 月曜日休廊
 入場料 ¥300 (期間中何度でも入場出来るパスポート制)




カロス・ギャラリーは、仙台市青葉区堤通雨宮町にあります。
地下鉄南北線北四番丁駅から北に5~10分あるいたところ、
角にお好み焼屋さんのあるビルの1階の奥まったスペースです。

仙台駅前から市営か宮城交通のバスに乗り、「堤通雨宮町」で降りたほうが近いです。
のりばが分散しているので、調べてから行かないと戸惑うとは思いますが……

お近くの方は、どうぞお越しくださいませ。
よろしくお願いいたします。

 

2016/12/27

暮れゆく2016年をふりかえって

早いもので、もうまもなく2016年もおしまいです。

ことし、おしゃまはなにかと活動的だったなあと、思いかえしています。

1月から2月にかけて、カロスギャラリーでの「Sha-gaku vol.10」への出展。
2月末には、白井明大さんを迎えての、キャンドルナイトポエトリーin星港夜。

5月には、東京で「詩について・対話篇」に出席してきました。
生まれてはじめての合評会という場でした。

7月には、このblogには書きませんでしたが、仙台ポエトリーフェス2016を、
8月には福島で、及川俊哉さん出演のイヴェント「よみがえりの風」をみてきました。

すこし間が空いて、10月には「百葉」11を発行。
これは毎年恒例のようになっていますが。

ただし、じぶんからなにかをする機会は、あまりなかったです。
友人がひらく集まりに出かけていくのが、多かったかも知れません。


ことしよんだ詩集も、やはり多くなかったですけれど。
印象にのこっている書名を列挙するに留めておきます。

 秋亜綺羅『透明海岸から鳥の島まで』
 
 山田亮太『オバマ・グーグル』
 
 最果タヒ『夜空はいつでも最高密度の青色だ』
 
 萩野なつみ『遠葬』



じつは、10月ごろに、一年先までのおおまかな予定を立ててしまいました。
仔細は順次、明かしていきますけれども、いくつか詩としゃしんにかんして、行動するつもりです。

来年は、さっそく1月下旬から、あるところであることをします。
これも全体が本決まりになったらお知らせしますが、じつは年末に急に決めたことなのです。

あいかわらず軽はずみな、おしゃまであります。
綱渡り的なところもあるにはあるのですけれども。

2016/12/16

あたりまえのこと、ですが

しばらく、投稿が途絶えていたけれども、なにもしていなかったわけではなく、ある集まりに招かれて朗読をしたり、通勤途中に詩作のメモをとったり、あまり捗っていないけれど詩やその周辺の本をよんだりしていました。

昼間は、たんなる一介の労働者として、心を砕いていたりするわけです。
そのあいだに、詩のことを考えたりするのはむつかしい。

それでも、現代社会にたいする懐疑心、これでいいんだろうかという気もちは、絶えずありますけれども、「若いやつは…」的な話しは、きょうは控えておきます。
説教みたいなことは、格好がわるいと信じていますので。

ただ、世相というか、大きな流れ、うねりのようなものについては、詩の言葉にかかわる者として、言わねばならないことがあるのです。
それは、許していただきたい。



わたしは、以前書いたようにtwitterはやっていないし、今後登録する予定もない。
SNSに本来なじめない性格であることも、以前述べたとおりだけれども、
実のところ、詩の友人のツイートでさえも、必要がなければめったにアクセスしない。

誤解をおそれずに言えば、誰のツイートにも、わたしが「これは読みたくなかったなあ」と思ってしまう投稿があるものである。
それが皆無にちかい人も、いるにはいるだろうが、それを証明するのはわたしの仕事ではないし、そもそも全世界のすべてのつぶやきをチェックするのは、無理でしょう。

それでも、ラジオなどでもいまはtwitterでメッセージを送るひとがかなり多いので(余談だが、わたしはラジオ大好きである)、不可避的に不特定多数の人のツイートを聞かされてしまうのが現実である。
他愛のない話題ならまだしも(たとい無駄話みたいなものだとしても)、時事的なつぶやきとなると、だいぶきな臭くなってきて、耳にするだけで不愉快にさせられることもしばしばである。
なかには明らかに悪意むき出し、ほとんど、あるいはぜんぶヘイトスピーチとしか思えないものもある。
たとい電波に乗らなくても、あちこちのwebサイトでtwitterのプラグインが貼られていたりして、それは放送局のものも例外ではないから、放送で無視されるものでも目にしてしまう場合だってある。

津田大介氏も、ある政治的に偏向している自称作家のツイートを問題視して、twitterの利用規約違反だから、アカウントを削除すべきだと主張されていたようである。既に周知のことではあるけれども。
と、書くと、お前こそ偏向してるじゃないかとか、左翼だとか中共の回者だとかいう連中もいるだろうが、いったいいまの日本に「左翼」なんていると思いますか。
そりゃあ、極端に右寄りに立っている人から見たら、ちょっとじぶんたちに批判的な人間はおしなべて左に見えるでしょう。
そう思うのは、お前が極左だからだ!と言わば言え、である。
わたしはぜんぜん政治的な人間ではないし、その手の活動に加わったこともない。
平和が好きだから言ってるだけです。
事を荒立てようとして息巻いている、頭に血がのぼっているみなさんはどうぞご勝手に、と受け流すしかない。
そんなに喧嘩や戦争が好きならば、じぶんから率先して行きなさい。
ただ、国家とか民族とか組織とか、そんなものの後ろ盾はすっぱり棄てて、なにものでもない個人として、単独で行くべきで、それができないからわたしはかれらを臆病者だと言うわけです。
衆を恃んでしか動けないようでは、ね。



なんだか、書いていてつまらなくなってきた。
こういう話題は、わたしの本分でもなんでもないのだけれど、詩人は炭鉱のカナリアであるべき、ということもあるので、あえてきついことも書いておいた。
ほんとうは、やはり現代の詩にかんして、書いたり行動したりするのが良いと思う。
もちろん、ひとりの単独者として。





2016/10/12

百葉11を発行しました

かねてから予告しておりました通り、個人詩誌『百葉』11号を、発行いたしました。
きょう、まずは春日町のマゼランに配本してきました。

来週にかけて、順次いつものお店などに置いてもらう予定です。
フリーペーパーですので、みかけたらお気軽にお持ちください。

今号では、あらたにゲストの方に寄稿していただきました。
岩手の詩誌『堅香子』に所属されて活躍している、蟹澤小陽子さんです。
今後も、たぶん年一冊のペースになるとは思うので、来年以降の話ではありますが、
毎号ちがうゲストの方に、一篇書いていただくつもりでいます。
ほぼ、友人・知人に依頼することと思います。
おしゃまと親しい詩人さんは、そうたくさんはいないのですが。

すこし、またひとつ為すべきことを終えた感があり、
また、いつものからっぽな感覚をおぼえています。

よろしくおねがいします。

2016/08/30

また、一行目から

世間を騒がせた迷走台風も、仙台附近には上陸せずに行ってしまったようです。
あまり大きな被害がないまま、消えてほしいものですが。

11号に載せるわたくしの詩は、3篇できました。
詩の推敲は、ノートに万年筆(Centropen RUBYという、チェコ製のプラスティックのもの)でああでもない、こうでもないとするのがここ数年の習慣ですが、それでも煮え切らないときは、wordで清書も兼ねてやってしまいます。今回も、そうでした。

脱稿して、またゼロから一行目を書きださなければいけない、ある意味自身をリセットして、心のアンテナを澄ませて臨む地点に戻ったわけですが、
ふと、メモ帳に書いたわずかな断片を目にして、「調べよりも意味が先に立っているなあ」と感じ、
すこしつまらない気もちになったのです。

おしゃまは、音楽もききますが、
それもきわめてマイナーな人のでも、心の琴線に触れればくりかえし愛聴するのですが、
そのおおくは、歌詞がなかったり、外国語の歌詞がついていたりします。
日本語の意味から解放されているのが、快いのです。

写真だったら、理屈よりも先に直観で好き嫌いはわかるものです。
批評的な言葉は、あとからついてきます。
最初から重い意味付けをされている写真は、正直きついです。
抽象、具象を問わず、自由な見かたを許容してくれる写真の方が、より印象は深くなると思います。

だのに、じぶんが書いているものにかんしては、正反対なのです。
ほんとうの意味で、自由闊達に書けているとはいいがたい。
なにか、社会的な位置のようなものに、縛られているのではないかとも考えます。
詩作だけでなく、創作するときには自身をちいさく限定せず、解放してやる必要があるのではないかと。

2016/08/17

百葉11の準備

8月半ばになり、ようやく秋の気配もただよってきたとはいえ、まだ30度越えの日もあり、
重いからだをなんとか前に押し出しながらあるいている、おしゃまです。

お盆休みのあいだ、知っている人には誰にも会わず、ひきこもりみたいにして過ごしました。

詩作は、一進一退といったところで、
もうすこしで脱稿かと思いきや、まだだめ、もっと練り直せという、じぶん自身のうちでのせめぎあいがつづいています。
ときにはげしく虚脱するのは、体力の問題だけではない気がします。

ひさびさに(また、怠けていました)詩の読書を再開して、
辻征夫さんの『ゴーシュの肖像』(書肆山田)の文章に尻をたたかれたりしています。
この方の、詩人としての生きかた、創作への並々ならぬ力の入れようには、
わたしのような弱小詩人は、到底かなうものではありません。
べつに、勝ち負けや優劣を競うものでもないでしょうけれども。
学ぶべきものはおおくあります。

そんななか、次の百葉、11号の編集をはじめています。
今回からは、コピー屋さんにデータ入稿できるようにする予定です。
また、昨年10号の節目をすぎたこともあり、すこしかわったこともしたいと考えています。
まあ、詩誌としては、よそでもふつうに行っていることですが。

衆を恃まず、なにごとにもひとりで立ち向かうことも大事だけれど、
おしゃまのような凡人には、ひとりでものごとに挑むのは、つねに後退戦みたいなものになりがちではあります。
過去に書いたものをみても、そういう傾向はつよいと誰にもわかることでしょう。
まえにも書いたかも知れませんが、「ひとりの小さな手 なにもできないけど……」云々というあの唱歌(題名をすでにおぼえていない。どうでもいいということか)がわたしはきらいです。
ひとりじゃなにもできないけれど、大人数ならなんでもできる、そんなのは民主主義が死に体で、多数決の原理だけが生きているどこかの国情をも想起させるのです。
ちょっと話がずれましたが、数の横暴を振りまわすための集団はいやだけれど、友好のための連帯までは否定しないということです。
詩人の連帯なんて、ささやかなものですし。

まあ、11号ができたら、おしゃまが言ってたのはこういうことか、と思いだしたり、思い出さなかったりしていただけるとうれしいです。
冬まえまでには配布できるようにする予定です。 



2016/06/27

あってはならない

偏見と差別、について、まだはっきりした結論にはたっしていないけれども、考えている。

東洋の小さな島国である日本にも、内外を問わず、そうしたものがはびこる余地があるのが、
なんだかくやしいというか、腹立たしいというか、かなしいのである。

6月23日は沖縄慰霊の日だったが、その日の式典に臨んだ内閣総理大臣のスピーチには、
はっきり二枚舌を使い分ける、もっと言うと平気で嘘をつける人が、この国の将来を任されていることの危うさをおぼえずにはいられなかった。
ほんとうに考えていることを、いくらアウェーの立場だとはいえ、おくびにも出さない態度には、不気味さを感じた。
まあ、あの場であえて喧嘩を売るような人間が宰相であるのも大いに困るけれども、ある意味、かれは人一倍臆病なんだろうなと以前から考えていたから、東京に戻ったらまた、しれっとして強権を振るうつもりなんだろう。
臆病だから、隣国の動きがなんでも日本を脅かしていると思い込んでしまうのではないか。
それで戦争をできるようにしたかったのだろうが、それなら本人が先陣切って攻めていけばいいのであって、それをやらないのは臆病というよりかは、卑怯である。

言っておくが、わたしは戦争には協力しない。
おおくの国民もまた、そうであることを願っている。
そうでなかったら、この70年余りは無に帰するのではなかろうか。

なんでも、沖縄の新聞は偏向していると言う人たちの根底には、民族差別の感情があるというではないか。
べつに例の売文家の発言が最初だったわけでもないそうだ。琉球人差別は、むかしから地域的にはあったらしい、ときいて、そんなこと考えてもみなかったわたしは、うそ寒いものを感じた。
おなじ日本人に、そういう差別主義者が、どのくらいの割合か知らないがいるらしい
たくさんいたら、それこそ気持ち悪いが、少数でも存在するのも、わたしは厭だ。

隣国の人たちにたいする差別感情をあからさまにする人もいる。
なんでそんなことを言うのかな、とわたしは内心呆れるのだが。
あんな差別主義者がいる限り、日本は誇れる国でもなんでもない。
恥を知れと言いたい。

で、偏見というのは、風潮および報道、他人の態度に左右されるものだし、
立場によってどちらにでも見えるものだから、よくないこととは言え、それを排除するのは難しい、ような気がするのだが、
差別は、明白な悪意がないと、できるものではない。

あってはならないことだと思う。


2016/06/06

合評会という「場」

もう、先月のことになってしまいましたが。
5月28日の土曜日に、「詩について・対話篇」という合評会に参加すべく、
東京へ行ってまいりました。

朝8時に仙台を発って、13時に東京駅八重洲通りのバス停に降り立ちますと、
詩の会の主催者で、友人の古溝さんが待っていてくださいました。

一緒にお昼を食べに行った神保町で、三省堂書店の現代詩フェアのコーナーを見たり、
そのあと喫茶店で(あれだけ広く遠い都会で、お気に入りの店を見つけるのは至難だなと思いつつ)
そのフェアのブックリストについて語り合ったりして、
17時前に、会場の書肆逆光(八丁堀)に戻りました。

当日の参加者は6名。
それぞれ一篇ずつ提出した詩を、ひとつずつ黙読し、
しかるのちに、その作品について語り合う、という、あっさり言えばそういう会です。

こういう会に顔を出すのは、じつは、おしゃまは初めてでした。
もっと早く、こういった場に出てくるべきだったんじゃないかと、
投稿をやめて10年ちかくになるわたしは考えたのでした。

大げさかも知れませんが、
おしゃまにとっては、洗礼にちかい経験でした。
東北の地で、ずっとひとりで書いてきたわたしには、
個人詩誌をつくって、手渡していく行為がほとんど唯一の発表手段ですが、
その過程で、よんだ方からかえってくる反応は、
好意的なものか、無反応かのいずれか、それだけでした。
どちらかと言えば、後者のほうが多いわけだけれども、
なにも言われないので、どうしても前者の声が大きいように誤解してしまう。

今回、わたくしが提出した詩について、
「じぶんのために書いているか、読者のためか」という問いかけがありました。
みえない読者の存在を、わすれてしまっていたおしゃまの詩は、
ひとりよがりな面があったことを、痛感いたしました。

「書きたいことを書きたいように書けること、
 それは強みでもあり弱みでもある、
 ぎりぎりのところだと思う」という批評も受けました。
こういった言葉に鍛えられ、励まされてこそ、
現代の詩はまっすぐのびていくことができるのでしょう。

おしゃまには、それが新鮮でした。
とてもよい機会だったと、
わざわざこの会のためだけに、出掛けていって良かったと思います。

仙台でも、次の「ちいさな詩の朗読会」の前に、
わたくしなりの詩話会的なものをひらきたいと考えていますが、
まずは会のあり方、構成について熟慮すべきでしょう。
すぐというわけにはいきますまい。
もしかしたら年を越すかも知れませんが。

東京でお会いした、すばらしい詩人のみなさま、
ありがとうございました。

また機会をみつけて参加したいものです。



2016/05/20

自在であること、自由であること

2ヶ月も放置してしまいましたが、おしゃまは元気です。

このあいだに、朗読会のあと、半年もねちねちと直しを入れていた詩が一篇、できました。
なんという牛の歩みでしょう。

今月末に、ちょっと詩の会で、とおくの友人に会ってきますので、
なにもできてないというわけには、いかない。
まあ、4月下旬あたりには、ほぼ根幹は書きあげていたのですけれども。

* * * * *

しばらく前に、火星の庭で買った詩集、
秋亜綺羅『透明海岸から鳥の島まで』を、おくればせながらよんで、
詩の自由ということを考えていました。

詩はこんなにも自由に、
発想も表現も、自在であっていいのだよなと。

すこしでも詩をよみ慣れているひとなら、
心得ていることでしょうか。
しかし、わたくし、おしゃまにかんして言うと、
どれだけじぶんで狭い枠を、みずからの周囲に立ててしまっているかと、
そんな反省が浮かんでくるのです。

世のなかの、詩をよむのも、書くのにも慣れていない、
学校で習ったようなものしか思い浮かばないひとたちにとっては、
この自在さは、ひょっとすると、
意外性に富んでいて、拒否反応が出るかも知れないなとも、
感じるほどですが、
本来、現代の詩はこういう自由さと、奔放というかのびやかな感覚をもっていいのだと、
わたしは思うのです。

過去に書いたことだと思うので、くりかえしませんが、
型にはまった書法と発想法では、
けっして前には進めない。
このベテランでありながら、おなじ位置に立っていることをよしとしない
真の詩人らしさを身をもって体現している秋さんのようなひとがいることを、
わたしも含めて、識るべきだと思うし、
こういう詩がよめた幸せ、みたいなものも
より深く反芻することがだいじだと思った次第です。




2016/03/21

写真展を終えて、これから

きょうで、カロスギャラリーでの「Sha-gaku vol,10」は、無事終了しました。

ご来場いただいたみなさま、おしゃまの足跡帳にコメントを残してくださった方々、初心者のわたくしに手厚く支援をしてくださった、ギャラリー代表の佐藤さんに、篤く御礼申し上げます。

週末に在廊していて、お話しができた方はわずかでしたが、口下手でうまく、意図するところを説明できなかったかも知れないので、終わってしまってからでは遅きに失した感もあるものの、すこし補足的に書いておきます。

ことの発端は、1983年が使用期限のカラーフィルムを入手したことでした。
そのネガの1本目を詰めて撮影して、プリントした結果、ふしぎなエフェクトがかかった写真ができてしまったということで、加工は一切していません。
そういった効果をふたたび再現できていないのは、しばらく前に書いたとおりです。
絞りを開放気味にして、シャッタースピードも遅めに設定すると、青みがかっているものの、わりと普通に写ってしまう。
かといって、曇りの日などにやや絞り気味にすると、夜のような写真になってしまう。

技術的には上のとおりなのですが、わたしがその後も同じことを試みている理由は、最初の1本をプリントしたときに得られた、夢でみたような、あるいは生まれる前にみたことがあるような(むろん、それは錯覚にすぎないのですが)、ふしぎな既視感をともなった、あらたな心象風景をみてみたいという、単純なことです。
詩のことばとは、性質もフォルムも違うのですけれども、それゆえに詩作品では表現しきれない、また反対に、写真だけではなにか足りない部分を相互に補完しあって、おしゃまの表現活動を前に進めていけたらという思いがあるわけです。
その割には、どっちも中途半端なんじゃないの?とじぶんながらも思わずにはいられないのですが。

ともかくも、どんなフィルムを使うのであれ、おしゃまは写真をつづけるつもりでいますし、詩作にもますます注力しなければと思う、きょうこのごろです。

2016/03/11

5年目のまち


3月11日金曜日、東日本大震災から5年目の夜、しずかにコーヒーをのみたくなって、いつもの純喫茶・星港夜まで行ってきました。

途中で地下鉄を降り、アーケード街の一番町から勾当台公園を通って、上杉まであるいたのでしたが、ところどころで騒々しいバンドの歌がきこえていて、耳を押さえて直ぐにその場を立ち去りました。
勾当台公園市民広場(市役所と目と鼻の先)でも、なにか昼間から催しがひらかれていたようすでしたが、そこでもアンプとスピーカを通して、大音響で歌う人がいました。
いわゆるゲリラライヴではないようでした。
鎮魂とはまるで正反対のお祭り(?)騒ぎで、うっとうしい気分にさせられたのは事実です。

街をゆく人も、これから飲み会なのか浮かれているふうなひとたちばかりにみえました。
つよい違和感をもたざるを得なかったのは、わたしがひねくれているだけだったのでしょうか。
仙台ってほんとに「被災地」なんだろうか? と思わずにはいられませんでした。
これが「復興」だとは、思いたくない。
いまの時代は、みるべきものを見ず、聞くべきことに耳を傾けていないんじゃなかろうか、と平素から考えていましたけれど、それが確信に変わりつつあるのは、かなしい現実ですね。

そんな俗世間とは別の空間のような、落ち着いた時間をシンガポールナイトですごしてきました。
いつもの金曜夜は、お客もおおくて、良くもわるくも賑やかなのですが、きょうはカップルもいなくて、誰もがしずかに、じぶんの時間をすごしていて、この日に足を運んで良かったと思ったのでした、けれども。
かえりの地下鉄も、酒くさく、器量は小さいくせに声ばかり大きい男子学生の集団に遭遇して、だいぶ辟易させられました。

こういう環境で、魂を腐らせないようにするのは、正直たいへんなことに思われます。
詩を書く人間くらいは、浮世離れしていようが、そこから一線を画することが必要と考えます。

さいきん、愚痴ばかり書いてるみたいで、申し訳ないです。
芳しいお話がもっとあればいいのですけど。


2016/02/20

Sha-gaku vol.10スタート、そして


去る2月18日より、カロスギャラリーにて「Sha-gaku vol.10」が始まりました。

わたくしもその末席をよごしているわけですが、この3ヶ月ほど、準備に追われていましたので、
あとは週末にときどき在廊するくらいで、ようやくほっとしているところです。

写真関係での最近のアクティビティといえば、オリンパスOMマウントのレンズを2本ほど、調達したことでしょうか。
もちろん、中古なのですが。
35mmf2.8は、純正のZUIKOレンズですが、もう一本のズームマクロは、某店のジャンク品コーナーで激安で入手したものです。
社外品で、鏡筒にすこし凹みがあるため、数百円で売られていたのでしょうが、問題なく実用になります。
80-200mmf4.5というスペックの、きいたことがないメーカーの品です。

   *   *   *

ところで。
最近のおしゃまは、かつてないほどに、魂が疲弊し切っています。
前の投稿で、肌荒れみたいなもの、と書きましたけれども、根はもっと深いような気がします。
職場などでのじぶんと、詩や写真にかかわっているじぶんとの落差に、絶えず傷つけられていると言ったらいいのか、わたしという人間に絶望しきっていると言うべきか、はっきり根源を探りあてるには至っていませんが、ほんとはもっと内気でだめな奴なのです、おしゃまは。

一種のメランコリーに陥っているのかも知れません。
きょうも、午後から在廊しようと思っているのに、まよなかのいまに至るまでねむれずにいます。
ひとさまから言われるほど、純粋でもなんでもない、屈折した複雑系の、ときに混濁する自意識を制御し切れていない。
それは、いままで書いてきた詩作品にも影を落としています。
貧寒としたわたしの日常を、もう一度生きなおすための抽象化であり喩法であったりしたはずなのに、なげやりにじぶんを放擲しているだけの現在、言葉は涸れ気味です。
もっと思いを溢れさせなければ、こうなることはわかっていたはずなのですが。
あらためて、わたしじしんの内面をみつめる必要を感じています。


2016/02/06

キャンドルナイトポエトリーin星港夜のお知らせ

 また、おしゃま主催のイヴェントの告知です。
 とはいっても、今回はわたしは裏方、黒子です(もともとそういう役割の方が合ってるような気がします)。

 2月27日土曜日、いつもの仙台は青葉区上杉の「純喫茶・星港夜」にて、
沖縄在住の詩人、白井明大さんを招いての朗読会を開催します。


新詩集『生きようと生きるほうへ』収録の詩の朗読と、
それにまつわるお話しをきいていただこうという内容です。


キャンドルナイトポエトリーin星港夜
 白井明大『生きようと生きるほうへ』

2016年2月27日(土) 16:00-18:00
於:純喫茶・星港夜(シンガポールナイト)
仙台市青葉区上杉1-12-1
地下鉄南北線「北四番丁」駅から徒歩約10分 
 上杉山通小学校北側

会費:600円(1ドリンク付)
予約制:メールにて受付
お名前を明記の上、shitomachi.machi.to.shiあっとまーくgmail.com 宛(かなを@に換えてください)にお送りください。

白井明大さんHP


******************************

2011年以降、変わってしまった世界と、
詩人が暮らす沖縄をとりまく諸々のこと、
そこから紡ぎだされる詩のことばのありようについて、
お話しいただけるのではと思っています。
 

なお、お席に余裕があるばあいは、予約なしでふらっと入ってきていただいても対応いたしますが、
なるべくご予約をお願いいたします。


2016/02/01

Sha-gaku vol.10 に参加します

 こんどは、公募写真展に作品を出すことになったおしゃまです。
 
 昨年の「ちいさな詩の朗読会 第一章」以降、表立っての活動はしていなかったけれど、じつは写真展の準備をしていたのです。
 むろん、個展をひらくほどのものは、なんにも持ちあわせがないのですが、作品数5点、ギャラリーの壁面2面を借りての発表でしたら、なんとかできないことはない、と思ったのです。

 そのあいだ、多忙と気ぜわしさのためか、もしくは怠惰のためもあるとは思いますが、詩のほうは一篇もできていません。
 あまり詳しくは言えないけれど、気が荒れていたというか……荒れている、とは、肌荒れのようなものだと思っていただくとわかりやすい(?)だろうか。

 今回の写真にかんして、すこし能書きふうなことを述べるとすれば、ある偶然で変わったエフェクトがかかってしまった銀塩写真(フィルムですね)のプリントをみて、なにかの萌芽のような、いままでわたしが撮ってきた写真とはまた別の世界が急にひらけてきたような気がしたのです。
 茫洋とした、絵画的にも見えるけれども、まぎれもなく写真であるという。
 偶然性、一回性の芸術であり、作為が必ずしも成果を生まないジャンルである点も、好ましく思っている。
 反面、今回展示する写真のようなものが、もう写すことができないのではないかという淋しさ、危惧も同時に感じている。
 
 詩はいちど書きおえたら、作者の手をはなれて、二度と同じものは書けないと思っている。
 たぶん、それでいいのだし、自己模倣のスパイラルに陥っては、読み手にとってもたいくつであろう(あるいはそれが不安で、現代詩を遠ざける人もいるだろうけど)。
 今後も絵画的な、夢でみたことがあるような写真を撮りたいという方向性はできたけれども、同じ手法をただくりかえしても、同様の結果は生まれないかも知れない。
 そんな共通項があるように思われた。

 写真展の詳細は、以下のサイトをごらんください。
http://www.kalos-gallery.com/exhibition/sha-gaku_vol10.html

2015/12/23

この国はもう滅んでいい

 わたしはもはや長生きしたくなくなってしまった。
 21世紀の日本も国際社会も、果たしてこれが20世紀のひとたちがほんとうに望んだような姿になっているとは、とても思えない。

 政治には、なにも期待できないので、おおくを語りたくないが、極右政治家が本気で戦争になってもいいと思っているなら、かれらを落選させなかった有権者に責任があるので、勝手にしろと言いたい。
 ただし、戦争にはわたしは協力しない。
 だれもがそうであることだけを期待している。
 
 経済のことには完全に門外漢なのだが、この国の経済を動かしていると思っているであろう中高年以上の男たちの表情がどうしても好きになれない。
 ほんとに経済的な豊かさだけが、日本を豊かにしたと考えているのだろうか。
 亡くなられた辻井喬さんは、どうやら自己も含めて、そのへんを徹底的に精査して、そうではないと思っていた、たぶん最後の経営者だったのではなかろうか。
 氏の回顧録をよんでみると、昔の意気盛んな、骨のある経済人たちがなん人も登場するが、そんな人間くさい、志のある人物は、もうどこにもいなくなった気がする。
 Japan as Number Oneなんて形骸化した旧い看板を、いまだに信じ切っている人たちばかりなんじゃないか。

 市井の人たちも、みな一様になにかに毒されているように思われる。
 歩道を暴走する自転車に当て逃げされたり、孫と思しき幼児と自転車で歩道を走ってきた中年の女に、すれ違いざまに「じゃまだ」と言われたこともある。
 これはわたしの個人的な不幸というよりは、ただただ無知にしてじぶん中心にしかものを考えられない、老いさらばえたかれやかの女の精神的な空洞に響きわたる悲惨さの顕われであろうが、まさかとは思うけれどもこんな人たちが、無言にして無意識的に多数派になりつつあることが、上に書いた政治的・経済的なことを差し置いて、もっともこの国を揺るがす滅びの前兆なのではなかろうか。

 いや、もうすでに滅亡の過程にあるのだと思える。

 善意の旗を振りかざしても、もはやとどめようのない崩壊がはじまっているのだ。
 たぶん、かれら精神的貧困層と一線を画する矜持があるかぎり、わたしの気は晴れないし、不幸の種も尽きないであろう。
 これは一部の人間が企てる戦争よりもこわい。
 個人の内面に沈潜していて、本人たちすらも意識していないからだ。

 こんな考えにとらわれている状態も、じつにつらいのである。
できれば、しばし紛れさせたいとは思うのだけれど。
 
 

2015/12/06

ちいさな詩の朗読会 第一章 終了しました

 11月28日の「ちいさな詩の朗読会 第一章」は、盛会のうちにぶじ終了しました。

 ご来場いただいたみなさま、一緒に会をひらいてくださった武田こうじさん、会場を提供してくださったシンガポールナイトのマスターとおかぴさんに、感謝申し上げます。

 そんなに緊張してはいなかったのですが、不安はありました。
 たのしんでいただけなかったら、どうしよう、と。
 幸い、杞憂におわりましたけれども。

 練習不足を痛感させられたのが、個人的な反省点です。

 第二部のために、自作、あるいはお好きな詩のテクストを持参していただいた方が思いのほかおおく、参加型の朗読会の性質も加えて良かったと思いました。
わたし自身のことよりも、そちらのほうが嬉しかったのです。

 第二章のことは、まだ白紙ですけれども、そのまえに、当日会がおわってから、武田さんと話していたことに、シンガポールナイトで、ときどき詩をよみあったり、話しをしたりする機会があってもいいよね、というのがありました。
 内輪での、それこそちいさな集まりになりそうですけれども、検討して実現出来たらいいなと思っております。

 では、当日のオープンマイクに参加してくださったみなさまがよまれた詩のタイトルを以下に記しておきます。
 作者名、タイトルの順です。

チアーヌさん 「クールな大介」
一方井亜稀さん 「遠景」
浜中純さん 「海を旅する」「ありがとう バイバイ」
赤松由美子さん 「無題」
大和田尚子さん 「いだく(懐く)」「夏の終りに」
佐倉リエさん 「街」
鈴木宏子さん 「つかめない街」「秋愁い」
加藤遥さん 「手」「ハロウィンの夜」
構造さん 「2015 Neo農協」
矢野竜広 「あたりまえのこと」(*はぶひろこさん朗読)
長田弘 「散歩」(*あべともこさん朗読)


 有難うございました。

2015/10/12

ちいさな詩の朗読会 第一章 ~詩誌百葉10号記念~


わたくしの個人詩誌『百葉』が、このたび10号目を発行するはこびとなりました。

この前の冬からあたためていた朗読会の企画、一回目はそれにちなんで、
はずかしながらも10冊の『百葉』からえらんだ詩を、武田こうじさんとともに読みます。

第二部はオープンマイクの朗読会となっております。
お好きな詩のテクストや、自作の詩をお持ちくだされば、参加していただけます。

11月28日の土曜日、16時に「純喫茶・星港夜」でお待ちしております。




ちいさな詩の朗読会 第一章 ~詩誌百葉10号記念~
20151128日(土)16:0017:30
会場:純喫茶・星港夜(シンガポールナイト)
仙台市青葉区上杉1-12-1 022-222-2926
第一部 出演:八森紅雄×武田こうじ
第二部 オープンマイクの朗読会 *参加自由・好きな詩、自作の詩などお持ちください
入場無料(ワンドリンクオーダーをお願いします)
お問い合わせ:shitomachi.machi.to.shi(あっと)gmail.com 

*()内を@に換えてください



2015/08/12

白井明大『生きようと生きるほうへ』

 白井明大さんの新詩集(5冊目になる)、『生きようと生きるほうへ』を、なんどとなくよみ返している。

 じつは、去る7月25日に、神保町でひらかれた出版記念の会に出向いてきた。
できたばかりのまあたらしい本を、ひと足さきに、会場で売っていただいたのである。

 こぢんまりとした集まりではあったけれども、和ろうそくに灯をともして、冷房もない木造の「平安工房」さんのショウルーム(だと思うけど……)のなかで、白井さんが詩を朗読し、あいまにそこに込められた思いを語る、かけがえのない時間だった。

 東日本大震災後に書かれたという、この本に収められた詩のかずかずには、そのあとにも相次いで発生した不幸なできごとが、抜きがたく翳を落としている。
 たぶん、あの日を境に激変した日本社会への、控えめにみえてじつは痛烈な批判を、ゆっくりと噛みくだくように、花の名前を調べ親しんでいく生活や、家族へのいままで以上に繊細なまなざしを通じて綴られていく。
 生きることのかけがえなさ、それは白井さんが従前から大切にしてきたことなのだけれど、なのにひとつひとつの命が、あっけなく軽んじられてしまうできごとをまのあたりにして、おおくの人がそうであったように、かれも衝撃を受け、深く傷つけられたのだろう。しばらくなにも書けなかったと、けれど書かなければ終わりだと、当日話していたようにおぼえている。
 
 詩集の後半におさめられている「生きる」という作品があるのだが、この詩の冒頭で
 
  なぜ逃げた と言われたことが何度かある

と詩人は告白する。東京からかれの母上の故郷である沖縄へ、幼い子のことを思った奥様に行きたいと言われて即断したことも書かれている。「なぜ逃げた」以下については、とおくにいながら、いつも親しくしてもらっているわたしもまったく知らなかったことで、少なからぬおどろきを感じたのだったが、この長い詩を通して、上に記した「生きることのかけがえなさ」が切々と、ある種捨て身といってもいいほどの真剣さで語られているといっていいかと思う。
 短絡的な発想で移住したのではないことは、よめばわかってもらえるだろう。そののちも葛藤がつづいたことで、かれも苦しんでいたことが明らかにされる。
 震災後のあれこれで露呈した、じぶんだけは責任を免れたいという保身だけで行動する醜い人たちの詭弁とは、正反対の生身の言葉がそこにある。
 好き嫌いはあるだろうけれども、いまという時代を、素のままで言葉だけをたよりに、誰もがよりよく生きることをねがう詩人の、控えめな声明であろうと感じる。
 これは、ないがしろにできない詩集である。

2015/07/20

絵の勉強、そして11月のこと


 まもなく梅雨が明けるのではと思われるほどに暑い三連休の中日に、わたしは街の古本屋へ行ってきた。
 といっても、昔ながらの古本屋は、仙台ではかぞえるほどにすくなくなってしまった。おしゃまが中学生のころには、東北大の片平キャンパスに通じる一番町一丁目附近に、ちょっとした古本屋街があったのだが、いま、そこで盛業中なのは二軒だけになってしまった。
 泉区にあった古本10万冊の店も、愛子にあった20万冊の店もとうに閉店して、太白区は鈎取にある店が、在庫量では市内最大だろうか。
 わたしが、この本(上の画像)をみつけてきたのは、広瀬川もほど近い西公園ちかくの古本屋である。
 この暑いのに、扇風機と除湿器しか回っていない店内をうろうろしていて、そういえば、おしゃまの絵の最初はペン画だったな、と思い出したのだった。
 じぶんで撮影した、4切のモノクロ写真をみながら、製図用のピグマというサインペンをときには3種使い分けて、みる人にはかならず、細かいですね、といわれるような(じっさいは、適当な細かさなのだけれど……)絵を2~3枚描いてから、水彩色鉛筆を手にしたわけなのだが。
 じつはもう半年くらいまえから、その色鉛筆画が描けなくなってしまった。なんだか、適当にデッサンをして、そこに適当に色をのせるだけのようなやり方に、疑問をもってしまったのだ。
 一から出直さないと、もうなにも描けなくなるんじゃなかろうかという気もちがどこかにあったのだろう。
 まだ、きのうからよみはじめたばかりである。

 11月に、朗読会をひらくことは、冬のうちから決めていた。
 それに向けて、百葉の10号に載せる詩も、書いていかなくてはならない。
 まだ、例によってのろのろな感じである、けれども。

 言い出したのはわたしなのだけれども、一緒にやってくださることになった、仙台の詩人、武田こうじさんに、じつはとても背中を押されていて、人見知りなおしゃまとしては、かなり勇気の要る計画になった。でも、20年ちかくもまえから活動されていて、経験も豊富な武田さんに、わたしにとっては過分とも思えるほどの好意的な言葉をかけていただいたのだから、期待に応えないわけにはいかない。

 日にちは、もう決まっている。11月28日の土曜日、純喫茶・星港夜にて開催です。


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