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2014/12/20

軽んじてはいけない

 詩とはなにか、とは、気の遠くなるほど昔から現在まで、くりかえし問われつづけてきた命題であるが、その答えも、もちろんすべてを閲することなどとうてい不可能だけれども、詩人・批評家の数だけあるのではないか。

 世間一般の、現代詩なんて知らないよ、という人たちにとっては、俗な流行歌の歌詞でさえも「詩」という括りのなかに含まれるかも知れない。
 あるいは、行分けされてさえいれば、詩にみえるという人もいるだろう。

 あまり深いとはいえない、ありきたりな感慨や感情の吐露にすぎないみじかい言葉が、行分けで書かれていれば、詩だと思ってしまう。
 現代詩に触れたことがない、平凡な(わたしも平凡だが)詩を書かない人にとっては、それだけでなにか、崇高なものに接した感じがするのだろう、けれど。

 そうした行分けの作文みたいな、詩のようなものをみかけることがあるけれども、そこに書かれている言葉は、誰でもちょっとあたまを捻ってみれば書けてしまうのではなかろうか。
 もうすこし細かく言うと、アノニマスな存在が書いたのではないかと思うほど、個性がない、独自性がない。
 そして、意味にあふれていて、教科書でよんだむかしの詩人の作品の表層だけをなぞっている。
だから、免疫のない人には、詩であると認識されがちである。
 
 しかし、わたしがよみたい詩は、それらとはまるでちがう。
 その人にしか書けない表現、その人にしか書けない言葉、その背景にあるその人独自の感受性と美意識こそが、現代の詩を詩たらしめている、重要な要素だとわたしは思うのだ。

 わたしはインテリではないので、そういうかんたんな言い方しかできないけれども、誰でも書ける表現は、共同体の言語であって、情報のキャリアとしての言語にすぎない。ふだんの会話ならなんらの支障もないが、文学の言語は、それらとは一線を画すべき性質のものである。
 と言うと、文学者ないしは詩人の特権性を強調しているように誤解されるかも知れない。
 わたしは、凡庸な人間なので、そういう知的官僚的な詩人の詩がにがてである。
 市井の生活者である人が、詩に惹かれ、詩作に打ち込む、その成果が平易な詩であろうが「難解」であろうが、価値としては同列に並べるべきであろうと思っている。
 けっきょく、それらの詩から、ただ一行であったとしても、読者にとってたいせつな言葉が見いだされたなら、詩人にとっての光栄であろうと思うのだ。
 詩人賞、詩集賞といったものもたしかに必要ではあるけれども、じぶんにしか書けないことに目を留めてくれる読者が少数でもいたとしたら、かれらの気づきを軽んじてはいけない。
 

2014/11/08

コトバトに寄稿

 「詩学の友」のサイト内にある「コトバト」に、詩人紹介の文章を寄稿しました。
 僭越ながら、清岡卓行という大家について、すきな作品に即して書かせていただきました。

 ときに思い入れが先行しているかも知れませんが、わたしが長年にわたって愛読してきた詩人の作品とその周辺に思いをめぐらせ、書いていく作業は、長い文章がにがて、というかへたなわたしにとってめずらしいことに、すこしの苦痛もなく進みました。
 
 じぶんの詩について語ることは、たいへんむつかしいのですが、敬愛の情をもちつづけてきた詩人についてならば、事実の正確さと読解力を求められるとはいえ、いろいろと思うところがありますので、書きたいことはたくさんありました。
 
 よんでいただけると嬉しいです。

http://shigaku.org/reviews/yatsumori_kureo01.html



2014/10/27

おしゃまの絵

 おしゃまの描いた絵や写真を、あらたにweb上にて公開することにしました。

 https://note.mu/osyama_poetry

 どうぞごらんになってくださいませ。

 *   *   *

 わたしはやはり、どうころんでもひとりがすきなのだろう。
 あまりひと前にでて、率先してなにかをするようなのは、どちらかというとにがてである。
 
 春以降、創作活動のほうは、ほとんど停滞していたけれども、
詩もぼちぼち再開しているし、しばらくわすれていた絵のほうも、写真(基本、フィルムで撮影している)も徐々に力を入れたいとおもっている。

 先だって、詩作ノートもあたらしくしたし。
 以前から愛用していた、コクヨのスリムB5というのが入手困難になったので、こんどは手ごろな判形で、表紙がドット柄(水玉。おしゃまは、ドット好きである)のものにした。

 あまり音楽にばかりかまけていないで、せっせと書こうとおもう。


2014/09/22

 先だって、職場で異動があり、仙台市内の店舗で勤務することとなって、いまに至っている。

 ずいぶん、この夏はくるしい思いをしたけれども、どうにか穏やかな秋を迎えられて、ほっとしているところだ。

 ことしは残暑もさほどではなく、夏バテというほどの状態でもないけれど、あいかわらず夜はつかれてダウンしてしまうことがおおい。

 部屋にかえってきてしまうと、ほんとうにひとりきりなので、外で誰かと話しをしたりするのが、いまもわたしにとってたのしく、だいじなひとときである。

 あまり友だちらしい人がおおいわけでもなく、孤独というものとのつきあいが長いことにかわりはないのだけれども。

 
 

2014/09/01

ひたすら、つらい季節

 日々の生活のなかで、疲弊し切って、ぼろぼろになりそうな、そんな夏が、なおもわたしのまわりでつづいている。

 語るに落ちた人びとのこと、言いたくても言えなかったわたし自身の意思、うわついた世間への憎悪、そして、それらにたいして無力で怠惰に過ぎたじぶん自身にたいする失望……どれも、現実に立ち向かういかなる力も持ち得なかった、わたしの貧しい言葉をやせ細らせ、消耗に至らしめ、肉体すらも圧し潰すにじゅうぶんな要素だった。

 そもそも、声を張りあげるのは、得意ではないし好きでもない。
 声高に、言うべきほどの信義も思想もないくせに、みずからの領分と利益だけは確保しようとする輩に対しても、無言という、抗議とも言えないほどの抵抗しかできず、肩身のせまい、生きにくいところにじぶんを追い込んできたと思う。
 かれらに対して、わたしの発する言葉など、まったく問題にならないだろう。
 聞く耳をもたない人間と、和解しようとすることは、断念せざるを得ない。

 わたしにとって、言葉は武器にはなり得ないし、身を守る鎧でもない。
 強弁しようとしても、まったくむだなことは、痛いほどわかっている。
 だから、議論や論争などといったものからは、逃げおおせるものなら極力逃げたいし、闘うに値するほどの敵が、言ってみれば好敵手とも呼べるような者は、周囲には存在しない。
 ただただ、言葉にならないような相手、宿敵しかいなかったということが、わたしにとっての最大の不幸なのだと言ったら、貧困や差別、戦禍のなかで生きている人たちに対して失礼だろうけれど。

 このひと月あまり、いやそれ以上前から、詩らしきものはひとつもできていない。
 げんなりするような日々のことは理由にしたくないけれども、じぶんのよわさ、甘さも含めなければならないけれども、それにしても、こんな生活がいつまでつづくのか。
 生きることを断念するほどのことではないし、じっさい生きているのだから、いきなり生命を絶たれるのは苦痛をともなうに決まっているのだが、すくなくとも平穏な心で働き、食べていけることだけは望みすぎても罰など当たらない、と思う。

 はやく秋がきてほしい。
 実りの秋をむかえるには、あまりに準備が足りないけれども。
 

2014/08/12

きょうの夕方、仕事がえりにバスの窓から、けいたいでんわで空を写している女性がみえた。
なんだろうとみあげると、虹がでていた。
バスが進むにつれて、とても大きな、地平から地平まで、半円形の虹であることがみえてきた。

こんな綺麗な虹をみるのは、なん年ぶりだろう。
むかし住んでいた部屋から、こんな虹をみて、詩の一節にかいたことがあったけれども。

車内の人たちの反応もおもしろかった。
誰かが、虹、といって空をみあげると、右側に座っていた乗客は誰もが上空を仰ぎみて、建物の蔭に隠れているときは、なにやら虹を探しているようでもあり、バスが坂をのぼって高台にでると、みごとなまでの虹のアーチにみとれているようでもあり。

ひとつ手前のバス停で下車して、わたしも虹を写真に収めようと思ったけれど、すでに虹の上部は雨雲にかくれていた。
まもなく、小雨がぱらついてきて、あかるい空のもと、わたしはすこしだけ嬉しいきもちになって、傘をさしてアパートまであるいていった。



2014/08/11

仙台ポエトリーフェス2014に行くの記

8月9・10日の二日間、仙台市のギャラリー ターンアラウンドで、「仙台ポエトリーフェス2014」が開催された。

わたしは、いち観客としてみに行ったのだけれど、各出演者の個性とともに、ふだんはよむばかりで、きき慣れない詩の言葉を存分に浴びて、かるい興奮とたのしさをおぼえた。

誌上でしか知らない詩人たちが、目のまえで詩を朗読し、詩について語り、つどう光景は、地方でひとりで細々とまずしい詩作をつづけるわたしにとって、非日常のものだった。
一日目の夕方あたりからの、会場内のカオスな雰囲気がさらに良かった。



二日目の座談会「明日、私がいなくなったならば」については、出演者4人の発言について開催前から興味をもっていた。
こんなことを言うと身も蓋もないけれど、わたしが死んだら、わたしの詩など、残ることはないだろうという自覚があったからである。
それぞれ、なん冊かの詩集をもっていて、執筆活動をつづけておられる方々なので、わたしのような発想はないのだろうなと思っていたが、高塚さんが「百年後に一篇だけでも残っていればいい」、
及川さんが「人類史は有限であるとすれば残らない」という意味のことをそれぞれ言われていたので、弱小詩人のわたしとしては、へんかも知れないが安堵した次第である。

個人的には、TOLTAの山田亮太さんと、プログラムのあいまにお話ができたのが嬉しかった。
昨年、仙台でのトルタバトンテンのイヴェントでお会いして、一年振りに再会できたわけだけれども、ほとんど無名の、しかも人見知りするわたしにも、しずかに話しかけてくださって、TOLTAの実験的なパフォーマンスの目指すところについて、説明していだだいたのが有難かった。
山田さんが朗読された「戦意昂揚詩」という作品についても、美しい言葉がときに危険な意味合いをもってくることを、またもしふたたび日本が戦争をはじめたとしたら、どういったことを書くかという、シミュレーションとして書かれた詩であると、おしえてくださった。

今回のフェスで、もっとも身に沁みて、心にのこる詩であった。
山田さん、そしてすべての出演者のみなさま、主催の武田さんと一方井さんに感謝したい。

2014/06/21

なんにもない

 きょう、ふいに思ったのだけれど、わたしの強みってなんだろうと。

 あたまは決して良くないし、肩書も地位もないし、持ち家も財産も車も、なんにも持ちあわせがない。
 ふつうだったら、完全に負け組だと思い、落ち込むような要素ばかりなのだが。

 あまのじゃくのせいかどうかも、じぶんながらよくわからないが、わたしの強み、それは「なんにもない」ことではないかと。
 幸い、仕事もあるし、友だちもむかしよりは増えているし、本もそこそこ持ってはいるし、ほかに趣味がないわけではない。
 けれども、なんといったらいいのか、わたしはからっぽなのだろう。
 以前、徒手空拳で、ということも書いたけれど、意味合いとしてはそれと似ているだろうか。

 詩を書くうえで、だいじなことというのをむかしの『詩学』誌上のコラムでよんだ記憶があるけれど、そこには「定住」は創作の敵、妨げになる、といった意味のことが書かれていた。
 詩をかいているだけで幸せな人こそ、詩人なんじゃないか、みたいなことも。

 まっさらなノートを前にして、無為の心境で、思いついたこと、かきたいことを綴っていく幸せ。
 それには、括弧つきの「思想」もいらないんじゃないかと言ったら、角が立つだろうか。
 なにか立派そうなことを、小難しく表現して煙に巻くような、そんな詩は、わたしは敬遠してしまう。
 もっとからっぽなことを、日常の言語とはちょっと位相のちがう言葉で書き記すのが、わたしにとっての詩作の姿勢なのである。

 

2014/06/01

福岡で

 

昨年にひきつづき、ことしも「福岡ポエイチ」の閲覧室にて、
百葉がよめます。
 3回目になるのですね。
 毎年盛況のようで、わたしも見に行きたいなあ……と思いつつ、ことしもとおくからみているばかりだけれど。

http://poeiti.yu-nagi.com/

 サイトの閲覧誌リストには、載ってないようですが、まちがいありません、1から8までぜんぶ配置されます。

 次の土日、6月7日・8日はぜひとも福岡ポエイチへ!

2014/05/10

また、色鉛筆を買うの記

 先月末の引越をはさんで、さまざまなごたごたがあり、まだあたらしい部屋は片づいていないけれども、ひとまず暮らし向きは落ち着いてきたと思う。

 きょうはかえりに、多賀城のコトリコーヒーに行って、自家焙煎のコーヒー豆を買ってくるつもりが、途中でBlogをみたら、なんと臨時休業の日なのだった。
 早い段階で気づいたので引きかえし、もう一軒、行きたかったお店に向かった。

 青葉通の画材店。
 ここで、ステッドラーの「子供向け」の水彩色鉛筆と、F3号のワトソン紙を買った。
 すでに、同社の水彩色鉛筆はもっていたのだが、12色にもの足りなさを感じていたのと、どの引っ越し荷物を開けても、それがみつからない(いずれ出てくるのだろうけど)ので、紙も残りわずかだったこともあり(それすらもみつからない!)、思いきって購入した次第。

 結構ワトソン紙というのも高いものなので、それなりの出費になった。
 これでまた、同工異曲な(いつもうつむいて帽子をかぶっている人物なので)絵をせっせと描くことになるだろう。

 詩作はといえば、あいかわらず牛の歩み、気が向いたときにノートをひらいて、ぼそぼそした言葉を書き記している。
 まだなんのひらめきもないし、光る一行みたいなものが書けたわけでもない。
 気長にいくしかないなと、みずからの凡庸さにあきれているところだ。
 

2014/04/13

春眠

 日々の暮らしと仕事づかれ、そして引越の準備にかまけて、さいきんはなかなか書くことがみつからないし、メモ帳になにか書きつけても、だめだな、と思ってしまう。

 朝の電車内では、福間健二さんの『青い家』をよみかえしている。
 昨年、「あるいは佐々木ユキ」の仙台上映会のまえに買って、集中的によんだ。
 なんどよんでも新鮮というか、つねにあたらしい発見、おどろきがあり、飽きることがない。
 優しさに満ちた視線と、前進しつづける固定化しない詩意識がともにある。

 休日、荷造りで部屋に籠もっているせいか、ときに茫としていることがある。
 片づけのへたなじぶんに、いらいらしたりあきれ果てたり。
 もう、半月したらここにはいないのだなと思うと、さびしさや感慨よりも期待、よりも目のまえの現実、そしてすっかり暖かくなった空気と光りにくるまれて、なおさら思考も作業も停滞ぎみになる。

 移転が終了したら、カフェにも行きたいし、本もよみたいだけ買うつもりだ。

2014/03/09

休日

  休日は、だいたい外に出かけて、誰か知っているひとたちと会って話しをするのが、なによりのたのしみである。

 部屋に籠もって、ひとりでなにかをするというのは、まだ当分寒さのつづきそうな昨今でも、あまり気がすすまない。

 詩のことば、たとえ断片であっても言葉が浮かぶのも、外出しているときのことがおおい。
 コーヒーをのみながら、メモ帳なりノートをひらいて、ああでもないこうでもないと、どんなにつまらないと思うようなことでも書きつける、そんな作業のくりかえしである。

 反面、一冊の本を集中的によみこむようなことは、できないでいる。
とくに、小説などは、あまり好きでもないせいかよむことが稀になっている。

 仕事の日でも、職場のひとたちと話したり、じぶんは喋らなくても会話をききながら働くというのはいい。
 とにかく、誰かと会っていないと、さびしくてやってられないんじゃないかと思ってしまう。

 以前は、ひとりの時間が好きだったのだけれど。
 
 

 いい人たちに囲まれているから、こんなふうに思えるのかも知れない。

 

2014/03/03

「百葉」8号を配布します


 2009年から細々とつくってきた個人詩誌「百葉」、このたび第8号ができたので、順次仙台市内の3つのお店(いつもお世話になっております!)にて配布いたします。

  純喫茶・星港夜(シンガポールナイト)仙台市青葉区上杉
     book cafe 火星の庭    仙台市青葉区本町
  書本&cafe magellan  仙台市青葉区春日町

 実際には、現在(きょうの夕食後から)製本作業をしております。
 今週中から来週にかけて、配本してまわる予定です。
 なお、いずれのお店も、部数に限りがあります。
 ご了承いただければと思います。
 

 
 



2014/02/23

谷川さんの「チラ詩」

 書店に置いてあったチラシに、詩が載っていた。
 谷川俊太郎さんの書いたものらしい。

 しばらく谷川さんの詩から遠ざかっていたので、なにげなく貰ってきたが、
なんといったらいいのか、その「チラ詩」なるものがそもそもつまらないのである。
 嫉妬でも嫌味でもなく、ほんとにこれでいいんか? と思ってしまう。

 裏面の口上もよんでみた。
 有料のメールマガジンで谷川詩がよめるというふれこみ、その宣伝チラシだったわけだが、この谷川さんらしい(?)謙虚さ、あるいは自信なさそうな文章はいつもの(……?)こととしても、これよんで月額800円+税を払う人がいるの?と逆に心配になるというか。

 結局、詩を「売る」側の切迫した事情(のように思える文面なのだが)のみ前面にあらわれていて、よみ手はたんにその対価を支払うだけ、の存在にみられているような気がしたのだ。
 その意味で一方通行的文章にとどまっていて、売り込みとしては非常によわい。
 べつに押し売りよりはましかもしれないけれど、やはりこちら側、読者のことより業界の事情ばかり気にしているんじゃないか。
 まあ、谷川さんよりかは若い編集者の意向が大きいのだとしても、やはりこれでは宣伝にもなってないなと、わたしは白けてしまったわけ。

 
 なんで詩をよもうと、最初に思ったのかな?と自身のことを顧みてみる。
 なんだかよくわからないけれど、おもしろそうな予感があったと記憶する。
 理屈や売り込みをされたからどうしたわけではなくて、よみたいから図書館や書店で手にとって、好きかってによんだり、ななめよみしたり、友だちにみせたりしてたんじゃなかったか。

 だから、このチラシみたいな「大人の事情」で詩を買わされるのには、すくなくともわたしは抵抗がある。
 詩に限らず、文学に限ったことでもなく、誰でもそうなんじゃないのかな。

2014/02/12

ハーブティーのはなし

 かえりにコーヒーをのんできて、容易にはねむれそうにないので、風呂上がりに(ちなみに、室温は10℃をすこし超えた程度)お湯を沸かして、ハーブティーをいれた。

 LUPICIAの、SWEET DREAMS!という銘柄。
 
 

 もう会えなくなってしまったけれど、以前お世話になったAさんからひと袋、いただいたものを、つづけて買ってのんでいる。
 
 

 コーヒーもいいけれど、ハーブの香りもまた格別である。
 ほかにはリンデン、パッションフラワーぐらいしかのんだことがないけれども。
 いずれも、就寝前にのむと落ち着く。
 

 

錯覚

 ここ二週間ほど、詩作は停滞している。

 通勤時の電車内でのよみ書きも、あまり捗っているとはいいがたい。
というか、車内でしか本がよめないという状態が問題だと思う。

 貧すれば鈍す、という言葉が適当かどうかわからないけれども、あたらしい詩集も買えていないし、まあ次々よみ飛ばすのもそれはそれでよくないことだが(自戒)、じっくりと腰を落ち着けて本をよむ態勢が、とれていないのだろう。

 つかれてかえってきて、一応インターネットも閲覧して、わりとおそい時間帯まで起きているので、時間を割くことは可能なはずなのだが。
 数年前までは、就寝前の読書の時間が貴重だった。
 現在は、おそすぎるのと視力の低下が心配で、横になっての読書は控えている。

 芳しくない話しばかりで、われながらなさけないけれど、わたし自身、じつはこういう凡庸な人間なのだから仕方がない。
 しかし、こういうわたしが徒手空拳で、立派そうなことを自信に満ちてかいているひとたちと対峙するのであるならば、貧寒とした現実から言葉を拾っていくしかない。べつにそう限定する必要もないのだけれども、地べたで書かれた言葉が、力をもつに至らなくてもかすかに光りを放つような、そういう錯覚から詩を書きはじめたのではなかったか。
 そうでなかったら、とっくに書くことをやめていたにちがいないのだ。

2014/01/27

コーヒーをのみながら、万年筆で

 きょうは、かえりにBook Cafe 火星の庭と、純喫茶 星港夜(シンガポールナイト)をはしごして、コーヒーをのんできた。

 火星の庭では、スペースブレンド(深煎り)を。
 シンガポールナイトでは、すこし濃い目の「カノン」をちかごろ好んでのんでいる。

 ともに詩作ノートとメモ帳になにか書き足しながら、一日の疲れをわすれ、ゆっくりすごした。

 わたしは、つねに鞄にノートとメモ帳を入れて持ちあるいている。
 両者に書かれていることは、微妙にちがう。
 互いに参照しながら、それぞれちがう内容を書いていって、あとでノートに、最終的にはwordで清書をする。
 

 筆記具は、チェコ製のcentropenというメーカーの、プラスティックの安い万年筆。
 案外、高い万年筆よりもわたしにとっては書きやすい。
 そんなにたいしたことを書いているわけでもなし。
 貰いもののパイロットや、昔から愛用しているプラチナのデスクペンという、これもプラスティックの安いものの出番はさいきん少ない。
 わたしは字がちいさいので、太いペン先のものはまったく使えない。
 細字のペンで、ちまちまと書くのが好きである。

 

 火星の庭で、こんなポストカードを買った。
http://lifeku.jp/goods/index.html
 画像右側の、りんごを持った少女だろうか、これをみつけて、さっそく花巻にいる先生宛に一筆したためた。
 昔は手紙魔を自称するほど、筆まめだったのだけれど、ちかごろはひと月に1~2通がやっとというありさまである。
 一時は手紙を書くのも、0.3mmのボールペンを使っていたが、自然と前述のような万年筆に回帰した。
 むろんメールも使うし、けいたいでんわも持っているが、あいかわらず手紙はいい、と思う。

 

2014/01/25

生きていくための言葉を

  もうすぐ2月になるわけだけれど、ことしはわたしにも、いいことが起こるような気がしている。
 とくに根拠もなにもないが、そう信じることで生きていける、そうでもないと遣り切れない、矢折れ尽き果てるかも知れないという切迫感と、背中合わせの感情である。
 一種、アンビバレントな気持ちではあると思う。けれど、そこにしか、わたしが触れられるポエジの萌芽のようなものはないとも思っている。

 たぶん、みる人がみれば、そんな貧しい詩作などお止めなさいと言いたくなる、みすぼらしいものしか書き得ていないのだろうけど。
 わたしにとっては、こういう方法しかないのだから。
 せめて、救いのない感情を書くにしても、ある種の香気というか、抒情的なものは漂わせておきたい。
 よむひとは少ないとはいえ、詩の言葉を手渡していきたいと思うのだから、そういう心がけは必要であろう。よんでもらうためには、くずかごに棄てられたくないと考えるのならば、それなりのくふうはしなければいけないはず、である。

2014/01/24

写真展のあと、コーヒーをのみながら

 きょうは、Photo Exhibition 集団仙台2014がはじまったせんだいメディアテークに行ってきた。
 受付に、いちど写真屋さんのワークショップでご一緒したSさんがいらしたので、かえりがけにすこし立ち話をした。昨年カロスギャラリーでみた、Sさんの写真の印象がたいへんつよかったので、それにかんすることなど、ぽつりぽつり。

 せっかく春日町まできたので、いつものマゼランでコーヒーをのみながら、店主のTさんとおしゃべりを、ふだんよりは少しくシリアスに。
 けさ、セルフプリントしたばかりのモノクロ写真をみてもらったところ、50mmの標準レンズの使いかたについて、「建物を50mmで収めようとするよりは、その建物のまわりをなんどでも回って、じぶんなりの切り取り方をした方がいい」といった意味あいの批評をいただいた。(わたしはひとの言ったことを一字一句もらさずに覚えることができない。ご容赦ねがいたい)
 ほかにも重要なアドバイスをいくつもしていただいた。
 いずれ活かす機会があるかと思うが、それについてはまた書くこともあるだろう。


 それにしても、今月写したネガは、撮っていてあまりたのしくもなく、工夫もなく、モチベーションも低い状態で、その場その場で考えなく写していた。
 反省すべき点は、たくさんある。
 安くはないコストをかけてまで、趣味でフィルムをつかっているのだから、じぶんで納得のいかない写真、むだなカットは減らしていきたいものだ。

2014/01/18

跳躍と連関

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 昨年よんだ詩集は少なかったが、刊行後直ぐに一読して、感銘を受けた一冊について、拙いながらもすこし印象を記しておきたい。

 北川朱実『ラムネの瓶、錆びた炭酸ガスのばくはつ』 思潮社

 北川さんの著書、『死んでなお生きる詩人』(思潮社)をよんだのは、5年くらいまえだったろうか。
 若くして自死したり、事故死、病死、といった非業の死を遂げた詩人たちの評伝、と言ったらいいのか、詩人論としてもすぐれたもので、鬼気迫るほどに真摯で切っ先のするどい筆致に、たじろぐ以前にわたしは惹き込まれそうになった。いま以上に、生きることに疲れきっていた時期だったが、引用されている詩行と、著者の文章にいまもたびたび挟まれている文人たちの挿話あるいはアフォリズム的な言葉、死者を呼び戻さんばかりの北川さんの語り口は鮮烈で、ところどころ諳んじるほどによみかえした。

 で、この詩集について語る前に、前の詩集『電話ボックスに降る雨』をひらいてみたのであるが、同義反復を避けるがごとくに、以前の場所にとどまらない詩人の気魄というか宿命というか、そんな変化を目の当たりにした。

 前詩集では、一篇ごとにある程度の文脈的なつらなりが、各連ごとに多少の跳躍はあるにせよ、細い糸を通したようにみられるのだが、『ラムネの瓶…』では、連と連とのつらなりは、一見、引きちぎられたかのように薄くなっている、ように当初は感じられた。
 各詩篇によって、その度合いはもちろん異なるけれども。
 また、通読してみて印象的なのは、著者が訪れたことがあるのだろうか、旅のイメージがところどころ散りばめられている点だろうか。
 とくに南米の地名がいくつも登場するけれども、そればかりでなく、著者の視線は国内外を問わず、絶えず身近な場所からはるか遠くまで、言葉を支点にして自在に往還できるかのようだ。
 かつて、『死んでなお生きる詩人』に於いて、死者の国からこちら側の世界まで、詩の言葉を索にして、一本の線を引くように橋渡しをした、北川さんらしい。
 それは、わたしたちの詩作のうえでも、模倣は憚られるにせよ、みならうべき態度なのだろう。
 

 飛び飛びになった土地を、自在に跳躍することでつなげていく……
 この詩人には、どんなに離れたイメージでも、連関を見いだす眼力がある。

 眩いほどにあざやかな詩行で編まれた一冊である。
 
 

2014/01/17

 壁を越えようとする意思は、抵抗感があってはじめて生じるもので、さもなくば人は高い壁を見上げてばかりで、その向こう側のことに思いをめぐらすだけだろう。
 いかなるものにも抗うことなく、適応していける人はこの世にたくさんいるのだろうか。
 なんだか信じられない。
 つねにあたかも漂流物のような人びとにぶつかられたり、かわされたりしながら生きてきたわたしにとって、ぬくぬくとした環境は傍観するほかない、羨ましいという感情も湧かない、とおいものだった。

 10代のころは、殻に籠もって過ごした。やみくもに読書に耽るほかに、たいしたたのしみもなかった。家族とたびたび衝突して、学校は牢獄にちかく、10分の休み時間すらも図書室へ行ってはようやく息をつく、そんな時期だった。
 図書室には、現代詩文庫の1から100番までが揃っていた。すべて読破するなど考えられないほど、無知であたまのわるい高校生だったが、なん冊か拾い読みをして、当時もっとも衝撃的だったのが、吉行理恵だった。
 その頃は仙台市内にも大型書店らしきものはなく、駅前の某デパートの地下2階に、八重洲書房という店があり、市内でもっとも詩書がおおく(といっても、いま思いかえすとたいした量ではなかった)売られていた。ほとんどが未知の詩人だったから、詩文庫の吉行と黒田三郎、その程度しか買わなかったと思うが、なぜか同店にて委託販売されていたと思しき「混線ぺんてか」という詩誌をおもしろがって何号かつづけて買った。大学に上がってから定期購読を申し込んだら、次の号で終刊になってしまい、切手で返金してもらったのをおぼえている。
 

 高校まではまだ小説などを中心によんでいて、まともな詩らしきものも書き得なかったが、進学して盛岡でのひとり暮らしが急にはじまり、数ヶ月は友人もなく、相変わらず鬱屈してすごしていた。
 ある日、とつぜんなにか書きたくなり、手許にあった反古の便箋の裏紙に、一気に書きつけたのが「影」という詩である。
 まだPCなど持っている学生はめずらしく、ワープロという機械と10円コピーでつくった粗末なB5の一枚もののフリーペーパーに掲載して、懇意にしてもらっていた先生の研究室に置いてもらったり、研究棟の掲示板に貼らせてもらったりしていた。ほかの学生には冷淡な反応、というよりは黙殺されていたが、卒業式の晩の飲み会がおわってから、最後の最後におなじ学科の女子から「読んでました」と言われたのをおぼえている。
 

 
 長らく日の目をみなかった「影」であるけれど、現在こちらでよめるようになっている。
http://shigaku.org/issues/shiraku_02/anthology_04.html

深爪

 今週は、痛いできごとだらけだった。
 深爪のように、あとからじわじわと効いてくるような、そんな痛み。

 
 昨夜、出席してきたある会合で、そのへんの話しもふくめて四方山話などして、いくぶん積もりに積もっていた胸のつかえがとれたような気がする。

 昼間は、Enomaの「101人の自画像展」と、ギャラリーターンアラウンドの「青野文昭展」をはしごして、その足で西公園通をあるいて書本&cafe magellanでコーヒーをのんできた。
 きのうは終始不機嫌だったかも知れない、というか完全に不機嫌だった。Tさん、ごめんなさい。

 仙台駅から柳町通りの大日如来のところを通って、一番町のEnoma、大手町のタナラン、そして春日町までずっと、写真を撮りながらあるき通した。5kmはあるいたんじゃないか。
 自画像展は、リアリスティックなふつうの油絵から、ポップアート的なものやコミカルなところをねらったもの、アーティスティックな表現を試みたものなど多彩で、立体や切り絵、自画像というか抽象画にしかみえないものまで、とうぜんだけれど百人(101人?)百様。友人の自画像があるというのでみに行ったわけだけれど、その彼の絵は、本人を知っているからかも知れないが存在感が強烈で、実際とはちがっておっさんっぽく誇張されているようだった。こんど会ったときに、そのへんの意図をきいてみたいと思う。

 おしゃま(わたし)も、一昨年からときどき絵を描くようになった。
 ぜんぜん芸術的でもなんでもないが、好きかってに、描きたいものを描くようにしている。
 いずれささやかな詩画展でもできたらいいなと、あてもないのに妄想している昨今である。

 

 

 

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